箱詰めの魔法 ―1
「やっぱり私たちしか利用してる人いないみたいだね」
訓練場の申請を済ませて受付を後にするとティアが口を開いた。その左隣をレイが歩いていた。
「ティアの言ってた通りこんな朝早くだからね。でも私、普段訓練場なんて来ないから全然分からないんだけど、いつもは混んでるものなの?」
前を歩くルクスが「そうだな」と考え込む。
「試験前とかはあり得ないほど混んだりするけど、そうじゃないときもそれなりに埋まってたりするぞ」
レイが試験前に仕方なく訪れる際にはどの部屋も埋まっていて空きを探すのすら一苦労だったのを思い出す。雰囲気からして自分が場違いなような気がしてそれ以外で近づこうともしなかった。
「でも戦闘訓練だけじゃなくって運動施設として使ってるやつもいるみたいだぞ。ちなみに夕方とか夜の利用率が高かったりするな」
学院に整備されている訓練施設は少人数から利用できる小部屋程度のものから試験で使用されるような大規模なものまで数多くある。日ごろから利用申請さえ出せば生徒でも好きな時に利用できるものだが、今回は好きな場所を好きなように使っていいとの許可が下りた。ルクスが二人を先導して通路の突き当りにある手ごろな小部屋に入った。
無機質な灰色に囲まれている訓練場の壁面や天井、床には対魔術用の刻印が施されていた。鈍く光を放っている刻印はわずかに不気味さを感じずにはいられないが、これのおかげで仮に大規模な魔法が行使されたとしても部屋の外へ音や衝撃が漏れる心配がない。
「さっきので魔力が足りないわけじゃないのがわかったし次のステップに行くか」
次のステップ、と首を傾げるレイにルクスが続ける。
「一通りの基本魔法をやってみてくれ。俺らは見とくから」
「え、でも」
レイが困惑を示す。魔法が使えない、と伝えたことをルクスは忘れているのではないだろうか、そう思ってしまう。やったところで何かしらの失敗するのは明らかである。
「きっと失敗するってそう言いたいんだろ? でも失敗するって言っても見てみないとどこが悪いとか分からないからな。それに、誰だって新しい魔法を覚えるときはまずやってみてから試行錯誤するもんだぜ」
釈然としないままレイは首肯した。ここまで来て渋ることに意味もないだろう。そのままゆっくりと部屋の中央へと向かった。一方でティアとルクスは壁際に腰を下ろした。
部屋の中央に立つとレイは目を閉じた。基本魔法は火、氷、風、地、雷、光、闇の全部で七つ。いずれも学院に入学してすぐに習う魔法の基礎中の基礎だ。そのころから躓きの片鱗をのぞかせていたレイにとっては誰もが難なくこなしてしまう基本魔法ですら苦手意識を感じずにはいられない。
学院に入学してくる生徒らはすべからく魔法の才能があるとされているが、入学時点で満足に魔法が扱える人間はまずいない。その頃は周囲の生徒らもレイと大差なかった。
誰もが初心者の中、初めて魔法を習うときには『イメージを大切にしろ』と度々教えられる。自分の体内にある魔力を他の物質へと変化させて体外へ放出する魔法は完成形のイメージが固まっていないとうまく起動しないからだ。とはいえ、これといって明確なイメージが用意されているわけではない。人によって千差万別で、火の魔法一つとっても燃え上がる灼熱を想像する者もいれば篝火程度の小さな火を想像する者もいる。ただし、基本魔法だけは例外で、どの属性の魔法でも真円をイメージするようにとありとあらゆる書物にそう記述されている。
レイも教本の通りに真円の火球が目の前に浮かぶさまを思い浮かべる。意識が集中するとともに全身を魔力が駆け巡るのがよく分かった。体内を時計回りに駆ける魔力を末端から徐々に手先へと集約させ、次第に密度を増す魔力を手のひらへ少しずつ放出する。ゆっくりと目を開けると目の前にイメージ通りの火の玉が漂っていた。
「これぐらいなら。ギリギリできるって感じだけど」
手のひらの上でわずかに浮遊する火の球はゆらゆらと弱々しく燃えていた。しかしこれが現定レイにできる精一杯の魔法だった。
「火の基本魔法は問題ないみたいだな」
一応安定している魔法の状態を見てルクスも感心しているようだった。先ほどのランプのように爆発してしまうのではないかと一抹の不安を抱えていたが、杞憂に終わった。
その後でルクスは同じように他の属性の基本も魔法もやって見せるようにレイに伝える。火の基本魔法が成功したことに調子付いたのか、一番最初にレイが見せていた緊張も消えているようだった。
