第3話

 オオワシの格好をした青年が私の元に飛んで来る。「希さん。俺は必ずあなたをそこから連れ去って見せる」私はいつもと同じ布団の上にいて、パジャマまで同じで、後光が眩しくてその顔が正視出来ないその青年の声に「出来るならしてみなさいよ」と拳を振り上げる。「私だってここから出たいのに」小さく呟いた言葉が水滴になって落ちようとするのをオオワシの青年が素早く掬い取る。「言葉は貰った。必ずだ。あなたはそこにいるべき人間ではない」そう言うと青年は光の中に消える。残された私は振り上げた拳をそっと下ろして、ため息をつく。


 いつもの夢と全然違う、具体的で具象的。これは私の願望なのだろうか。それとも私のための予知なのだろうか。そもそも私はまだここから出たいかどうか決めていない。さらに言えば誰かに助け出して欲しいなんて思ったことは一度もない。私は自分の足でここを出るか、出ないと決めてここで生きるかをする。勝手に連れ出すなんて失礼だし迷惑だ。だけど、私を連れ去ろうとしてくれたからなのか、それとも単に夢の感触が意味もなく残っているのか、胸の中に嬉しさが灯っている。それを逃したくなくて布団の上で自分を抱き締める。それに、よく見えなかったけど、カッコよかった。

 もし、私のための予知なら、私にだけはその意味がしっかり分かる筈だ。でも分からない。分からないならこれは予知ではなく普通の夢だ。普通のいい夢を見た、そう言うことだろう。

 学校で休み時間にふと夢のことを思い出したときには、胸の感じは既に消えていた。

「どうしたの? 遠くを見詰めちゃって」

 友里がまじまじと私を見る。ただの夢のことだけど、巫女に繋がる可能性があるから、これも言えない。

「何でもないよ」

「まさか、恋?」

 私に踏み込む好奇心、それをぐっと受け止める。

「残念ながらそれじゃないし、もっとパサパサした進路のことだよ」

「決まったの?」

「大学には行きたいなって思って。自分で生きていけるようにならないと」

「でも、大学なら何でもいい訳じゃないでしょ? 取り敢えず大学行けばOKなんてつまらないよ」

「そうだよね。大学行って何がやりたいかだよね。それが決まらない……」

 チャイムが鳴って友里は自分の席に戻る。誤魔化しで進路のことを話したけど、本当にどうしよう。大学行って潰しが効くようにって、それだったらそれなりの大学じゃなきゃ意味ないし、友里みたいにやりたいことがあって行くなら最高なんだけどな。

 空は大きく青い。あの向こうからまたオオワシの青年が飛んで来そうだ。


「今日も来た。希さん、覚悟は出来たかい?」オオワシの青年が寝所に降りて来た。「何の覚悟よ」「もちろん、ここから出る覚悟さ。言った筈だ。俺はあなたを連れ去るって」「私は私の意志でここを出る」「そう、あなたは出たがっている。俺に着いて来て何の問題もないだろう」オオワシの青年は羽を畳む。後光は相変わらずで表情は読み取れない。私は寝たときと同じパジャマで、場所も同じ。「やれるもんならやってみなよ!」私は腕を振り上げる。「でもここから出たい」私の口から漏れたその言葉が蒸気になって昇ろうとするのを青年が受け止める。「あなたの本音はこっちだ。あなたはそこにいるべき人間ではない。必ず。必ず連れ出して見せる」青年は光の中に消えて、取り残された私はゆっくりと拳を下ろして、ため息をつく。


 まただ。胸の中の暖かさまで同じ。私はまた彼が来るのを待ち始めている? 彼は何なのだろう。短い夢。でも二日続けてだから何か意味がある。

 巫女として依頼者の夢を見る日は、もしかして上手くいかなかったらと心配はあったけど、いつもと同じに求められる夢を見た。だけど、それ以外の日はオオワシの青年が毎夜夢の中に現れる。当たり前のように夢に侵入して来る。二週間が経ち、私は彼を追い払うことの繰り返しに飽き、同時にもう少し彼のことを知りたい、胸に灯る暖かさの正体を分かりたい、そう言う気持ちを抱き始めた。


