「次が、終点ですね」

 いつの間にかすぐ隣に来ていたユキナが言った。

「つかれたー」

 シオリが言う。

「疲れたって、乗ってただけなんじゃ」

「電車に乗ってるだけでも疲れるの」

 シオリが本当にめんどくさそうな口調で言う。

「揺れますしね……」

 そう言いながら、外を見る。終点に近付いたせいか谷はいよいよ細くなって、その谷を這うように電車は走っていく。

「終点に行けば、約束は果たされるんです?」

「――だと、いいですよね」

「約束が果たされれば、それがいいの?」

 横から話題に入ってきたのはシオリだった。

「約束に縛られて、それで生きていくのって、結構しんどいよ」

 真面目な顔で言う。

「それに、約束すれば必ず叶うのなら――そんな人生、面白いのかな」

「うん、叶わないこともあると思うよ」

 ユキナが言った。

「だったらさー、忘れられても仕方がない、と思った方が楽だよ」

「でも、人間って」

 一言一言を考えるように、ユキナが言う。

「約束があるから――あるいは自分との約束、願いがあるから、頑張れるんじゃないかな」

「ユキナは色々頑張ってると思うよ」

 シオリは一生懸命に言う。

「でも、それにすがって頑張ってたのなら、その約束が果たせなかったときどうするの?」

「それを信じるのが約束じゃないのかな」

「他人とならまだいいよ」

 僕の言葉に、シオリは被せるように言葉を続ける。

「今ユキナ、自分との約束が願いだって言ったよね。……他人との約束ならまだ、相手を責めることが出来るよ。でも、自分との約束なら、果たせなかった時に誰を責めるの?」

「シオリの言うことは分かるよ」

 ユキナはまた、少し遠くを見た。

「でも、きっと私はそうじゃないと頑張れないから」

「頑張らないといけないのかな」

 強く主張するのではなく、ただ問い掛けるようにシオリが言う。

「気楽に生きていく方がいいよ」

 それはもう、ユキナに言っているわけでも、ましてや僕に言っているわけでもなく。

「何かに縛られて過ごしていくのは苦しいよ」


 ――『シオリは、何に縛られているの?』


 ここまで初対面のはずの女の子に結構不躾に色々と話していた。なのに、その言葉だけは僕は発することが出来なかった。

 ユキナが少し何か言おうとしたけど、それも喉の奥で止まったのが分かった。

 電車はごとごとと音を立てて走り続ける。谷川を小さな鉄橋で越えて、小さなカーブを描いて、そしてまた小さな鉄橋で谷川を越えて。


「何だかごめんなさい」

 沈黙に耐えかねたように、ユキナが言った。

「いえいえ。……僕も何だか色々と考えちゃいました」

「電車の窓の外を見てると、余計にですよね」

 そう言いながら遠い目をするユキナ。

「……アキくんもやっぱり、約束とかを頼りにすることってあります?」

 ――アキくん、ね。

 そう呼ぶユキナの顔が、ふと記憶のどこかと重なり合う。


「――アキくん!」

 僕の顔を見て、泣きそうな表情でゆーちゃんが言った。

 ――鉱山がなくなるのを前にして、父親の研究所は一足先に閉鎖することになっていた。

 父親の転勤。それは当然ながら、僕の引っ越しを、そしてゆーちゃんとのお別れを意味することになる。

 夏休みの最初は荷造りに追われて。そして、引っ越し屋さんのトラックが、僕の家の中にあったものをほとんど運んでいった。

 がらんとした部屋がすごく広く見えたことを、今も覚えている。

 

 ――夕日に照らされた、弥沢駅のホーム。

 僕と、お父さんと、お母さんと。そしてゆーちゃんと、ゆーちゃんのお母さんが立っていた。

「――さみしくなるね」

 ゆーちゃんが呟く。

「向こうに着いたら手紙書くよ」

「絶対だよ」

「うん」

 それっきり黙りこくる。

 汽笛が一つ大きく鳴って、電車がホームに入ってくる。

「アキフミ、行くよ」

 母親が僕の手を軽く引いた。

 僕はそれを少し拒むと、ゆーちゃんに言った。

「……また、会えるよね」

「ううん」

 かぶりを振ったゆーちゃんは、ちょっとだけ変えて、僕の言葉を言い直した。

「また、会おうね」

「――うん、会おうね」

「約束だよ」

「約束」

「ぜったいにね」

「ぜったい」

「――十年後の夏に」

 最後に言ったのはどちらだったのか。


 手を振る僕の前で、扉が閉じて、そして電車は走り出した。

 ちょうど今乗っている、この電車だったと思う。

 それが、ゆーちゃんと会った最後。


「――そう言えば」

 ふと気が付いた。――あれは小学1年の夏。そして、今は高2の夏休み。――何年経ってる? ちょうど十年。

「なんで、忘れてたんだろう」

「アキくんも約束、あるんですね」

「小さい頃の約束だけどね。でも、もう昔のことで、相手が覚えてるかどうかも分からないし、果たしたくてもどうやって約束を果たしたらいいのかも……」

 ユキナはにこっと笑った。

「案外、運命が導いてくれるのかもしれませんよ。……なかなか起きないから奇跡なんですけど、それでも神様ってのは確かにいて、ちょっとした偶然ぐらいは起こして背中を押してくれるような気がします」

