5
やはり誰も乗らないまま、電車はすぐ走り出す。
(――詳しいんですね、か)
1人になった僕は、窓の外を見ながら小さく呟いた。
詳しいのも当然で。僕は昔、廃線となる前、この列車に乗ったことがある。
乗ったことがある、どころではない。――僕は小さな頃、この鉄道の沿線に住んでいた。
生まれ育った山間の集落。
……と言っても、よくあるような「小さな」という形容詞は付かない。山に挟まれ、真ん中を川が流れている、そんな地形の狭間に強引に詰め込まれたような、ぎゅうぎゅう詰めの家々。それが僕の生まれた町だった。
幌倉鉄道は、JRの幌倉駅から分かれて、終点の石ヶ蔵駅(――そう、僕の記憶が正しければ、終点は夢見ヶ丘なんて綺麗な駅名ではない)までを結ぶ私鉄だった。旅客輸送もしていたけど、石ヶ蔵からの貨物輸送が収入の大きなウェイトを占めていた。
石ヶ蔵鉱山が、閉山になるまでは。
僕の父親は、その鉱山に勤めていた。
と言っても坑内で働いてたのではなく、研究部門だったらしい。だから鉱山の中心部の石ヶ蔵ではなく、古い坑道を使った研究施設があった弥沢に住んでいたと聞いたこともある。
もっとも、その当時には既に、鉱山は衰退に向かっていた。
弥沢の坑道は既に閉鎖されていて。いちばん奥の石ヶ蔵鉱山も、産出量は最盛期の十分の一ぐらい。
鉱山があったころですら、弥沢は既にほとんど寂れきった集落だった。小学校に行くのも、電車で隣の北平木駅――そう、さっき通過した駅だ――まで通っていた。研究施設がなかったら、もう無くなっていた町だったのかもしれない。
でも、それでもあの頃は、既に終わり行く町だったけど、だけど確かに生きてる町だった。
小学校低学年というのは、女の子と無邪気に遊ぶことが出来る最後の年頃なのかもしれない。
もっと大きくなると、遠慮が出来たり、周りからからかわれたり――要するに、異性と遊ぶのは徐々に難しくなる。
「――ねぇ、ねぇ」
――それは古い記憶。
もっと印象的な光景はいくらでもあったと思うのに、僕が思い出したのは、なんてことのない日常の風景で。
駅に向かう古い橋の上。
僕を呼ぶのは同い年の女の子。弥沢から電車で通っている子はほとんどいなくて、そしてその子は、同級生で唯一の弥沢から一緒に通っている子で。
「アキくん、ねー、電車行っちゃうよ」
アキくんと僕を呼んでいた女の子だった。
「もう間に合わないよ……。次の電車を待とうよ」
「やだー。暑いもん」
そう言った時、背後の鉄橋を電車がゆっくりと走っていく。
「ほら、来ちゃった……」
「あーあ」
残念そうに呟くと、ゆーちゃんは橋の欄干に腰を下ろす。
「しかたないねー」
「ごめんね」
そう言って、僕も隣に腰を下ろした。
「あたしたち、待ちぼうけー」
「まちぼうけー、だね」
そう言いながら、ゆーちゃんの横顔を見る。
鉄橋の方を見ていたゆーちゃんが、ふと僕の方を見て、目と目が合う。
「……すき?」
「すき、かな?」
「あたしも」
「えへ」
「ずーっと、いっしょにいられたらいいな」
「うん」
――僕がこの鉄道の沿線に住んでいたのは、小学2年の夏まで。
だから、これは小学1年の時の記憶で。ゆーちゃんも自分も、鉱山の閉山を契機に、同じような時期に引っ越していった。
一度か二度、連絡を取ったような気はするけど、いつしかそれも途絶えて。
寂しい、というより、今となってはほほえましくも懐かしい思い出。
「なにニヤニヤしてるの、気持ち悪い」
横からの声で、僕は我に返った。
いつのまにかシオリが僕の横に移ってきていた。
「物思いに耽ってた」
「ユキナって可愛いなぁ、とか?」
ぶっ。
「――突然何を言うんですか」
思わず訳の判らないところで敬語を使う。
「かわいくない?」
わざとらしく微笑を浮かべながら言う。……なんとなくこう、目の前に選択肢が出たような気がする。「かわいいね」とか「シオリさんの方がかわいいよ」とか。
「あはは、ばーか」
何か言おうとするより前に、シオリはくすくすと笑った。
「面白いなー。からかいがいがあるよ、うん、逸材」
そう言いながら、ちらっと列車の奥の方を見る。
「大丈夫だよ、ユキナには聞かれてないよ。あの子は一度自分の世界に入るとなかなか出て来ないから」
視線の先では、ユキナがぼんやりと窓の外を眺めている。
「ユキナはそういう子だから。――誰かのことを好きだと思ったり、何かに夢中になったり、思い出に浸ったりし始めると、自分の世界に完全に潜ってしまう」
そう言ってから、意地の悪い顔をする。
「まぁ、貴方みたいにだらしないにやけた顔はしないけど」
「ですか」
口は悪いけど性格は悪いわけじゃないんだろうな、と思った。めんどくさそうな口調で言いつつ、結局はユキナさんのことをよく分かってるんだな、と。
「ユキナさんとは長い友達なんですか?」
だから、それは何気ない質問のはずだった。
しかし、途端にシオリの顔が険しくなる。
「向こうは、友達だと思ってるだろうな」
聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。
「……友達じゃ、ないんですか?」
「友達だったら、楽なんだけど」
そう吐き捨てるように言う表情は、憎しみとかではなく、哀しみ、あるいは何かを諦めたような寂しさ。
だから僕は、もう一度言葉を紡いだ。
「シオリさんにとっての、ユキナさんは」
「疫病神、とか?」
そう言って苦笑いする。
「時々あるじゃない。周りの人間を色々と不幸に巻き込む子と、その子と友だち付き合いとするお人好しの子の、人間ドラマを描くようなお話」
冗談めかした口調で。だけど少し早口で。
僕が黙りこくっていると、もう一度言葉を付け加える。
「……あはは。冗談だよ」
笑ってみせる。
「ほんと、からかいがいがあるなぁ。面白い面白い」
「シオリー、いつの間にアキフミくんのところに来てたの?」
ちょうどその時、ユキナが来て声を掛ける。
「えー。だってユキナがまたぼんやりしてるから」
そう言ってから、ふと僕の顔を見た。
「そう言えば、アキフミくんだったよね」
「うん」
「ふーん」
意味ありげな笑みを浮かべる。
「どうかしました?」
「あーいや、ユキナの名前の呼び方がほんと自然だなぁって」
「ちょ、ちょっとシオリ、そんなのじゃないよ、さっきも言ったよね」
ユキナの言葉をシオリは無視して。
「……良い名前だね」
何故だか柔らかい笑顔で、僕に言った。
放送もなく、スピードが落ちる。
星越駅、だっただろうか。
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