第11話 死体ダンス
一国の総理大臣がテレビ中継も入っている国会の答弁中に「不可解な爆死」を遂げるというセンセーショナル極まりない出来事が起こったものの、そのような話題も2週間ほど経てば誰も口にしなくなったし、メディアも取り上げなくなり、ネットにアップされている動画も、見られなくなっていった。
《最初は凄く面白いと思ったけど、総理が死んだだけで、自分が死にそうとかやばいとかそういうことではないわけで、なんか、そう考えると、どうでもいいかなって。むしろ、なんでそのことに気付かなかったんだろうかって不思議に思った。総理が死んでもどうでもいい感じ。遠い人だし、それにそもそも、他人の命とかって、正直興味ないんで。他人が死んでも自分が死ぬわけではない。当たり前のことだけど、そう思うと、あれ?なんか死んでる、でも関係ないよね?という程度にしか思わなくて。それに良く考えるとグロイしキモイし、なんか嫌だなって。あんなの好んで見る人は変態だと思う。思想が気色悪いから、私には近づかないで欲しいかな。》
……『なぜ首相の爆死映像に興味がなくなったのかについて街頭100人に聞きました』という番組での、ある一般市民の回答。
首相の死の3日後に『鎌形首相という奇跡・歴代最高の総理』という書籍が販売され、発売初日に売り上げ120万部を突破するベストセラーになった。
だが販売1週間後には全く売れなくなり、すぐに古本屋に売られた。
それほどに、飽きられるのが早かった。
その著者・沢木義雄が「古本屋に売るな、俺に金が入らないだろうが!」と大きな古本屋の前で拡声器を持って叫んでいたが、「古本屋がこれまでどれだけ文化に貢献してきたのか知らんのか!お前みたいな新刊本を即売られるような、作品を愛蔵されることなく消費されるだけの、作家ではない、単なる売文家より、古本屋の方がよほど文化に貢献している!売文家は黙れ!黙ってただただ消費されて消えて行くだけの文章でも書いていろ!」という古本屋を愛する一般市民たちからの罵声を受け(罵声だけでなく生卵やトマトも飛んでいたが)、非常にションボリした感じになって帰って行った。
(この事件以後、沢木は「女性の唾液」を収集するようになるのである。)
……「不可解な爆死」の裏には壮大な陰謀があり特殊な能力を持った人々がそれを暴くべく活躍する「物語」が今始まるのだ、みたいなことにはならない。
現実はそんなものではない。現実逃避したい人々や本質を見ようとしない人々は勝手に妄想で関係性や因果関係を作り出し「物語」に浸ろうとするが、そんなもの、存在しない。
実際にはただただ「忘却」があるだけだ。
私が立ち寄った池袋駅から歩いて15分ほどのところにある寂れた古本屋にも、『鎌形首相という奇跡・歴代最高の総理』は10冊以上置いてあった。
店主の男性によれば店頭に並んでいるのが全てではなく、倉庫に行けばまだ50冊ほど置いてあるのだという。
もちろん私はそんなクズみたいな、流行のなかで消費されるだけで、ろくに読み返されることもなく消えて行く書物ではなく、店の奥にある『死体ダンス』という書物を手に取り、にやつきながらページを捲る。
これは1960年に正体不明の作家KK(一説では現在ニューヨーク在住の古村敬太という人物)が自費出版したごくわずかしかない書物で、本物の死体の写真を用いて、死体の舞踏会を描いた作品である。
全て惨たらしく殺害された死体の写真、それをウィーンの舞踏会の場面に切り貼りして、非常に凄惨でありながら美しい情景を生み出しているのだ。
その死体は頭を損壊されて脳みそが飛び出しているもの、全裸にされて性器を切断されているもの、あるいは、首を切り取られて代わりに汚いおっさんの下半身を移植されているもの、表情筋が弛緩しマヌケみたいに口をあけて虚ろな目をした生首、血まみれのバラバラ死体など、バリエーションがかなり豊富。
私はにやにやしながら、本を眺める。
「へえ、そういうのが、好きなんだねえ、へえ……」
私の首筋に、生臭い、生ぬるい吐息が当たる。
振り返ると、そこには小太りの中年男性が、立っていた。無精髭を生やしていて、口は歯並びが滅茶苦茶で、臭い。髪の毛はあるが、ボサボサで全く整えていない。
その中年男性が「へえ、そういうのが、好きなんだねえ……」と言いながら、私の尻を揉んだのである。
「ああ、ムッチリしてるなあ、僕は、君みたいにムッチリしたケツの子が好きなんだよなあ、君が死体の写真が好きなように、僕は、ムッチリした男の子のケツが好きでねえ……」
私は憤りを覚えた。このように不愉快な行為を、なぜ無料でやらねばならないのか。料金を払おうともしないこの男のやり方は、非常に許しがたいように思われた。私のケツはこの男に明らかにサービスを提供しているわけで、その対価を支払うことは、この資本主義社会の日本においては、当たり前のことではあるまいか。私は『死体ダンス』を棚に戻し、男の手を掴んだ。
「ちょっと、私のケツは無料じゃないですよ!」
私が叫んだ。
店主の男性が駆けて来て「店で騒がないで!騒ぐなら二人とも出て行って!」と誰よりも大きな声で言った。箒を持って、私と、不潔な中年男性を古本屋から追い出した。
店の外は曇りで、薄暗かった。
「ちょっと、私のケツは無料じゃないですよ!」
