箱詰めの魔法 ―2
しかし、その一文字目を口にした瞬間空気が爆ぜた。魔法になり損ねた魔力の塊がレイの制御を離れて暴走し天井までを焦がす火柱が狭い部屋を満たす。
「レイちゃん!」
ティアの絶叫が遠くに聞こえる。目の前で立つ火柱は何の燃料もなしに燃え続けその勢いは増すばかり。暴れまわる蛇のようにうねりながら天井まで到達するとそのまま放射状に広がりティアやルクスが待機している場所まで手を伸ばそうとしていた。
「ティア、消火だ。氷魔法」
「う、うん」
ただ火という性質を持ったまま際限なく膨れる魔力は既にレイが起こした魔法などではなく自然現象となっていた。これだけのものを目の当たりにする機会など学院にいるだけではまずない。熱と恐怖がその場を支配していた。
天井を這って炎が部屋全体を包もうとする前にティアの正面に淡い青色の陣が浮かんだ。かすかに光を放つ陣は背中からティアの魔力を吸い上げてゆっくりと右に回転し始める。部屋を満たす炎の塊に対してティアがイメージするのはそれをさらに上から包み込む氷の壁。イメージが固まると、回転していた陣が強く光を放ち始める。そうして集約された魔力を魔法に変える呪文をティアが詠み上げる。
「極点の障壁、地点を青く染める源。波の際にその身を凍て――――
紡がれた言葉を引き金に浮かぶ陣が一層の輝きを放つ。陣から急速に放出された魔力の冷気が火柱を包み始めた。瞬く間に周囲を凍結させるティアの魔法とそれに対してひとりでに勢力を増すレイの魔法。相反する属性の魔法は打ち消しあい互いの性質を変容させた。部屋中を這いずる火炎は氷の魔法を嫌うようにさらに複雑に形を変え、火炎に晒された氷はその状態を水に変えて降り注いでは逃げ惑う炎を追い詰める。
すべてが落ち着いて一息つくまでにそう時間はかからなかった。少し焦げ付いた天井と部屋に残る焦げ付いた匂い。空気中に舞う煤が先ほどまでの惨状を物語っている。
「レイちゃん大丈夫?」
周囲に残った黒煙を振り払ってティアがレイの元へ駆け寄る。ティアたちが立っていた場所よりも壁や天井の焦げ付きが強いように感じる。その中でも不自然に床が無傷の場所にレイが啞然して尻餅をついていた。煤の痕が所々に残っていたが、それ以外には特に目立った外傷もなくほっと息をついてティアが手を差し伸べる。
「あ、ありがとう」
取ったレイの右手は汗がにじみ、小刻みに震えていた。手を引かれ立ち上がったレイはしばらく一方の手を見つめた。あれだけの魔力があふれ出したのもそれによって自分の命が危険にさらされるのも、これまで一度もなかったわけではない。しかし、一度思い起こされるとふさぎかけていた傷跡が開くように鮮明に思い出された。
「本当に大丈夫? 少し休もうか」
「ううん、本当に大丈夫だよ。少しびっくりしただけだから」
これが強がりだということはレイに自信にも分かっていた。自分の想像以上の出来事に驚きとそして少しの恐怖が湧く。自分にあれほどまでの力が、というよりもあれだけの危険性を秘めているのだと再認識させられた。
「ティアの言うように少し休もう。もう少し安全に、次を考えなくちゃな」
ルクスの一言で訓練は再び中断となった。訓練場内の休憩室に移動して腰を落ち着ける。ここでも匂いと煤が気になったが仕方のないことだと割り切った。
「さっきのを見た感じ、魔力制御さえどうにかなればなんとかなると思うんだけどな」
休憩室に備えてあった飲料水を一口に飲み干すとルクスが切り出した。その口ぶりはレイの沈んだ気持ちを無視するようにやけに楽観的だった。
先ほどまででレイが何ができて何ができないのかが判明した。魔法を起動するために必要な魔力は潤沢にある一方でその制御ができない。そんなレイはまさに暴走機関車と言ったところだろう。それを御せるようになれば並ほどの実力はあるというのがルクスの見解だった。
「じゃあこれからはその訓練を中心にするってこと?」
「そうなるな。自分の魔力が自分で制御できないやつは初めてだからちょっとずつ手探りでやってくしかないけどな」
「なんか、本当に申し訳ないです……」
ティアもルクスも完全に善意の下レイを見てくれているとは分かっていたが、ここまでくると迷惑をかけているのではないかと心配してしまう。教えがいがあるとルクスは言ってみせたが、これではティアたちの時間をただ無駄にしているような気になってしょうがなかった。
