第9話 元気いっぱいの一日が始まる

狭いビジネスホテルの一室。男性がいる。

「次郎くん、可愛かったなあ……」

年齢は70歳くらいだろうか、ぶよぶよの肥満体、全身が脂によりテカテカしている、シミも多く、脇、胸、腕、脚、陰部、全て毛深い、顔は、鼻がでかく目が小さい、皮を被った、萎んだ黒いチンポコ……男性は、全裸だったが、スーツを着用し、すみやかに部屋をでた。


「総理!」

部屋をでて、廊下を歩き始めた途端、声を掛けられた。同時に、駆け寄って来る複数の黒いスーツの男たち。

「総理!ちゃんと護衛を連れていってください!」

秘書なのか、男たちのなかで一番老けている60歳くらいの禿げた男が早口で言う。


総理……70歳くらいの、その肥満体の男は、日本国総理大臣・鎌形孝三郎だった。


現在、総理大臣在任期間は25年目になる。歴代最長の在任期間を誇る、最高の総理大臣である。


「もともと美しい国なのだから、それを改めて強調して美しい国なんて言うことは絶対にしない。なぜ美しい国へなどと言う必要があるのか。わざわざ。それじゃ今の日本が汚らしいゴミクズみたいな国って言うようなものじゃないか。国民に失礼だろう」

それが、鎌形孝三郎の、総理になって最初の記者会見で述べた言葉だった。


多くの国民が、その言葉に共感し、拍手を送った。


25年間、その支持率が85%以下になったことは、一度もない。まさに、歴代最高の総理大臣なのだった。


「小倉、そんなに慌てるな、新しい政策を考えていただけだ。一人で、ゆっくり考えたかった」


「それどころじゃないですよ!奥様と孝一くんがテロリストに誘拐されたんですよ!」


孝一というのは37歳になる首相の一人息子で後継者である。今期で首相は政治家を引退し、孝一に全てを継がせるつもりだった。


孝一は身長180センチ以上あるスマートな男。黒髪短髪、顔立ちは彫りが深く、唇が薄く、ハンサムだ。


水泳が趣味で、細身であるが、かなり筋肉質である。


礼儀正しく、路上で荷物が重くて困っているお婆さんに声を掛け、荷物を運んであげる優しい人物。


それが、鎌形首相の息子、鎌形孝一。


今は、東大を首席卒業し民間企業で勉強させてから秘書として事務所を任せていた。


自慢の息子だった……。


鎌形孝三郎首相は卒倒しそうになった。

「なんだと!いつのことだ!」


「ええ。2時間ほど前に連絡があり、映像が送られてきて。間違いなく、奥様と孝一くんでした。縄で縛られていました。猿轡を噛まされていて……」


「なんだと!早く首相官邸に戻るぞ!」


「それが……」

秘書の小倉は禿げた頭皮に大量の脂汗を浮かべている。

「申し上げにくいことなのですが……」


「言いなさい」

厳格な口調。さすが歴代最高の総理、という印象を与える重々しい口調だ。

そして、鎌形孝三郎首相の顔つきも、眉が上がり、目に力が入り、凛々しいものとなっている。


「わかりました」

呼吸を整えるように、胸に手を当てる小倉秘書。


「送られてきた映像ですが、間違いなく、奥様と孝一くんが映っていました。二人は涙を流していました。そこに黒い覆面を被ったテロリストの1人が現れて、総理はいつも厳格な顔つき、人間らしい感情のないように見える顔つきでメディアに登場するため、本当に感情というものが、人間らしい心の動きがあるのか怪しい、と宣言します。自分たちは総理に人間らしい感情を取り戻して欲しいから、これから総理の妻子を惨たらしいやり方で殺害するとテロリストは宣言します。テロリストが増えます。二名の屈強な黒い覆面のテロリストが画面に現れ、その二人は青龍刀を持っているのですが、それで、すみやかに総理の奥様と孝一くんは切り刻まれてしまいます。血飛沫ドババ、ドバッ、ドババ、であります。面白いほどに血飛沫があがって。凄い。ドバッ、ドバババ、という感じで。容赦ない攻撃。私はそれを、首相官邸で、見ていました。その映像を。噴水のごとく、面白いほどに、血がドババ、という映像でした。間違いなく、首相の奥様、息子の孝一くんはまず全裸にされて、腕を切られ足を切られ、腹を裂かれ臓物を取り出され、首を刎ねられその首をボール代わりにされてサッカーが開始されました。表情筋が弛緩したマヌケな顔をした生首が蹴られて、ポーンと飛んでいく様は、これもまた面白くて、笑いそうになりましたが、ここで笑うのは不謹慎すぎると考えて真剣な表情で見ましたよ。孝一くんは無傷の状態、生きた状態のときにチンポコを、切断されていました……。股間から血がドババ、ドババ。孝一くんは悲しそうでした。自慢の巨根だったのでしょう。そのチンポコを、テロリストは笑いながら、何度も踏みつぶして……。奥様は無傷の状態、生きた状態のときに乳房を切断されました……おっぱいの跡地から血がドババ、ドババ。そして、奥様の黒ずんだマンコには熱した鉄パイプが何度も突っ込まれていて……。テロリストたちは、首相の妻の割にはビッチみたいにマンコが黒い!と叫び、手を叩いて爆笑していましたよ。恐縮ですが、私も少しですが、笑いを漏らしてしまいました。奥様はその、ビッチだったのでしょうか?しかしこれを聞いてしまうのは不謹慎だしフェミニスト連中に刺殺されそうだから止めておきますが……。地獄、だったでしょうね。そういう凄絶な拷問の後に、切り刻まれてしまいまして……。まさに、血飛沫が、ドバッ、ドババ、という感じでございました。最後は白目を剥いて大口を開けて舌をだらりと垂らしたグロテスクな表情の奥様と孝一くんの生首が、大きく映っていました。凄く、マヌケな、阿呆みたいな顔をしていて。首相の家族ともあろうものが、あんな顔をして良いのでしょうかと、問いかけたくなる顔でして……。私はそれを見ていたのです。首相官邸で。間違いなく奥様と孝一くんでした。その二人が、惨たらしいやり方で殺害されたんです。虐殺ですよ。面白いほどに血をドババ、ドババと放出しながら殺された。ねえ、首相、これは、間違いないことでしたよ。それで、私はその映像を無修正で国民に向けて流しました。面白いから、ぜひ見て欲しいと思って……こんなにも酷い殺され方を、内閣総理大臣の家族がされるなんて、あり得ない光景だと思って、悲惨すぎると、それで、珍しい光景を、国民は大好きなので、見て欲しくて、面白さを感じて欲しくて、あまりにも悲惨な現実がここにあるということや人があっけなく死んでしまうことの面白さに興奮して、それをぜひ国民ひとりびとりと共有したいと考えて、それで、放映しました……」


