第10話:御堂君、お待ちしていました

 一日の授業が終わった。

 部活に行く遊助ゆうすけと別れて、文芸部の部室に足を向けた。堅田かただは先に教室を出たし、部室で待ってるに違いない。


 文芸部室は中央棟の2階にあった。

 ちょっとここまで迷ってしまった。

 堅田は待ちくたびれてるかもしれん。

 申し訳ない。


 このフロアは文化系の部室がいくつか並んでいて、初めて足を踏み入れる。

 少し緊張しながら、『文芸部』と札のかかったドアを開いた。


 壁際には天井までの大きなスチール棚があり、雑誌や本や、部誌らしき背表紙も見える。

 室内は中央に大きなテーブルがあり、その周りにいくつかパイプ椅子。

 堅田はその一つに座って文庫本を読んでいたが、俺が扉を開ける音でこちらに顔を上げた。


 こうして改めて見ると、きっちりとまとめた黒髪に白百合の髪飾り、眼鏡、そして手元の文庫本という種々のアイテムが、いかにも真面目な文学少女という雰囲気を醸し出している。


 白百合は処女・純潔の象徴と言う。

 しかし昨日彼女の部屋で見た堅田は……


 いや、そんなことを考えるのはやめるんだ、俺!

 この真面目な雰囲気の堅田と昨日のギャップを考えるだけで、言い表せないドロドロとした感情にまみれそうになる。

 学校の一室で、それはいくらなんでもマズい。


 いや。それとも昨日の堅田は、俺が見た白昼夢だったのかもしれない。


 マジでそんな気がしてきた。

 昨日のことはきっと俺の妄想だ。

 最近疲れてたからな。

 もう気にしないでおこう。


「あ、御堂君、お待ちしていました。いらっしゃい」

「おう。いらっしゃいました」


 堅田はきょとんとしたあと、手を口に当ててクスリと笑う。

 そんな仕草も堅物かたぶつの真面目少女らしい。


「じゃあ早速ですけど」


 堅田はなぜかブレザーを脱いで、ネクタイを緩めてる。そしてブラウスのボタンまで外し始めた。


「なあ堅田。何してるんだ?」

「え……? な、何って……せっかく御堂君が来てくださったので、お、お茶を入れる準備ですけど?」

「なんでお茶の準備に、ブラウスの胸ボタンまで外す必要があるんだっ!?」

「あ、すみません。ついうっかり」

「それはいいからお茶入れてくれ」

「(ちぇっ、バレたか)じゃあそちらの椅子に座ってください。お茶かコーヒー、どっちがいいですか?」


 今、小声で『バレたか』って言ったよな!

 俺を誘惑する気満々かよっ!?


 昨日のことは俺の白昼夢じゃなかった。

 大人の階段は一歩ずつって約束したのに……スキあらばってことか? 気を抜けない。


「そ、そっか。お茶をお願いする。コーヒーはちょっと苦手なんだよ」

「わかりました。御堂君はコーヒーがちょっと苦手と……」


 堅田はメモしてる。相変らずメモ魔だな。


 静かな室内。印刷紙の香り。

 堅田がカチャカチャとお茶を入れる音が響く。

 妙に緊張して、椅子に座って待っていた。


「どうぞ」


 突然後ろから堅田の声が聞こえた。後ろから目の前ににゅっと手が伸びて、お茶が入ったマグカップがテーブルに置かれた。

 白くて細い指先から腕、そして肩へと目を移すと、ブラウス越しの大きな胸の膨らみが目に飛び込んできた。


「おわっ……」

「え? どうかしました?」

「あ、いや。なんでもない」


 ああ、びっくりした。

 堅田はその大きな胸が、高校生男子にとって凶器なのだと自覚してほしい。


「くすっ……変な御堂君」


 テーブルを挟んで向かいに座った堅田に笑われた。

 変なのはお前だ。自覚してくれ。


 でも気を取り直して会話を続ける。


「今日の昼休みは大変だったね」

「あ、はい。そうですね。心配をおかけしました」

「助けてあげられなくてごめん」

「いいえ。学校では他の人に私たちの関係は黙っておこうって二人で決めましたから」

「いや。恋人ごっこのことは別としても、いちクラスメイトとして助けることはできたはずだ」

「でも御堂君は鈴木君と佐藤君に何か言おうとして、立ち上がりかけてましたよね。品川さんが声を出してくれましたから、そのままタイミングを逃したような顔をしてましたけど」

「あ……見ててくれたんだ」

「ええ。『ごっこ』とは言え、御堂君は私の恋人ですから。もちろん見てますよ」


 やべ。きゅんとした。

 なんて可愛いことを言うんだよ堅田は。


 俺は照れ臭さをごまかすために、部室内をぐるっと見回した。


「本がいっぱいあるね。ここで堅田はいつも過ごしてるんだ。一人で寂しくない?」

「元々人と話すより、一人でいる方が気楽で好きですから。寂しくありません」


 それは俺も同じだからよくわかる。


「そっか」

「はい、昨日までは」

「昨日まで?」

「昨日初めて御堂君と恋人……ごっこをすることになって、肌を合わせたら、やっぱり一人でいることが寂しくなっちゃいました」

「肌を合わせたって?」


 そんなことはしていない。


「御堂君の腕にしがみつきましたから」

「いや、言い方!」


 まるでエッチをしたかのように言わないでくれ。

 知らない人が聞いたら誤解を招くから!


「あ、そうですね。まだエッチなことはしていないのでした」

「まだ?」


 まるでこれからするかのような言い方。

 ドキリとした。

 童貞男子には刺激が強すぎだ。

 堅田はやっぱり、スキあらばやる気なのか?

 猛獣系女子?


 いや、お姉さんのことを考えると、それは絶対に避けなければヤバい。


「はい。それとも、もう・・しちゃってましたっけ?」

「あ、いや。確かにまだ・・してないな」


 そういう意味か。

 ドキッとして損した。

 俺のドキリを返してくれ。


「あ、どんな本があるのかな……?」


 先走った想像をしてしまった自分が恥ずかしい。

 それをごまかすために俺は席を立って、手近な棚から何げなく一冊の本を取り出す。そしてぱらぱらとページをめくる。

 読む気なんてさらさらないけど、そのまま棚に戻すのも不自然なので、数行読むフリをした。


 いや、読むフリだけしようと思ったんだけど。


 ──うわ、なんだこれ。


 その文章は、男女が濃厚なキスをして興奮が高まるシーンだった。

 文字だけでこんなにエロいなんて、この作者神かよ?


 近くに同級生の女子がいなければ読みふけりたいレベルだ。

 だが今はそういうわけにはいかない。

 急いで棚に戻そうと思った瞬間。

 俺の背中から、堅田のため息のような声が聞こえた。


「これ……すごいですよね」


 振り返ると俺の背中に身体を密着させて俺の手元の本を覗き込んでいる堅田。

 顔が赤くて、心なしか吐息が荒い。


 ──この態勢、めっちゃヤバい!


 俺は慌てて本を閉じて、彼女の方を振り向いた。

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