メルトダウン・クラスタ

白神天稀

メルトダウン・クラスタ

 しゅうまつなんて無ければ良いのに、と気が付いた時には口から零れていた。


「は?」


 友人が驚いて声を上げたことでようやく俺は我に返った。友人はシアン色に染まった顔でこちらを覗き込んでくる。


「突然変なこと言うな、週末がないなんて悪夢じゃねぇかよ。毎日学校来るのはキツいぜ」


「え? あっ、いや」


 ……確かに、週末がなくなるのは嫌だ。特段勉強が苦手な訳ではないが、これ以上登校日が増えるのだけはごめんだ。

 何よりこの教室は床が常に流動していて、授業を受けるだけで船酔いしてしまうところが苦しい。


「そうだよな……悪い、今のなかったことで」


「何だよ水臭い。この週末に嫌なことあんの? 塾の模試とか、バイトとか」


「まあ、そんなとこ。大したことじゃないから気にしないでくれ」


「ふぅん、それなら良いけどさ。悩みあんならいつでも言えよ」


 そう言い残して彼は教室の外に出ると、扉の先に広がる水族館へ歩いて行った。外では絵の具を頭から被って踊る騒がしい人々が、教室から出た友人を歓迎している。


「いや、カズ! 待っ……てはくれねぇよな」


 数秒もしない内に、彼の姿は消えてなくなった。気が付けば水族館は消えて、無数のアリクイ達が騎馬戦をしている校庭が廊下の窓の向こうに広がっていた。


 躊躇ってしまったばかりに、彼へ訂正を言いそびれてしまった。本当は週末のことを呟いた訳ではないと。


 俺が思い浮かべていたのは終末。終わりを意味指す方のなのだと。


「それにしても、悪趣味な夢だな」


 俺は既に知っている。自分が今がいるのは夢の世界で、俺は所謂『明晰夢』というものを見ているのだと。


 明晰夢は一度見てみたいとは思っていたが、期待外れだった。片思いの相手と快楽の限りを尽すことなんて出来ない。現実離れしたいやらしく濃厚なプレイなんて。富豪になって豪遊生活を体験出来る訳でもない。豪華絢爛な邸宅に住んで使用人に囲まれて食事をするような、庶民的価値観の元の欲求を満たすことも。

 空間の感覚から他人の行動に至るまで一切の整合性が取れておらず、まるで白いキャンパスの表面がバターナイフで削られているかのようだ。画面酔いで三半規管が狂っているのか、常に吐き気と頭痛がある。


 これはまさしく悪夢と言うに相応しい夢だ。

 だが、


「ここにずっと、居られたらな」


 現実に戻るくらいなら、この歪な世界にいる方がマシだ。ここには、友人がいる。

 それに俺は高校に通えている。教室の外は常に光景が変わり続ける場所だが、それでもここはれっきとした高校だ。

 高校に通えているのなら、俺は養ってもらえているのだろうか。夢を深堀りするのは滑稽かもしれないが、俺を高校に通わせてくれる家族がいるのではと期待してしまう。父さんと母さん、今年8つになる弟はここでは元気なのかが気になる。


 所詮は表面的な映像だけを投影しているフィクション。しかしそれでも、俺はこの夢の世界の方が好きだ。

 だってあんなに残酷で、くすんだ色しか見せない世界よりも


「作り物のこの世界の方が、ずっと綺麗なんだ」

 

