教壇より


「――――と、以上で秋からの卒業試験の説明を終わる。何か質問があるものは?」


 講師の声が教室内に響く。一クラス四十人を超えているためいつもは授業中といえどももっと騒がしいはずの教室も今回ばかりは囁き声ですらトーンが一回り小さく感じられる。変に目を付けられて指名されることを警戒しているのか、誰一人として講師と目線を合わせようとしない、これだけの人数がこの狭い教室に押し込められているというのに、教壇がきしむ音が聞こえるほどに静寂が流れる。


 確かに急に質問と言われても大半のことは配られて全体資料になかに記載されている字面通りで、生徒が疑問に思うようなことまであらかじめ事細かに明記されている。この場ですぐに思いつく程度の疑問ならわざわざ聞くまでもなく、隣の席同士で顔を見合わせるような者はいても、この状況であえて挙手するような物好きはいなかった。

 講師が教室を一周見回すと、ぼーっと資料に目を落とす生徒、隣の席と小声で談笑する生徒、机に突っ伏している生徒、授業の終わりを今か今かとソワソワしている生徒と様々。


「みんなもわかっていると思うが、卒業試験に合格できなかったものは強制的に留年が確定する。くれぐれも実技と筆記どちらも疎かにすることのないように」


 これ以上は待っても無駄と判断すると最後に軽く締め、手元にあった資料のあまりを手に教室を後にした。


 廊下に出て引き戸を閉めるや否や教室内のざわつきがどっと大きくなった。自分たちの卒業がかかった試験だというのにやけに他人事のように受け取るものだ、と少々冷めた感情を抱いた。これなら普段の定期試験の時の方が数倍緊張感が漂っているといっても過言ではない。試験の大まかな内容も採点方法も今までと大して変わらないというのに。ただ、生徒たちの気持ちもわからなくはなかった。確実な命の保証がされているこの学院内において、単純に勝敗で以てのみ卒業資格を得られるのであれば、当然話題の矛先は自分が如何にして勝ち星を獲得するのかという点だけだ。


 魔法の腕を自慢する者もいれば剣技等戦闘技術そのものに磨きをかける者もいるだろう。自分も過去学生だった時には友人らと同じような話題で盛り上がっていたことを考えると、こうして冷ややかに俯瞰している自分もかつては彼らと大差ないのだと懐かしいような悲しいような気持になる。


 必要以上に無駄な装飾はなく、一見すると無機質にも思えるように彩られた廊下はこの学院設立当初の流行を取り入れていたらしいが、現代のセンスでは全く理解ができない。一番下は九歳から上は十六歳まで、それだけばらけた年齢層が一つ屋根の下で生活するにはこれぐらい質素なものの方がよいのだろうか。


二十代もすでに半分が終わろうとしている自分には物足りなささえ感じられる。こういったことに疎い自分でさえ、少なくともこれに素晴らしいと称賛の声を上げる気にはなれない。最近になってもう少しマシな案を出す奴はいなかったのか、と誰にともなく独り言を漏らした。


 職員室に戻る道すがら別の教室から出てきた講師と廊下で鉢合わせた。


「確か今日あたりに卒業試験の説明の日でしたよね。どうでした、生徒たちの反応は」

「どいつもこいつも似たような感じだったな。みんなまるで他人事みたいに暢気なものだ」

「でもまあ、ここまで来たら卒業試験なんてあってないようなものですからね。そこまでひどい出来でなければ学校側が配慮してくれますし。何より卒業試験なんて仰々しいものなんか名目だけで学院全体を巻き込んだ発表会みたいなものでしょう」


 話を聞けばどこのクラスでも同じような感じなのだという。試験という体である種文化祭だとか体育祭のようなイベントごとと勘違いしているような意識の低さらしい。これでも外からの評価としては魔術の名門だ。内情の詳細は外部に漏れないとはいえ、名門などと吹けば飛ぶような安っぽい看板だなと思う。


 一教師としては単に学生だから試験の一環として身に着けた技術、で終わってほしくないと感じている。事実としてこんな生徒たちの自慢大会で披露できるような技術があったとしても、この場所を立ってからそれらが役に立つことなどそうそうない。むしろそれだけでこの先生きていける人間など学年の中で四割に大きく及ばない。


ある程度座学ができていた方が研究職であったり教職など選択肢が広がのだから、生徒たちを程度が低いなどと評するこんな自分でも、彼らに自らの命を危険に晒すような生き方はしてほしくないと思っていた。それが叶うのであれば学生の時の戦闘技術などなくてもよいはずだ。しかし自分のそんな願いは一向にかなう気配がないことを感じると、小さくため息がこぼれた。


「学院長辺りに試験内容の見直しでも持ち掛けてみるか」

「それ本気で言ってます? かなり面倒だと思いますよ」


 隣を歩く同僚がひどく嫌そうな顔をした。その表情があまりに腹立たしかったので一瞬手が出そうになったが、言いたいことも分からなくもない。試験の開始を前にして今までのシステムを根幹から変えろなどと自分が言われる立場であったら間違いなく却下しているところだ。


「何もすべてだなんて言わないさ。せめて採点基準だとか実技と学科の点数配分を均等にするとかその程度さ」


 座学も疎かにしてはいけないな、と感じる感覚さえあれば戦闘技術を磨くことに全力を注いでいるような脳筋の生徒の数も多少なりとも是正できるはずだ。そもそもどちらもできるようにしてこそ名門を謳うにふさわしいのではないか。そう思うとがぜん使命感がわいてくるような気がした。


「でもまあ僕は面倒ごとにできるだけ巻き込まれたくないんで、一人だけで適当にお願いしますね」

「なんだとこの薄情な奴め。承認されたときに覚えてろよ」

「はいはい、承認されたらですよ。その時は真っ先に称賛を嫌というほど浴びせてあげるんで期待しといてくださいよ」


 全く以って身勝手な言いようだったが、逆の立場なら自分も同じように煽っていただろう。自分も大人になったせいか随分と身勝手で小狡い考えをするようになったものだと我ながら感心していた。


 そんな大層なことを考えていたが、試験の採点どうこうよりも先にこのセンスのない廊下のデザインはもう少し現代風に変えるべきだとそう思った。

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