 運命、か。

 十年後のこの夏に弥沢駅のホームに来たことも、偶然という名の運命だったのかもしれない。あの日以来この沿線に来たことはなかったのに、今日ここに来たことは。

 その時、電車がトンネルに入った。ごぉっという音が車内を包む。

「何も見えなくなっちゃいましたね」

 そう言うと、ユキナは窓から体を離して座席に腰掛けた。

 

 シオリはすぐにはユキナの隣に座ろうとせずに、僕に向かって小声で言った。

「気付いてるわよね」

 述語を先に言う。

「幌倉鉄道は、とっくの昔に廃線になってる。石ヶ蔵鉱山は、閉山になった」

「……だとしたら?」

「現実じゃないとすると、あとは何があると思う?」

「僕の夢、ってこと?」

 ふと思い当たる。――幌倉鉄道の終点駅は石ヶ蔵駅。だけど、この路線図に書いてある終点は夢見ヶ丘。夢見の世界。

 しかし、シオリは冷たい目で僕を見た。

「貴方が何のためにこんな夢を見るのよ。だいたい、夢見ヶ丘って誰のセンス? 貴方のセンスじゃないでしょ?」

「シオリさんがこの夢を見せてるとか」

 ずっと思わせぶりな発言をしていた彼女なら。

「馬鹿らしい。こんな茶番劇のような電車の夢、何のために私が見せる必要あるの?」

 僕の夢でもない。シオリの夢でもない。じゃあ、残りは一つ。

「言ったでしょ」

 シオリが言葉を切る。

「ユキナは、自分の世界に籠もりがちだ、って」

 一瞬納得しかけてから、疑問を口にする。

「でも、じゃあユキナは幌倉鉄道を知ってるってこと?」

 シオリはあきれ果てたように、吐息をついた。

「あとは、自分で考えなさいよ」

 そう言って、向かいの座席に座る。

 幌倉鉄道を知っている。多分、乗ったこともある。

 ユキナもここに住んでいたということなんだろうか。同い年で、僕と近所に住んでて……


「え」

 思わず声が漏れた。

 待てよ? 「ゆーちゃん」の本名って何だっけ。

 確か苗字は門倉、だったと思う。名前は――子供の頃のことだから記憶は曖昧だけど、悠という字が頭に付いていて、そこから「ゆーちゃん」だったのは覚えている。

 記憶が正しければ。

 かどくら、ゆきな。

「ゆーちゃん」

 小声で呟いてから、もう一度こんどははっきりと口に出す。

「――ゆーちゃん」

 ユキナが僕の方を見て、目を丸くした。

「――アキくん」

 はっきりと、そう声に出した。

「……元気だった?」

 そう言って、僕が立ち上がろうとしたその時。

 カーブに差し掛かった電車が大きく傾く。

 そして次に、レールと線路がきしむ音。

 急にスピードを落とす列車。

 きしみにブレーキの音が加わる。

 僕はバランスを崩して、元の座席にぺたんと腰を落とした。

「私、行かなくちゃ」

 代わりに立ち上がったのはユキナで。

「……どこに?」

「本当の私の世界に」

 そう言って、ドアに向かって歩いていく。追いかけようとした僕は、だけど大事な時に限って体が動かない。

 その後を追うように席を立ったシオリは、僕の前で足を止めた。

「――市立蛍丘病院」

 シオリが不意に言った。

「今日は幌倉駅から来たのよね? 幌倉に向かう列車が出ている駅が蛍丘駅。病院まではそこから、バスで5分ぐらい」

 それが何を示すかという部分は告げずに、ただ淡々と続く説明。

「約束を果たそうと思うのなら、そこに行けば、今なら果たせる」

 今なら。

 その強調が何を示すのか、僕は敢えて聞き返さなかった。

「うん」

 大きく、頷く。

 それだけで通じるから。

「じゃ」

 そう言うと、早足でユキナのところに向かう。

 トンネルを抜けて、電車の中に眩しい光が差し込んできた。


 草むらの中で目が覚めた。

 雲ひとつ無い、抜けるような青空。額の汗が、耳の横を伝って地面に落ちる。

「あつい……」

 もう一度呟いた。

 覗き込んだ線路はすっかり草に埋もれていて、そのままどこかに消えている。追いかけていけばどこかにレールがあるのかもしれないけど、この生い茂った草むらの中でそれを探す気力はない。

 そして、探そうとも思わなかった。

 そんなことより早く、行かなくちゃいけない場所があるから。

 道路の方を見ると、遠くからバスが走ってくるのが見える。多分、さっき乗ってきたバスが、終点で折り返してきたんだろう。幌倉、という行き先表示が見えた。

 僕は手を振ると、バスに向かって走っていった。

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