 現実ではどうとか、真実はどうかなんてどうでも良い。俺から見て、あるように見せてくれれば俺は構わない。

 俺は虚構を受け入れて、無秩序なこの世界で溶けていられる。


「存在していれば良いんだ。あるだけで、いるだけで」


 しかしそんな虚しい願いが、叶うなんてファンタジーはないようだ。


 さて、夢はもう終わりなのだろうか。アゲハ蝶の群れが波打つ床の下から飛び立ち、俺の視界は闇に包まれた。体の周りを、大量の泡が撫でて弾かれていく感触を覚える。

 そして少しずつ、ゆっくりと、意識が溶けてきた。緩やかに、穏やかに、仰向けになって落下していく感覚だけがある。


 深淵へ落ちていく中で、俺の心にはこの問いだけが残っていた。


「俺はあの世界で、また生きる喜びを取り戻せるだろうか……」


 ※ ※ ※


 頭痛がする、平衡感覚が狂う。汚濁した川の中を流れるような倦怠感が絡みつく。


「るた……ある……アルタ!」


 俺を呼ぶ声に反応し、意識がパっと覚醒する。

 起きたばかりでぼやけていると、鹿羽野かわのという20代後半で目の死んだ男が俺の顔を覗き込んでくる。


「──出動要請ですか?」


「そうだよ寝坊助。第4地区に中型のダウナー複数襲来」


「すいません、第4地区は何処ら辺でしたっけ」


中央区だ! いい加減大きな地区ぐらい覚えろ」


 起きて早々やかましい声が鼓膜を震わせてきたせいで、目覚めは最悪だった。


「気ィ引き締めろよ。池座生いけざき隊長」


 背中をバンと叩かれた勢いで俺は寝室を飛び出す。



 ──2年前、眠っていた巨大な地脈の内の一つが崩壊した。それをきっかけに世界各地で地脈崩壊による影響が報道された。

 地脈の崩壊は世界へ天変地異をもたらし、魔力を地表へ溢れさせることになった。都市や国家は意味を無くし、築き上げられたものの多くは災害によって滅ぼされた。


 そしてここ、東京23区も天変地異が発生した主要都市の一つだ。東京の地下からの魔力は灼熱の溶岩となって噴き出し、高層ビル群を瞬く間に溶かして火の海へ変えた。

 場所によって被害状況は異なり、俺達が生活しているこの地区はかろうじて建物の残骸が残っているが、東京は主に灼熱のマグマ地帯になっている。日本国内だけでも、地学物理学の法則関係なく、雪山化や毒霧発生など多くの異常気象に見舞われているようだ。


 こんな世界で生きるため、俺達は日々任務をこなしている。



 俺達は基地を後にすると、常に道から炎が漏れ続ける東京の元ビル街を奔走した。


「第4地区の環境と魔物ダウナーの状況は?」


「現第4地区はレベル2の炎海地帯、魔物ダウナーは中型が複数体未定。お前の能力が1番合ってる」


「ラジャ。準備しときます」


 地脈崩壊がもたらした第二の災害。それはダウナーと俺達が呼称する魔物の出現だ。 魔力が地表に出たことによる最大の被害の正体。この終末世界で、人類を排除しようと追い討ちをかける最終災害。


「ん、鹿羽野さん。アレ」


「応」


 翼を背に生やした蜥蜴型の魔物ダウナーが約5体、前方から凄まじい速度で接近する。脚と尾を器用に利用し、魔物ダウナーは跳躍した。


 鹿羽野さんが動くと思ったその時


「うっしゃおら、まとめてシャボン玉じゃァ!」


 その絶叫が木霊した次の瞬間、魔物ダウナーの肉体は内側からボコボコと膨らんで爆ぜた。魔物ダウナーが吹き飛んだ様子を確認すると、ビルの壁面でガッツポーズする男の姿が目に入った。



 地脈崩壊によって溢れた魔力。それは魔物ダウナーを生み出した一方、一部の人間に特殊な能力を授けた。魔力をもって行使する異能を使い終末に対抗する者、人々は俺らを使用者レイヤー呼ぶ。

