茜色 ―1
教室のドアが閉まると同時に抑圧されていた声がどっと膨らんだ。皆先ほどまでの先生の話をどれだけ我慢して聞いていたのだろう。今の騒がしさがその反動なのだとすれば相当我慢していたらしい。さながら高圧に圧縮された魔力の塊が急にはじけ飛んだような騒がしさだ。
聞き耳を立てるまでもなく前後の流れからして教室中がなぜこれほどまでに活気づいているのかがわかる。皆一様に操業試験の話をしている。しかもよりによって実技科目についてだ。やれ、自分ならどれくらいの余裕を保ったまま戦えるだの、自分の能力はどれだけ希少で有力なのかだの云々。
前提としてそもそも同じ立場にすら立てていないレイにとっては全く聞くに堪えない話なので思わず耳をふさいで机に突っ伏した。そんなことをしても入ってくる声はちっとも小さくならない。そんなこと自明だったが、ある種現実逃避にでもなればいいという逃げの気持ちがそうさせた。
どれだけ実技試験に自信があればみなと同じようにしていられるのだろうか。試験の前には毎回こんなことをしてまで周りの話題にわざと乗らないようにするほど自身の程度の低さを思い知らされる。こういった話題で教室中が盛り上がるときには周囲のボルテージとは反比例してこうしていた。
「卒業試験だけはどうにかしようって四月から考えてたはずなのにもうこんな時期になってたなんて……どうしよう」
教室の一角で一人頭を抱えるレイは賑わう教室において一線を画してどこか異質なもののように映る。誰もが試験に合格する前提の下内容の良し悪しについて語らっている中で、レイだけはどのようにして試験に合格するのかその方法を探しているのだから。
「ここまで何もできてない分を夏にどうにか……。いや、今までの試験と同じでどうにか今回も間に合うなんて思えないし。でもかといって一回で合格できなきゃ頼る人がいなくなったままズルズル留年し続ける未来が……」
どんなに都合良く考えを巡らせても実情を誰よりも知っている以上通り過ぎるビジョンは不合格に次ぐ不合格。最終的には惨めに学院を中退するところまで想像が行き着いた。卒業していく数少ない友人たちの背中を留年の二文字を抱きかかえながら見送る自分の姿はあまりに惨めなものに感じられ、その上皮肉なことに余りにしっくりと驚くほどリアルに想像できた。
「こればっかりは誰かに頼らなきゃどうしようもないってわかってるけど、かといって誰が半人前未満に指導してくれるっていうのさ……ダメだ。私の魔術師としての人生は始まる前に終わるんだ」
諦めの境地に達してさらに深々と顔をうずめるレイ。始まる前から終わるなどと身もふたもないことなど考えたくもないが、現状は誰よりも知っているつもりだ。追い詰めるような文言がいくつも頭をよぎった。
学期ごとに集計されるレイの成績評価はいつも中間のやや下をさまよっている程度。それもトップレベルの座学の補助が無ければ地にめいっぱい額をこすりつけても足りないほどだろう。事実としてレイは実技試験の成績は入学して以来一度たりとも満足に合格点を取れた試しがなかった。
そんな中で卒業試験は元来の試験よりも実技に対する比重が大きくなる。にもかかわらず魔法の扱いに関しては素人未満のレイの実力では試験の合格どころか試合中大事に至らないように気を使う方に注力するべきだろう。
「本当に……どうしよう」
ひとりでに沈み込む気持ちはそこを知らず、次第に周囲を暗く分厚い雲に覆われてさらに重さを増していくようだった。
しばらく顔をうずめていると授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。依然として教室内の音量は大きいままだったが、それに加えて机やいすを引きずるような音が加わり始めた。帰る生徒が出始めたのだろう。今日は前期の最終日。終業式も後期に迫る卒業試験の説明も午前中にすでに終わっており、あとは何の予定も残っていない。つまり明日からは誰もが街に臨んでいた夏休みが始まるというわけだ。
卒業試験を控える七年生といえども、夏休みという単語には否応なしに期待に胸が膨らむ。レイももちろん夏休みは好きだ。自由な時間が大量に確保される分、これまでなかなかできていなかった読書など自分の好きなことに思いきり没頭することができる。とりあえず読みかけのシリーズ物の本を読了してから何をしようか。夏休みという単語を思い浮かべてから先ほどまで感じていた焦りは一瞬どこに行ったのか、次々と浮かんでくる楽しげな予定に浮足立った感覚を覚えた。
だが、冷静に考えて今年はそうもいっていられない状況であった。超えなければならない大きすぎる壁を目の前にして、そんなことにうつつを抜かしている場合ではないことぐらい重々承知している。ハッとそのことを思い出すと、一瞬のうちに複数浮かんだ夏休みの予定が霧散していった。代わって次々にどうにかしなければ、というそんな焦り再びがあふれ始め、心の中で膨らんでは時間の経過さえ忘れさせた。
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