長蛇と誹り ―1

 正午を告げる鐘も例によって今日からしばらくは鳴らない。しかし故郷や親元に帰省せずに寮に残る生徒のために食堂は相変わらず解放されていた。平常時よりも品数こそ少ないものの、学院お抱えの調理師たちが腕によりをかけた健康にも優しくかつ生徒の下も腹も満足させられる最高の料理がここでは無償で提供される。今年は例年に比べて学院に残る生徒数が多く、それに伴い図書館や食堂などの施設等の利用率も高い見込みがなされていた。


 夏季休業中ということでいつものような決められた昼食の時間などないにもかかわらず、正午を少し回る頃には食堂は多くの生徒でにぎわっていた。大きく二階と三階までが吹き抜けている食堂は、いつ来ても室内とは思えないほどの解放感を備えている。おかげで特別巨大な照明などなくとも外からの光でまるで外にいるかのように室内は明るく照らされていた。


 二階からは外のテラス席へと通じる扉があり、春や夏の期間は外で食べるための軽食まで用意される周到ぶり。そのほか季節の催事に際して開かれる会食などもこの場所で行われるため、今も込み合っているといっても座席の大半が埋まっている程度で食堂内を歩き回る分には難なく通行できる。


 入り口を入ってすぐの六人掛けの円形のテーブルは大方埋まっており、あとは端に並べられた多人数用の長机や一人用のカウンター状になっている座席がまばらに空いているのみ。やっとの思いで席を確保したとしても注文カウンターまで続く長蛇の列では注文をしに行くのだけでも一苦労だ。


「私三人で座れそうな席探しとくから二人で行ってきてよ」

「わかった。レイちゃん今日は何食べる?」

「うーん、いつものがあればそれでお願い」

「いつものね、はーい」

「いつものってそんな毎日食べるほどは待ってるメニューがあるのか?」

「まあね」


 ルクスの疑問符に明確な答えを提示しないまま三人は分かれた。そのままレイは長机の方へと秋を探しに、ティアとルクスは注文カウンターへと続く列に向かう。


 カウンターの前には前兆が計り知れないほどの長蛇の列が形成されていた。先頭の様子は背伸びをしてみてもうかがい知れない。


「これは結構かかりそうだな」

「まあいつもと違ってお昼の時間に区切りがあるわけじゃ無いんだし、ゆっくり食べればいいよ」


 食堂には入り口の真上に大きな壁掛けの振り子時計が備えてあり、平時であれば授業の開始と終了だけでなく生活基準となる時間帯の鐘が鳴るようになっていた。今は長針と短針がほぼ真反対を指しており、いつもならこうして呑気に列に並んでいられる時間もないのだが、ティアの言うように夏季休業中は時間に縛られることなくゆっくりしていられる。それでも、いちいち時間を気にしてしまうのは日ごろから時間に追われて生活している癖が出ているからだろう。


待機列沿いの壁には三十ほどのメニューが掲示されている。これを見てこの先のカウンターで目当ての料理を注文する仕組みになっていた。麺類をはじめとして最近で、は丼物の人気が上がっているらしい。明らかにメニューの数が他のものよりも多くこれでもかと熱烈な宣伝がなされていた。


これだけの数のメニューの中から好きなものを学院の生徒は無料で食べることができる。今日に限らず食事時に食堂から人が絶えないのはこのためだ。カウンターには十数人規模でスタッフが待機しているはずだが、この数をさばききるのには相当な時間と労力を要するのだろう。


ティアたちは何も考えずに列に並んで料理の提供を受ける側であるから良いものの、絶対に提供する側に回ろうとは思えない。ティアやルクスたち学生の身分でも毎回そう思うほどにここでの仕事は大変そうに映っていた。


「ところでさ、さっきレイが言ってた“いつものやつ”って何なんだ」

「んー、もう少ししたら見えてくると思うけど」


そう言っている間に少しずつ待機列が進み始めた。傍のメニューが先ほどから一向に更新されないためそろそろ並ぶのにも飽きをかんじ始めていたところだ。ティアがあれかも、と指さすのは今いる場所の少し先で、他の生徒に隠れてギリギリ見えない。


「マジかよ、これ」


 しばらくして見えてきたメニューにルクスは正気を疑った。壁掛けのメニューには燃え盛る炎のような緋色で『超激辛! シャキシャキ食感、マシマシネギカレー』と声高らかに喧伝されていた。


 山のようにこれでもかと盛られた千切りのネギの隙間から薄茶色のルーがわずかに顔を覗かせている。見た目だけはいたって普通のカレーで、写真からではとても激辛だとは思えない。しかしその凶悪さはルクスでも聞き及んでいた。曰く罰ゲーム感覚でふざけて注文した生徒がその後医務室に搬送されたとか。酷いものではその場で気絶したとも。


「あんなもの好き好んで食べるやつがいるとは思えないんだが」

「辛さがいいアクセントなんだって。レイちゃんってばやけに自信たっぷりに話してたよ」

「辛いのは辛いのか。なんでそこまでして食べるのか理解できねえよ」

「レイちゃん、いつもあれに辛さ増しと追加でネギのトッピングして食べてるよ」

「マジかよ……もはやカレーである必要もないだろ」

「こればっかりは私にも分からないけど、それがいいんだってさ」


 その後しばらくしてカウンターへとたどり着き三人分の料理を注文した。あれだけの待機列でありながら調理師たちの動きは敏速ですぐに注文した料理が出てきた。これこそベテランの仕事というべきか、いつ見ても感心するほどだった。


 ティアとルクスが注文したのはどちらも申し訳程度の天ぷらが乗った極々シンプルなソバ。そして問題の激辛マシマシネギカレー。メニューの通りのルーの色からは想像しがたいツンとした香辛料の強烈なにおいが辺りに漂っているのがわかる。匂いをわずかに嗅いだだけでも身体が水を求めるほどで、すれ違った生徒が何事かと振り向いていく。実際に食べなくとも、これがいかに危険な食べ物なのかがよくわかる。


「俺らの分にも匂いが移ったりとかしないよな、これ」

「どうだろうね、あはは……」


 三人分の料理を盆の上にのせているとはいえ少しでも溢そうものならこの劇物が今以上に周囲に拡散するかと思うと、盆を持つルクスの手が小刻みに震えた。

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