 異能をもって魔物ダウナーを退け、崩壊した都市再建のために使用者レイヤー達が結成した組織。それが俺達、クラスタだ。


「迎撃ありがとうございます。刺々木ささきさん」


 刺々木が俺の声でこちらに気付くと、下層が崩れたビルの上から報告を通達する。


「鹿羽野隊長、池座生隊長。この500メートル先、魔物ダウナーの奴らがビルの壁面を駆けて襲ってきます!」


「ご苦労、魔物ダウナー俺とアルタで対処する。残りの隊員は生存者確認が終わり次第撤退しろ」


 命令を受けると刺々木はビルを飛び越えて撤退した。とほぼ同時に、新たな魔物ダウナーが出現した。

 前方から象ほどの準大型の四足魔物ダウナーが頭を異常に振って迫ってくる。俺が牽制しようと思ったが


「『余白拡張』」


 既に鹿羽野が仕掛けていた。鹿羽野は地面に掌を付け、異能を発動する。


「崩れろォォォ!」


 鹿羽野の叫びと共に地面に亀裂が入り、小規模の地割れが発生した。それは内側から引き裂いて隙間だった空間を拡張する力が加わったことによる現象。

魔物ダウナーの足場だった箇所は崩れて、奴は態勢を崩して亀裂の中に挟まる。


「ヤツが動けねぇ内に決めちまえ」


 言われるまでもなく、俺はもう魔物ダウナーの眼前まで接近していた。俺は腕を伸ばし、奴の巨体に掌を見せる。


「──『冷炎』」


 俺の中の魔力は青い炎となり、右手から解き放たれる。その炎は、を纏っていた。冷炎は魔物ダウナーを包むと一瞬にして、その巨体を凍結させる。

 冷炎に当てられたオフィサーは完全に凍りつき、最後は砕けて残雪のように道で小さく固まった。


「……鹿羽野さん、制圧完了です」


「お疲れさん。要請案件も終えたし、本来の任務場所に行くぞ」



 これが、俺達使用者レイヤーに託された力と責務だ。この終末世界に抗う最後の希望。俺達はそういう存在だ。


 ※ ※ ※


 この日、本来の任務である一般人への炊き出しのため、俺達は食糧配給所としている焼けた広場に集まった。

 おにぎりやイモなどの粗末なものが中心の炊き出しだ。


 ここ数か月はクラスタの活動が成果を上げ、非災害地域に作った畑の作物をこうして配給出来ている。逆を言えば、それで足りるくらいの数しか一般人は残っていない。

 使用者レイヤーは異能のお陰で災害直後から動いて食糧を獲得出来たケースが多く、魔力のお陰か肉体は一般人より丈夫だ。しかし飢えや被災時の怪我の悪化、感染症などの二次被害で生存者は激減。

 クラスタの東京管轄区域ではもう五万人しかいない。



 配給所では、スタッフに回る俺達使用者レイヤーに声をかけてくれる一般人も少なくはなかった。信用されている証拠だと思えば、非常に有難い。

 今も鹿羽野が配給を受け取ったおじいさんと親しく話している。


「すまないねぇ、あんちゃん達」


「困ってる時はお互い様ってやつですよ」


「いつもありがとうね」


 またあるところでは、俺の隊に所属する後輩が小学生ほどの子供に遊び相手になることを懇願していた。


「ねえねえお兄さん。あっちで遊ぼうよ~」


「今はお仕事で出来ないんだ。だけど明日ならお休みだから遊べるよ」


「ホント!? やったね、約束だよー!」


 配給所は商店街のような賑わいこそないが、食糧を受け取った人達の表情は穏やかで、遠くからの子供達の笑い声がする。初期に比べて、暴動騒ぎなんてものもずっと少なくなった。

