第2話

 おばあちゃんの部屋に行く。おばあちゃんと言っても血縁上は私のおじいちゃんの妹にあたる。実の祖父母が亡くなったのが私が物心つくずっと前だったこともあって、私は美弥子みやこさんのことを最初からおばあちゃんと呼んでいる。扉をノックする。

「どうぞ」

 開ければ彼女はテレビゲームをしていた。「区切りいいところまで待って」の声に、私はすぐ側のソファに座る。手早く敵? をやっつけて、おばあちゃんがこっちの世界に戻って来る。私を向いたときに肩までの髪が揺れる。私と同じ長さの髪。染めているのか天然なのか濃い茶色をしている。

「どうした?」

「おばあちゃん、絶対秘密にして欲しい相談があるんだ」

 彼女はニコリと微笑む。

「これまでと一緒だよ」

 私は力強く頷いて、部屋の近くに人がいないかを確認しに立とうとする。それを彼女が制する。

「大丈夫だよ。ここは防音完璧だから」

 もう一度今度は慎重に私は頷く。

「……あのね」

 彼女はゆっくりと瞬きをする。

「私、巫女じゃない人生を、選びたい、選びたいのかな、……どうしたいのか分からないんだけど、巫女じゃなきゃいけないってのが、なんか、嫌なんだ」

 ふむ、と彼女は息をつく。

「人生を決められるのが、嫌?」

「そうかも知れない。ねえ、おばあちゃんは巫女をやること、嫌じゃなかったの?」

 彼女はニヤ、と笑う。

「私が三分の二の巫女だって知ってて言ってるよね?」

「うん。知ってて言ってる。でも本当のところはよく分かってない」

 彼女は座り直して、私の正面に自分を据える。右手の指を三本立てる。

「巫女は夢で未来を示す。だけど、三つの禁がある。それを一つ破る度に、於時おじ、人物、事態の順に見えなくなる」

 それは知っている。私がうっかり巫女の力を失わないように、十一の子供のときから何度も両親に言われたことだ。於時は見た未来の場所と時間、人物は誰の未来か、事態は何が起きるか。予言の精度のためには、事態以外の二つも重要。おばあちゃんは立てた三本の内の一本、人差し指を折る。

「一つ目の禁は恋。そう、私は恋をした。それで於時を失って、三分の二の巫女になった」

「それでも巫女をやってる。ねえ、恋ってそんなに、何かを失ってもいいくらいのものなの?」

 彼女は僅かに困ったように微笑む。

「どうして巫女をするかよりも、そっちね。……私は禁について誰よりもよく理解していたわ。その上で、止められないのが恋よ」

「止められない……」

「二つ目以降の禁は意志で止められるけど、恋だけは出会ってしまったが運の尽き。だから希が一の巫女のままでいたいなら、出会わないように人生を締めなきゃならない」

 私は首を振る。一生懸命に振る。

「巫女をするために自分を犠牲にしたくない。私には他の可能性もある」

「私もそう思っていたわ。そして恋をして、敗れた。皮肉にも残りの三分の二が残ったことが、私に役目を続けさせた。私は、今はこの仕事が自分の天職だと思っているわ。つまり、巫女を続ける理由と、恋をする理由は関係がない」

 彼女の言葉が水のように染み込んで来る。より良い巫女であるためには一の巫女でい続けた方がいいけど、恋をしたって巫女を辞めなきゃいけないと言うことじゃないんだ。逆に言えば、巫女を辞めるための方法として恋をする、と言うのは意味がないってことだ。辞めるなら恋とは別に、辞める。

「最初から天職だと思ったの?」

「恋をする前まではそうは思ってなかったよ。失恋の後、人の助けになることが嬉しくなったんだ。案外単純なものだよ、何かをする手応えってのは」

「私は全然手応えがないよ。当たり前のことを当たり前のようにやっているだけみたいな」

「昔は私もそんな感じだったよ。私は続けているけど、希がもし辞めたかったら、辞めてもいいんじゃないか?」

 頬を張られる感覚。お父さんとお母さんの顔が浮かぶ。彼等の生計は私で成り立っているのに。

「いいの?」

「いいさ」

「生活はどうなるの?」

「しばらくは私が支えるから問題ないよ。それに娘が行きたい道に行くせいで滅ぶ家なら滅べばいいんだよ」

「後、私の次の巫女がいない」

「勝春のところに娘が生まれるか、希が禁を全部破って娘を産むかしなけりゃ、どの道巫女の系譜は途絶える。早いか遅いかの違いだよ、巫女はもうすぐ終わるんだ」

 おばあちゃんは断定の記号代わりにウインクをくれた。


 一面の花畑は僕のものだから、今日も好きな花を摘もう、紫、赤、黄色、でもどれだけ探しても青がない。僕は確かに青の花を植えた筈なのに。蜂が飛んで来た。どこかに行こうとしている、だけど僕はどうしてもその蜂の導く方に行きたくない。「そこには宝が眠っているのよ」と姉さんの声がして振り向くと、よく切れるナイフが置き忘れたままになっている。もしそれを拾ったら、蜂の先に僕は行かなくてはならない。そこには間違いなく青い花が咲いている。姉さんの声も僕の中に残っていたから、僕は自分の中の抵抗をおして、蜂の方に向かった。空が夜の星に満ちるまで歩いた、でもそこには崖だけがあって、僕は他の全ての花を枯らしてしまった。

 東京、数ヶ月以内、平沼ひらぬまさん自身。


 平沼さんはそわそわしながら私の夢の話を聞いていた。私が語り終えると彼は、「つまり」、と大きな声を出す。

「僕が迷っているM&Aをすると、僕の本丸が危機的状況になると言うことですね」

「すいません、内容は私には分からないです」

「ええ、伺っています。夢の内容を理解出来るのは依頼者だけだと。実際に聞いてみると抽象的なようで、とことん具体的に僕の懸案事項を刺して来ます。よく切れるナイフ、それは田坂たさかのことでしょう、M&Aを進言して来ているのも彼だし、実際彼は切れ者だ。でもその言葉に乗ってはいけない」

 私は黙って彼の話を聞く。すぐにお父さんが来てくれる筈だ。

「そして姉さん。これも間違いなくあの組織のことを言っている――」

「平沼様、託宣が済みましたら、この部屋から出て頂きますようお願いします」

 お父さんの介入に平沼さんは素直に従って部屋を出て行った。週に一、二回こうやって巫女としての仕事を続けている。おばあちゃんに相談してみても、だからすぐに巫女を辞める決断は出来なかった。そもそも他にやりたいことがある訳ではない。引き伸ばした場合に潰しが効くように大学に行きたいということだけは決められた。どうにかして両親を説得したいけど妙案がない、またおばあちゃんに相談しに行こう。

 お客さんが来なくても私は同じ床で寝ている。誰かの一部を抱えた状態ではない夜の方がずっと穏やかに眠れる。予知ではない私のための夢を見て、起き抜けに夢を誰かに語ることもない。

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