「私だけ色々面倒見てもらってなんだか悪い気がするよ」
「そんな、気にしないでよ。ルクス君はともかくとして私はレイちゃんと一緒に卒業したいからこうしてるんだよ」
「おい、ともかくってなんだよ。でも俺も交換条件とはいえ目の前で留年して卒業できないやつを見るのはなんだか忍びないからな」
「うぅ、頑張ります」
小さなうめき声とともにレイは机に伏せる。もともとできないと分かっていたことだったが、簡単な魔法すら満足に扱えないのを今一度実感すると、生傷をえぐられるような苦しみが押し寄せてくるようだった。残された時間は残り僅かながらも、課題は頂が見えないほど山積みなのだ。本当に間に合うのかと不安が募るのも無理はなかった。
「そうだな、魔力制御に慣れるためにはできる魔法で出力を上げ下げするのが一番感覚をつかみやすいかな」
「幸いレイちゃんでも基本魔法はある程度使えるしね」
「それに魔法の規模をコントロールできるなら、さっきみたいにきちんとした魔法の形になってなくても武器にはなりそうだしな」
実際に実技試験が行われるのはこの訓練場の十数倍はある巨大な競技場だ。複数の競技場で同時進行的に行われる試験中であれば先ほどの名もない火柱でも相手を圧倒することはできるだろう。そのためにも自分に害が出ない程度には制御できるようにならなくてはならない。
「とそれとは別になるんだけどレイってさっきやったみたいに手をかざして集中しないと魔力集めたりとかできないのか?」
「うん、そうだけど。何かまずかったりするのかな」
まずいことを感づかれた、といったようにレイの背中に冷や汗が伝う。
「まあ今は問題ないんだけど、実践するとなったら棒立ちだしどこに向けて魔法を撃とうとしてるのが丸分かりだからな。そこも改善しないとな」
手をかざして魔力を集める。その行為自体は初心者であればだれもが習う初歩的な動作だ。手というわかりやすい身体の部位に意識を集中させることでより簡単に魔力を集めることと、さらには撃ちだした魔法の軌道を補助することができる。しかし、ルクスが言うように実戦時には格好の的になること間違いなしである。まして撃っては逃げ、撃っては逃げを繰り返す様子はあまりに滑稽に映るだろう。
「レイちゃん、同時に何個も別のことするの苦手だったもんね」
「そりゃ授業が始まってすぐにできるようになったティアに比べたら苦手だけどさ」
「でも多分俺らと同年代でもできないのはレイだけだと思うぞ」
「それはごもっともです。でもいざやってみると基本魔法ですらうまく魔力が集まらなくなったりするんだよね」
「それでもできるのとできないとじゃかなり差が出るぞ。仮に大規模な魔法が扱えるようになっても時間が起動まで時間がかかるんじゃ本番じゃ使い物にならないからな」
「魔力制御を完ぺきにこなしながら手を使わないで魔力を集めるなんてよくみんなできるね」
「レイちゃん、それ授業で習ったから多分二年生の子たちでもできるよ……」
「練習だけなら私もやったよ。でもできないんだってば!」
「やることは山積みだけどゆっくり確実にやってこうぜ。なんたって夏休みが丸々あるんだからさ
ルクスの言う通りだった。今まで一人教科書とにらみ合ってできなかったことも力強い仲間が二人もいるのだ。できないはずがない、とレイは無理に期待と高揚感が膨らませた。
「でさ、これから頑張ろうってときだと思うんだけどさ。私、お腹空いちゃった」
壁掛けの時計を見ると正午前になっていた。
「これからだってのに呑気だな全く」
「だって朝から何も食べてないんだよ?」
「確かに私もお腹空いてきちゃったかも。ね、ルクス君お昼休憩にしようよ」
二人からの視線と圧力は人数比も相まって相当なものだった。朝どころか昨晩から何も食べていないのはルクスも同じだったが、こういう訓練事は始めが大切なんだと自分に言い聞かせた。しかし、結局のところルクスの返事を待たずにレイとティアが出発準備を終わらせてしまったために訓練の雰囲気自体がご破算になった。
焼け焦げた壁や天井、そのほかレイが大量に発生させた煤やティアの魔法で床が水浸しになっていることを管理室に伝え忘れていたことは言うまでもない。
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