 人々に少しずつ、活気が戻ってきている気がいた。だがそれでも


「何回も来ていますが、来るたびに辛くなりますね」


 前回の配給より痩せてしまっている人や、体の痛みを感じているお年寄り、一人で配給された食べ物を口にしている孤児を見ると胸が苦しくなった。


「アルタ、お前って意外とセンチなとこあるよな」


「元々は自分でも思うぐらい明るくて喜怒哀楽の激しい方でしたよ。感情を上手く表に出せない今が異常なんです」


「異常が2年もずっと、か。まあ、そうなるわな」



 ──あの日崩壊したのは地脈だけじゃない。故郷、日常、家族、友人、思い出。そして、俺自身の心だ。


 未だにフラッシュバックする光景と、耳にこびりつく悲鳴。2年前の惨劇は、喉が焼けたような感触と共に蘇ってくる。

 俺の住んでいた街は、火災と大地震に見舞われた。それはささやかながら、幸せで平和だった俺の人生を全てゼロにしてしまったんだ。


『か……ず?』


 友人は、全身に酷い火傷を負っていた。

 同じ高校の別の生徒じゃないかと思った。だが彼の握っていたスマホと、そのホーム画面に映る俺とカズの画像が彼本人だと教えていた。


泣きながら俺がカズに触れた瞬間、カズの身体は崩れていった。


 かつて共に笑いあった仲の友人の死体を前に、俺は深く絶望していた。声にならない号哭を上げ、親友だったものの一部をポケットに入れた。


『熱い熱い、体中熱いよ……兄ちゃん』


『待ってろトモキ! 今安全な場所に連れて行ってやるからな』


 俺には8歳の弟がいた。いつも兄ちゃん兄ちゃんと後を付いてくる年の離れた弟は本当に可愛かった。

 弟は学校から帰っていた途中で魔力の噴出口に巻き込まれ、全身の皮膚が焦げるほどの大火傷を負った。背に抱えた弟の呼吸音は段々弱くなっていって、俺の背中に当たる息も次第に数を減らしていった。


『寒いよ、にいちゃ』


 と、弟の言葉が途切れた時、俺の背中を嫌な汗が流れた。

 痛んだ足を必死に動かして急設された避難場所まで辿り着いたが、弟は手遅れだった。


『父さん、母さん……!』


 自宅は踏まれたように押しつぶされ、コンクリートの山になっていた。

 俺が着いた時には父さんはもう事切れていて、母さんは出血多量で瀕死だった。俺は瓦礫をどけながら、母を救おうと必死になった。


『母さん、母さん。せめて母さんだけでも……』


『駄目よアルタ。火も回ってきてるし、私も助かりそうにないわ』


 母さんをここに置いていくなんて考えられなかった俺は、心中も考えた。


『俺だけ助かるぐらいなら、いっそ……』


『アルタ!!』


 母さんの口から出てきた言葉は、叱責だった。


『親の前で、子供が死のうとするなっ!』


『母さん……』


『母さんはね、あんたを自分のために育てたわけじゃないの』


 涙をこらえながら母さんは傷だらけになった左腕で俺の頭を優しく撫でた。


『あんたが、幸せになれるために17年間育ててきたのよ』


 自分の死を前にしても尚、母さんは俺の前ではずっと母親だった。


『しゃんとして生きな。私の宝物』


 まだ覚悟は決まりきっていなかった。だが俺は母の愛に答えられるよう、精一杯今までの感謝を言葉で伝えた。


『母さん、俺は……あなたの子供に生まれてきて、幸せでした。これからもずっと、愛しています』



 辺り一面は火の海で、その時の生存者は俺だけだった。建物が燃えて崩れる音が聞こえなくなるほど、俺は慟哭した。天涯孤独、人も居場所も失ってしまったという現実が俺に突き付けられた。