私は路上で再度叫んだ。料金は貰いたいところだった。金は、とにかく欲しい。金さえあればとりあえず、色々なことが何とかなるからだ。同時に、プライスレスとか、金より大事なものがあるとかほざいている奴、そういう思想を吹聴している連中は即死するべきだし、金のない本当に下劣な生活を強いられている精神が荒廃して凶暴化した連中から苛烈な暴行を受けるべきだと思う。もちろんその暴行行為に、私も角材などを持って参加する。
不潔な小太りの中年男性は顔を顰めた。
「は?嫌ですよ。無料じゃないならあんたのケツなんて触るわけない。そこまでの価値ないでしょ。傲慢にもほどがある」
怒りを露わにし、そのまま、どこかに行ってしまった。
金は貰いたかったが、こういう人物は暴力とか殺人とか、そういうことをするハードルが凄く低いのではないかと思い、そうだとしたらとても怖いので、追うことはしなかった。ナイフとか隠し持っていたら嫌だし……。
私はどんよりした空の下、路上を歩いて行った。
無料でケツを触らせてしまったことについて、悔しい気持ちがした。
路上の両サイドはブロック塀だった。
ブロック塀の上には汚らしい毛並みのグロテスクな顔の崩れた猫がいて、こちらを見ていた。
嫌な気持ちがした。
口の中に苦いものを感じる。
グロテスクなものが平然と存在できる社会というのは、どうなのか。いくら多様性が叫ばれる昨今であっても、できれば、みんな気分良く暮らしたいのではないか。ならば不快なグロテスクなものは、徹底して排除すべきではないのか。
右折を2回、左折を1回した、広くもなく狭くもない道路の電信柱の横で……全体的に、皮膚が青白い……髪はボサボサで、自分で毟ったのか、所々、禿げている。黒縁眼鏡で、酷いクマが、目の下にあり、ほうれい線が深く、弛んだ頬をしている……どちらかというと気色悪いタイプの男が、下半身裸の状態で、しゃがんでいた。上には不似合いな可愛い猫がプリントされたティーシャツを着ている。
「うんち、うんちでる、でる、うんち、でるよ……」
男はぶつぶつと延々言い続けていた。白目を剥き、涎を垂らしている。そうして、男の剥き出しの尻から、茶色い固形のものが、ボトボトと放出されていた。
「なんだこいつ……」
《排泄行為を他者に見せることが、人間の表現行為の一番の根源にあるものではないか。思えば幼い子供は、親に対して「うんちでたよー」などと言い、自らの排泄行為を見せたくて仕方がないものであろう。
表現への飽くなき欲望。承認欲求の大いなる噴出……。
それこそが、表現の根源にあるもの、原風景である。だからこそ、人間の表現行為には、ある種の気持ち悪さ、おぞましさが付き纏うのだ。
表現とは畢竟、基本的には自らの汚物を見せつける行為に他ならない。》
何となく、そんな言葉の連なりが、男の排泄行為のシーンを見ることで浮かんできたが、私はやるべきことをやろうと考えた。つまり、懐から灯油の入った瓶を取り出し「うんち、うんち」と連呼する男にその灯油をかけ、同じく懐から取り出したチャッカマンで、男に点火をするのである。それが、私のやるべきことであり、すみやかに、それを行った。
「アギャー!」
男は下半身剥き出しの状態で路上に仰向けに倒れた。火柱があがっていた。
私は数メートルほど距離をとった。
わらわらと、近隣住民が路上にでてきた。
「なあ、キャンプファイヤーみたいにして、火を囲んで、手を繋いでみんなで踊ろうよ!」みたいなことを言いながら、若い男女がやって来た。
だが、実際に見て見れば、気持ち悪い排便中のおっさんが「アギャー!」と悲鳴を発しながら燃えているだけで……。
興覚めだ。
「こんなグロテスクなキャンプファイヤーじゃ、エンジョイできないよ……」
がっかりした様子で、若い男女は、帰って行った。
私は、べつに責任を感じる必要は全くないのだが、申し訳ない気持ちになった。
若い彼らには、エンジョイしてもらいたかった。
若い時代というのは一瞬で過ぎ去るものだから、貴重な若い時代に、彼らには存分にエンジョイして欲しかったのだ。
だが私には残念ながら彼らを本格的なキャンプファイヤー付きキャンプに招待できるほどの財力はない。
いや、もしそのような財力があったとしても、見ず知らずの若い男女なんぞを連れて豪華なキャンプなど、企画するわけもないが。
キャンプやりたいなら自分の金で勝手にやればいいのだ。
俺は知らん。他人の金に頼ろうとするな。勝手にキャンプファイヤーの周りでグルグルずっと馬鹿みたいに踊っていればいい。
どうせならそのまま全員エンジョイしてゲラゲラ笑いながらキャンプファイヤーに飛び込んでしまえばいい。
クソみたいな連中だ。何がキャンプファイヤーの周りで踊りたいだ。
勝手にやればいい。いちいちそのことを俺に報告するな!クズどもが!!報告するという行為自体に潜在的な甘えがある。どうにかしてもらえるんじゃないかって上目遣いでこっちを見ているような、そんな気色悪さがある。ぶん殴りたい。包丁で頸動脈を切断してやりたい。生温かい血飛沫を浴びたい。内臓を食べたい。
ムカムカしてきたので、もう一度古本屋に戻って『死体ダンス』を見ようと思う。
あれを見ることが、一番、心が落ち着く。
胸糞悪い物が横溢する現代社会における、貴重な、私にとっての癒しなのであった。
(了)
何か臭くて、あまり近づきたくない物【連載中】 モグラ研二 @murokimegumii
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