無気力、非力、無計画 ―2


 期末の試験のたびにレイは今度こそは、と意気込んでティアに練習に付き合ってもらっていた。基本的な魔法から少し応用を聞かせた魔法まで。レイの年齢ならまず失敗しないだろうと予想を立てたところまでは良かった。しかし結果は言うまでもなく、基本の魔法が少しできただけであとは不発か爆発か。これまでに大事に至らなかったことが奇跡的なほどだ。


 回を重ねるごとにレイのやる気は削がれていった。それに代わって律儀に机に向かう時間が増えた。結果的に座学の成績は跳ねあがり、今では学年トップにまで躍り出るに至る。両立を図ろうと画策していたころと違って勉強一本に絞れたおかげで、実技試験を免除してもらえる口実ができたことは実に皮肉なものである。


「何かいい案でも思いつけば私だって頑張るよ? でもそんなの簡単じゃないって分かってる。かといって自分のことなのに全部人任せにもできないし。自分でどうにかしなくちゃ」


 大きなため息をついてレイは落ち込んで見せる。何もせずに嘆いているならまだしも、あらゆる手を尽くしたうえで結果が伴わないというのは、何にもましてレイに虚無感を抱かせていた。


「うーん……じゃあそれがどうにかなれば、レイちゃんも本気になって頑張ってくれるってことだよね」

「え? ああ、うん。でもティア話聞いてた? 自分でどうにかするって」

「大丈夫だって! レイちゃんが重たい腰を上げてくれるなら私も協力するって」

「でもそれじゃ今までと変わらないし」

「私に任せてよ。何かいい方法が無いか私も探してみるからさ」

「なんか私が思ってたのと違う気がする」


 よし、と気合を入れるとティアがおもむろに立ち上がった。


 ティアがいくら気合を入れてもレイはそれについていける気がしない。頑張ろうとする気持ちはあるのだが、どうしてもうまくいく未来が見えない。


 重い腰を上げるなら、と言われても今ここでレイが授業に参加しようとしないように、なんとか都合の良い言い訳をしてしまうのではないか。親友がわざわざ根回しをしてくれようとしているのにもかかわらず、レイの腰は金属の塊のように一層重さを増していくばかりである。


「じゃあ私はそろそろ戻るけど、レイちゃん本当にいいの?」

「いいのって何が? 授業になら参加しないよ。見学するって言ってあるし」

「試験は毎回頼み込んでるからともかくとして、よく授業も見学の許可が下りるよね」

「またお前か、って毎回ものすっごく渋い顔されてるけどね。まあそれにももう慣れたよ」

「ねぇレイちゃん。やっぱりちょっとだけやってみない?」

「何度も言ってるでしょ。私はやらないのー」

「えー、一緒に行こうよ。悪いようにはしないからさ」

「それ、これから頑張るかもしれない人に掛けるような言葉じゃないじゃん!」

「あ、間違えた」

「もういいよ。ここでみてるからティアだけで戻りなよ。グループの子も待ってるんじゃないの?」

「分かったよ。でも、卒業試験の対策は絶対一緒だからね」

「はいはい、分かったから。行ってらっしゃい」


 笑顔で手を振るティアにレイも同じく手を振って見送った。強い夏の日差しの中を歩いているティアの後姿はどことなく浮かれているような、嬉しそうな、そんなように見える。


 気軽に約束をするべきではなかったのかもしれない。レイのことを思ってとはいえ、レイの想像以上にティアをその気にしてしまったようだ。


 毎回魔法の使えないレイのために手を尽くしてくれるティアはレイにとってかけがえのない存在だ。しかし時折りその押しに逆らえなくなるときがある。幼いころから一緒に過ごしてきた分、レイが押しや頼まれごとに弱いことを熟知しており、的確にその弱点を突いてくる。その度に何かと言い訳をして逃れようとしても、それすらティアの術中にいるような気分にさせられた。


 木の陰が一層深くなっていく。授業が始まったころには、少し足を延ばせば日向に届きそうだったが、今はレイがすっかり収まるまでに陰が伸びている。頭上で音を立てる葉は退屈そうなレイを少しでも楽しませようとしているのだろうか。必要以上に風に揺れているような気がした。