 あの日以来、見る夢はいつも昔の記憶だ。もう消えてしまった、思い出の中にしかない綺麗な記憶……


「隊長! 隊長! 大変です、魔物ダウナーが」


 昔の事を不意に思い出していた最中、息を切らして鹿羽野の部隊の隊員が俺達の元へ走ってきた。


「分かった、俺とアルタが向かう。その前に……」


「ダメです! お二人だけでは行かせられません」


 隊員は激しく震えながら鹿羽野の腕を掴んで止めた。


「見たこともないサイズなんです。それも、倒壊したビルを超えるほどの」


 隊員の異様なまでの震えと動揺。そして彼からの信じ難い内容の報告で、俺達はようやく今回の事の大きさを理解した。


 ※ ※ ※


 俺と鹿羽野は現場に到着した瞬間、言葉を失った。


「なん……だありゃ」


 東京のビルと並ぶほどに巨大な魔物ダウナーが歩いていた。顔のようなものが体の至るところから露出した怪物。その巨体の圧倒的な存在感に俺達は震えあがっていた。


「魔力を過剰に受けオーダーとなった人間……の、集合体です」


 オーダーは顔以外の肉体が原型を残さないほどに積み重なり、おぞましいうめき声をあげながら瓦礫の山を越える。その姿は神話の巨人でも見ているかのようだった。


「今まであんな個体は一度も……」


「バカ言え。2年前まで俺らは地脈の存在すら知らなかっただろ。今更天変地異にデータが通用すっかよ」


 まだこの区域の火災は比較的穏やかで、まだ元の高さを維持している建物も多い。しかしそんなビルを次々と薙ぎ倒しながらオーダーの集合体は前進する。


「障害物に目もくれず、ひたすら直進しています。おそらくこの先の、一般人生活区が目標かと」


「鹿羽野さん、今すぐ攻撃を」


「待て、様子が……」


 ビルの隙間から怪物の身体が覗いていた。魔物ダウナーを観察していると、奴の肉から無数のオーダーが零れ落ちる様が見えた。

 膿のように落ちるとオーダー達は地上へ次から次に解き放たれる。


「ぶ、分裂して!」


「なるほど。この地区目掛けて来た大量のオーダー達がマグマ地帯を通って、火傷の要領でくっついてきたのか」


 このままでは街が襲われる。あの天災のような怪物に為すすべもなく。

 そう思った時、俺の中で2年前の天変地異が頭を過った。


 街を、人を、思いを、蹂躙され奪われるという恐怖が。その恐怖と焦燥は俺の朽ちた心に火を灯し、油を注いで燃え上がらせた。


「鹿羽野さん。俺が前線であの塊を相手します」


「バッ……アルタお前!」


「俺の冷炎なら、塊の大部分を完封できます。ですが剥がれ落ちてバラバラに動く魔物ダウナーまでは対応出来ないので、そこのカバー頼みます」


「アルタ。お前の出力制限、ギリギリじゃねえのか?」


 俺の身を案じる鹿羽野の質問に答えないまま、俺は小さい声で本音を漏らす。


「……居場所を失うのは、もううんざりなんだよ」


 その言葉に、近寄りかけてた鹿羽野の足が止まった。


「いざって時は、頼みます」


 それだけ告げて、俺はその場から目標に向かい走り出した。


「お、オイ待て。アルタッ!」


 鹿羽野の制止を聞かず、異能を発動しながら分離したオーダー達の中へ突っ込む。

 目の前にオーダーの姿を細くすると、俺は溢れんばかりの感情を冷炎に込める。


「『冷炎』変換コンバージョン氷天華玄ひょうてんかげん!」


 掌に込めた氷点下の炎を細く、腕ほどの長さに伸ばす。柄として氷を生成し、冷たい炎が揺らぐ刀身が完成する。


 間合いに入ったと悟ると、俺は凍える刀を振るってオーダーを斬りつける。オーダーは縦に真っ二つに切り裂かれた直後、激しく燃える冷炎に全身を包まれた。

 地面に落ちるとオーダー達は砕け去る。


「チッ……冷てぇ」


 俺は間髪入れず、服の中に携帯していたオイルをぶちまけて冷炎を灯す。冷炎は炎と違って熱を奪う能力だが、同時に炎の性質を兼ね備えている。


 オイルに引火した冷炎は爆発し、周囲のオーダーの肉体を一瞬にして凍結させた。

 しかしそれでも


「キリがない」


 いくら倒しても、何体も何体も魔物ダウナーは減る気配がない。


「ケホッ」


 自身の冷炎に当てられて、寒気に襲われる。これほどの数の魔物ダウナーを単騎で相手にしたことはこれまでなく、慣れない異能の連続使用も相まって肉体のダメージが蓄積されていく。