その後続いた氷魔法では、火同様に球ができたが、徐々に溶けていき少しすると完全に液体に代わってしまった。風魔法では、球自体がうまく作れず部屋全体にそよ風が吹くにとどまった。雷魔法も球状に魔力が集約することが無く手の上でスパークを起こすだけ。地属性の魔法は固体としてのイメージが掴みやすかったのかすぐに成功して安定もしていたが、逆にその後の光魔法と闇魔法は形が不定な分、他の魔法よりも不安定さを見せていた。
一通りの基本魔法を終えてレイはその場に座り込む。こめかみにうっすらと汗の粒が浮かんでいた。
「属性ごとに差はあるけど基本魔法は問題なくできるみたいだな」
「でもやっぱり下手だなって自分でも思うよ。だってこれ今の一年生ができることでしょ」
ルクスの方を見上げてレイが言う。一年目の夏であれば上出来と評価されるかもしれないが、あいにくレイは今年卒業を控える七年目である。もちろんティアやルクスといった同学年の他の生徒らは基本魔法などとっくに完璧にマスターしており、より高度な魔法の習熟に努めているはずだ。
「レイができる魔法って後何があるんだ?」
「残念ながら基本魔法だけです」
言葉尻とともにレイの首がうなだれる。この六年半幾度となく繰り返してきたが、起動に成功した魔法は各基本魔法のみでそのほかの魔法は箸にも棒にもかからない。
「爆発したり何も起きなかったりで点でダメだったよね」
「点でダメって、ひどいよ」
座ったままのティアが思い出すように言った。ひどい、と言ってみたもののこれまで付き添って目の前で見ていてくれたティアがそういうのだからレイの魔法は相当にひどかったのだろう。
「じゃあ、やってみるか」
「本当に言ってるの? 何が起きるか私にも分からないんだよ」
あまりに気軽に提案するルクスに驚きの目を向けずにはいられない。うまくできないと言っても、レイもわずかな期待にかけて一度は試してみた。しかし結果としては芳しくなく、それも暴走の上爆発に留まらず何が起きるのか魔法を行使しているレイ自身にすら分からない。そんな状態で試してみることにあまり気が乗らない。
「何度も言ってるだろ、失敗してみないと分かんないんだって」
「でも」
「何のために訓練場に来たと思ってるんだ。ここなら何やったって大丈夫だって。怪我してもティアがいるし」
それでも、とすんなりとはレイは頷けない。しかしわずかに望みをかけてティアの方を見ると笑顔で手を振っている姿が目に入った。
「ルクス君の言う通り大丈夫だって。それにそんなんじゃ、いつまでたってもできることもできないままだよ」
最後の望みがついえたところで、もうどうにでもなれと投げやりな気持ちを燃料にレイの首が縦に揺れた。ここでなら失敗したところで恥をかくこともないだろう
手始めに、とルクスが提案したのは火の魔法。基本魔法が最も安定していた属性ならば少しは可能性も上がるのではないかという考えだ。そして先ほどとは立ち位置が変わりレイは部屋の隅、ティアとルクスはその対角線上に座っている。少人数用の小さな訓練場ではあるが、隅同士にいればそれなりに距離が開く。これである程度の安全を確保できたはずだが、ルクスがその提案をすると「大丈夫って言ってたくせに」とレイから非難の声が上がった。
「じゃあ、行くよ」
大きくゆっくりと深呼吸をすると、先ほどと同じく目を閉じる。暗転した視界で集中とレイは自分に言い聞かせる。失敗するかもと何度も言ってきたが、試すときには必ず成功すると思ってやってきた。やれることは何でもやると自分で言った先ほどの言葉を思い出した。これが今レイにできることで、それを精一杯やってみるだけだった。
タイミングをつかむと基本魔法同様に体内で魔力を循環させる。テンポよく速度と量を増していく魔力が徐々にレイの左手に集まってきた。イメージするのは手のひらで渦を巻く小さな炎。体内での対流をそのまま渦の回転として手のひらで再現する。魔力が炎の渦をかたどったところで呪文を読み上げればこの魔法は完成する。
集まった魔力が熱を帯び始めているのが感じられた。わずかに目を開けてみると手の上で純粋な魔力が渦を巻いていた。この魔力の塊に魔法としての効力を持たせる詠唱をすることで初めて魔力が魔法へと姿を変える。熱せられた空気を吸い込んで呪文を思い出す。魔法が使えなくてもレイが必死になって覚えた呪文だった。
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