 オオワシの青年が部屋に入って来る。「今日こそは連れ去る」「こんばんは」「覚悟は決まったか?」彼が羽を収めるのを待って、私は勇気を振り絞る。「あなたの名前は、何?」青年は答えない。後光でどんな表情をしているのかは見えないけど、困っているのは分かる。「教えて、あなたの名前」「何故?」「私の名前は知っているでしょ?」「希だ」「じゃあ、こんなに毎日来るのだから、教えてよ」青年は困って、腕を組んでうーんと唸る。ダメかな。「名前は言えない」私はしゅんとする。彼が始めて焦った声を出す。「代わりにあだ名を付けてくれ」私は少し咲いて、「ジン、はどう?」「ジン。どうして?」「風に乗って現れるから」「分かった。俺はジンだ」「それでジン、どうして私のところに毎夜現れるの?」「いつも言っている。連れ去るためだ」「でも一向にあなたは連れ去らないじゃない」ジンは答えに窮したように黙る。後光が強くなる、「ああ、もう朝だ、また明日な」彼は光に飲み込まれるように消えた。私は始めて拳を振り上げずに彼を見送った。


「ジン」

 自分で付けながら、その名前は彼を象徴しているようで、いつもより胸の中がさらに暖かい。また夜になれば彼に会えると思うと、うきうきする。でもこれは恋じゃない。私は禁を破ったりはしていない。ただ、新しい出会いにワクワクしているだけだ。だけど、通学中に授業中に、友里とのお昼ご飯中に、ふと気付いたらジンのことを考えている。違う。私は恋なんてしていない。私が考えなきゃいけないのは進路のことだ。現実に存在するか分からない男のことじゃない。

 その夜は、役目の日ではなかった。私は寝る前に髪をきれいに梳かしてから床に就いた。


 オオワシの青年、ジンはいつものようにやって来た。初めて私から声を掛ける。「こんばんは、ジン」「今日こそは連れ去る」「ねぇ、私達お互いのことまだ何も知らないよね。少し話そうよ。連れ去るって言ったら着いて行く訳じゃないし」ジンは頷いて羽を畳む。「それで、何を話すんだ?」「何でもよ。例えば、ジンは何歳なの?」「十八歳」「思ったより歳が近いね。私十六」「そうか」沈黙が横たわる。ジンは自分から何かを言おうとはしない気配。「ジンが私のところに来るのは仕事なの?」「仕事ではない。使命だ」「それがなくても私のところに来たいと思う?」「使命なしで来てはいけない」「そう……」「だけど個人としても希とは会いたい」「そう!」「でも使命とは不可分だから」「うん。それはもう分かったよ」私は胸が甘く膨れる、初めての感覚、膨らんだそれは耳から漏れて出そうな程。「私の仕事は知ってる?」「知ってる」「知ってても聞いて。私は依頼者の未来を予言する夢を見るんだ。それを伝えるのが仕事」「すごい力だ」私が駆動して言葉が次々に出る。「でも巫女の仕事じゃない人生もあると思うんだ」「そうだな」「ジンはどう思う? 巫女を続けるべき? それとも他の人生を探すべき?」彼は少し考えて、丁寧に言葉を並べる。「俺はあなたを巫女から連れ去ろうとしている。だけど、それとあなたが巫女を続けようとするのとは別だ。あなたが選ぶことが出来るならそれが正しい道だ」彼の言葉を咀嚼している内に光が強まってジンは去った。


 それから私はジンを待つようになった。役目のある夜が疎ましく感じるようになった。夜に短い時間会うことが生きることの中心になるのに時間は掛からなかった。

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