 それ故、時間が経つにつれて徐々に判断力が鈍る。


「畜生、対応が……」


 身体機能が弱っていたところに運悪くタイミングが重なり、オーダーに背後を取られる。

 その個体の素早さと鋭い牙では致命傷は免れないと思った時だった。


「死に急ぐな。アホガキ」


 間一髪のところで俺と魔物ダウナーとの間に鹿羽野が割り込んだ。

 鹿羽野はオーダーの頭部に触れ、肉を弾き飛ばした。


「鹿羽野さん……」


「お前、結構視野が狭くなるよな。自分の事を考えずにいつも行動しやがる」


 いつになく鹿羽野は苛立っていた。しかしなぜだろうか、この感覚を味わうのは初めてではない気がする。


「これでも一応、お前の保護者みてぇな立場なんだ。心配させんじゃねぇよ」


 ああそうだ。その言葉で俺は、既視感の正体を悟った。彼の目は、以前に見た母が最期に見せたものと同じだった。


「弟と年の近けぇヤツ、放っておけるわけがない」


「鹿羽野さん、弟さんいたんですか?」


「ああ。二年前に逝っちまったせっかちでな」


 鹿羽野は俺の背を向けて、寂しそうにぼそりと打ち明けた。

 彼も自分と似た境遇にあった。しかしそれなのに彼はいつも毅然とした態度で振舞っていた。

 そう思った瞬間、俺は今まで彼に見せて来た自分の姿を恥じた。


「すいません、今まで。鹿羽野さんだって辛かったでしょうに、こんな近くに居るやつがいつまでもウジウジと……」


「ガキはそんな難しく考えないで、大人に甘えてりゃ良いんだよ」


 鹿羽野はぶっきらぼうに言うと、俺の頭をくしゃくしゃと乱すように撫でた。


「作戦自体はお前の案に賛成だが、焦って不意を突かれるな。それとな……」


「はい」


「異能の使用で、オーダーにほどの火力は出すな」


 異能の行使は魔力の行使。捨て身の攻撃は文字通り身を滅ぼし、自らも魔物ダウナーと化す。この力は常にハイリスクハイリターンな存在だ。

 さっきは危機感からの焦りで何も考えられなかったが、今なら問題ない。


「ラジャ、リーダー」


 意識はクリアで、しっかり落ち着いている。そして今は、不思議な全能感で包まれているから。


「っしゃ、今だッ!」


 直後、空を何百本もの矢が飛んだ。鳥のように飛んで行った矢はオーダーの集合体に直撃すると爆発を起こし、彼らを僅かに怯ませた。


「弓矢……! あれは一体」


 矢の飛んできた方向を見るとそこには、ビルの屋上から弓を構えた何人もの人がいた。思わず固まっていると、その中から一人の老人男性の声が聞こえてきた。


「あんちゃん達、無事かーい?」


「配給所にいた、おじいさん達……」


 弓矢を放っていたのは、先ほどの配給所で食糧を受け取っていた一般人達だ。彼らはクラスタの使用者レイヤー達から指示を受けて、参戦しているようだった。


「連絡があってな。彼らは志願してここに来てくれたみたいだ」


「志願って、異能もないのに……」


「みんなも、多くの物を失った。俺やお前みたいにな。だから俺達の気持ちも、お前と一緒なんだよ」


 そう言うと鹿羽野は俺の背中を強く叩いて前に押した。


「行け、アルタ!!」


「……はい!」


 俺は駆け出した。迷うことなく、ただまっすぐにオーダーの塊の方へと。


 だが俺の気持ちが変わったからといって、敵が減る訳でも弱くなる訳でもない。俺の進路を塞ぐように、再び何体もの人の顔を残した魔物ダウナー達が向かって来た。


 しかし、俺が冷炎を放つよりも速くにオーダー達は排除される。横から飛び込んで来た俺の隊の使用者レイヤー達によって道は開かれた。


「お前ら……!」