鎌形孝三郎はその場に膝をついて顔を手で覆う。

「なんだ……全部終わってしまっているのか……ああ、どうして……トシエ……孝一……ああ……ああ……」

涙を流す首相。珍しい光景だった。

首相は普段、本当に、感情と言うものを露わにしない人だったからだ。


「総理が泣いている……おい、君、動画は撮っているね?」

小倉秘書が、カメラを構えている黒いスーツの男に聞く。その男は頷いてカメラを指差す。その部分は赤く点滅している。撮影中ということだ。

「テロリストに、生で流れているんですよ、総理の泣いている姿が」


「おお……おお……愛しい家族が……そんな……おお……おお……」

号泣する鎌形首相。顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしている。


1人の黒いスーツ男性が大きなモニターを持っていて、そこに、テロリストが映った。ライブ映像だった。狭い部屋に複数人、黒い覆面のテロリストがいた。


「鎌形総理が泣いている!悲しみを露わにしている!実に人間らしい姿!良かったね!鎌形総理、やっと人間らしくなっているね!それ、いいこと!いいこと!」


黒い覆面のテロリストたちは喜びを露わにした口調で、はしゃぐように言って、ジャンプしていた。テロリスト同士でハイタッチしたり、ハグしたりしていた。


小倉秘書は頷いて、座り込んで泣いている鎌形首相の肩に手を置いた。


「総理、テロリストたちは総理のことを思って、今回のテロを起こしたようです。激務のなかどんどん人間性を失っていく総理に、なんとか人間らしい感情を取り戻してもらおうと、彼らも必死だったようですよ……これは、感謝すべきことではないですか?まあ、奥様と孝一くんが死んだのは残念ですが」


「うう……」


「総理?もう泣かなくていいんです。終わったんです」


「ひぐっ、うう……」


「総理?なぜ、泣くのです?もう、終わりました。感傷的になるのは暇人だけです。我々は忙しいのです」


「うう……う、うう……」


「いい加減にしなさい!総理!この野郎!」


小倉秘書は鎌形首相の胸ぐらを掴んで立たせ、その右頬をぶん殴った。


「めそめそすんな!総理!この野郎!」


鎌形首相は倒れた。


しばらく、鎌形孝三郎首相は肩を震わせていたが、やがて落ち着いた様子で立ち上がった。


「そうだな……私は、人間性を失いつつあった。それは事実だ。それを回復しようとしてくれたテロリストたちには感謝しかない……」


モニターの向こうで、黒い覆面の、屈強な肉体をしたテロリストたちは、一列に並んで、そうして、メッセージを発した。

「総理、わかってくれて嬉しい。そして、人間らしい感情取り戻して嬉しい。総理、大好きだから、私たち嬉しいね。でも、後始末はしないとね。手はわずらわせません。私たち自分の行く道を完全に理解していますからね、これで、ここで、ね」


そのように述べて、テロリスト全員が、懐から黒い、丸い物体を取り出した。その物体の先端にはスイッチがあった。全員が、一斉にそのスイッチを押した。


物凄い爆音と閃光。


映像は消えた。砂嵐しか、モニターには残らない。


「自爆したようです」

と、黒いスーツの男が言った。


小倉秘書が鎌形首相の肩を支える。

「官邸に戻りましょう、総理……」


「うむ。疲れているが、何かこう、すっきりした感じもする……だが、少し眠りたい……起きた後は、私は、国民のために働きたい……元気いっぱいの一日が始まるんだ……」


(了)

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