 木陰から動かないまま、レイは元のグループの他の子たちと合流するティアの姿を目で追っていた。どうやら広場の中央に陣取っていたらしく、そこまで移動するとティアとグループのうちの一人が向き直る。


 そしてしばらくすると相手の子が宙に舞った。ティアが氷の魔法を使ったところまでは分かっていたが、具体的にそれがどんな魔法なのかは流石に見えなかった。遠目にうっすら見える薄青の大きな魔法陣が地面から突き出たのが見えたかと思えば時は既に遅かった。相手も応戦しようとしていたが、それでもティアの方が一歩早く、相手に魔法を発動させることすらさせなかった。ティアの圧勝である。レイのいる場所からでも目視で確認できるほどの氷の塊をいくつも出現させていた。


 あれだけのことをしておきながらレイには悪いようにはしないと言うのだから親友の胸中が心配になる。安易に誘いに乗らなかったのは賢明だった。もしも後先考えずについていけば今頃地面に転がっているのはレイ置き換わっていたに違いない。


「あれぐらいなんてわがまま言わないから、せめてもうちょっとまともになればなぁ」


 これだけレイが苦労してきたというのに、他の生徒らがさも当然のように魔法を使っているのは何か不平等な気になる。入学した時期は同じでも、既に周りの生徒らはどんどん先へ行ってしまった。今ではティアが気にかけてくれるだけで基本的にはレイが群を抜いて遅れている。


 もう一度手の上で火の魔法を編んでみる。身体中に巡っている魔力をゆっくりと手に集中させてようやく一つの火の球が現れた。手の上でふわふわと浮遊する球はすでに空気へと溶け始めている。本来は魔法が掻き消えないよう継続的に魔力を注ぐのだが、レイはわざとそうしない。しばらく眺めていると火の球は完全に空気に消え去った。わずかに残った魔力の粒子も風に吹かれてどこかへ流されていく。先ほどまですぐ上で火が燃えていた左手は全く熱さを感じていない。あれが本物の火ではなく魔力によって編まれたものであることをたらしめていた。


 こうして本当に稀に自主的な魔法の練習をしていた。上達を過度に期待しているわけではない。ただせめて今より少しでもましになればいい、程度にしか考えていなかった。学院に入学してすぐならまだしも、半年後に卒業を控えている身で今の何倍も魔法の扱いに慣れることなど今のレイには土台無理な話である。今はどのようにして試験をすり抜けるのかを考えるので手一杯だった。


「何かいい方法でもあればいいのに。誰かが私の体を使って代わりに試験を受けてくれる、とか。なんて、流石に無理か。あーあ、やっぱり自分で何とかするしかないんだよね。どうしよう」


 焦りをにじませた独り言をつぶやく。これまではまだ先があるから、と楽観的に考えていた。しかしそろそろそれも立ちいかなくなってくる頃だ。次の手、ではなく状況を打開する妙案がどこからか降ってこないか。結局どこまでも他力本願な考えしか浮かんでこなかった。


 大きな欠伸をした。正確な時間は分からないが、ここに座ってただボーっと授業の様子を眺め始めてからだいぶ時間が経っているはずだ。


 一人、また一人と空に舞う生徒の姿が遠めに見える。レイがその場にいないことと彼らと面識がないのをいいことに、今日は何人の負傷者が出るのだろうと不謹慎極まりない考え事をしていた。


 そこに天罰とでもいうのか、レイの頭上から固いものが落ちてきた。


「痛っ。なに、これ。木の実?」


 地面に落ちてもなおレイから離れようと転がっていく物体を左手でつまみ上げた。この樹のものなのだろうか。見たこともない木の実だった。緑色で小さい、まだ成長しきっていない未熟なものなのだろう。本来あるべき場所から落ちてきた、という点ではこの木の実はまるでレイ自身のように思えた。そしてこれがレイの現状を打開してくれるような妙案ではないことは火を見るより明らかだった。

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