「小さいのは俺らに任せてください、池座生隊長!」


「悪い、頼むッ」


 背中は彼らに預けて俺は止まる事無く進み、ついに目標の目の前まで到達した。


「『冷炎』、創成《クリエイション》」


 地面に向かって放った冷炎で氷の道を作り出し、俺はオーダーの巨人と首元に相当する位置まで駆け上がる。

 オーダー達は集合体ではあるが、意識までが融合している訳ではない。俺を払い落すことも出来ない速度でしか、彼らは高い位置では動けない。


 オーダー達の唸るような低い叫びが聞こえてくる。


「あんた達、苦しそうな顔してんな」


 目の前にいる彼らもまた被害者だ。自我を無くし、魔力に死後も苦しめられるゾンビのような者達。ならば恨みなんて抱く筈もない。

 家族や、友人や、帰りたい場所があっただろうに。俺には彼らの失ったものを戻してやる力はない。


「ごめんなさい、皆さん。せめて少しでも、安らかに」


 人体が許容するギリギリの出力で、弔いの炎を放つ。ゆっくりと冷たい死神の火は亡者達に広がって、一人また一人とこの世界から肉体が去っていく。


 そして冷炎がオーダー達全てに届いた時、彼らは刹那白い閃光を放って崩れていく。

 砕け散って塵となる魔物ダウナーの残骸は宙を舞って、空に広がる群青を反射させていた。


 ※ ※ ※


 ──7月29日、快晴。この日は心地良く晴れて、向こうの空には入道雲が出来ていた。

 そんな晴天の元、安全区域の姿は変化を見せていた。

 人々の声に混じって聞こえてくる木槌を叩く音。今いる高台から見下ろすと、土をならした道と木造の住居が碁盤の目状にある街が形成されていた。


 あの大型魔物ダウナーの襲撃から約半年、復興はかなりと言って良いほど進んでいた。


「いやあ、少しずつだが進んできたなぁ。都市再建」


「ええ。まだ薄い皮膜のような段階ですが、地脈の安定化も順調ですし」


 新境東京都市。クラスタの本拠地であると共に、国家という枠組みの消えたこの世界で新たに出発するための街作りだ。勿論、課題は山積みだ。


「ただ地脈の安定化とはいっても、この災害環境は百年以上続くって話らしいですよね」


「今はこんな状況だから落ち着いてるが、都市や国家ってのは政治の世界だ。人間間のトラブルも、これから増してくだろうな」


 だけど、ないよりはずっとマシだ。前に向かって行く限り、終末はきっと来ない。


「さ、今日も魔物ダウナーが出るだろうな」


「それじゃあ、そろそろ行く準備しましょうか」



 終末なんて来なければ良いのに、と俺は以前思った。こんな残酷でみずぼらしい世界なんかより、大切な人も帰る場所もあった過去の幻想の中で生きている方がよっぽど幸せだと。この考えはまだ変わっていない。


 だけどそれは、今を生きて居られるからこそ思えることだ。


 終末なんて来なければ良い。しかし、まだ訪れてはいない。失ったものは計り知れず、傷は癒えないだろう。だがそれでも、全て消えてしまった訳ではない。

 今生きる者、今いる場所、生きている自分さえあれば、進むことが出来る。この世界で生きている者がいる限り、終末ではない。


 だから俺達は、本当の終末が来るまで進み続ける。終末を迎えないため、世界に抗い続ける。

 そのためにいるのが俺達、使用者レイヤーなのだから。

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メルトダウン・クラスタ 白神天稀 @Amaki666

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