出勤したら上司の機嫌がド底辺でした
その日は朝からお城の中がブリザード状態だった。
勿論、お城の屋根が吹っ飛んでしまったとかそういう話ではなく。そもそも現在は春真っ只中。大きな窓から覗く空は雲ひとつない快晴だ。
……では、なぜこんなにも薄ら寒いのかというと。
「エマ、なんか今日機嫌悪くない? めっちゃ眉間に皺よってて怖さが三倍マシだよ」
レマーーーーーーノッッッ貴様ーーーー!!!
……と、危うく叫び出すところだった。
アイリスの間に会していた他の使用人達も、一斉に顔が蒼くなり、人によっては制止しようと手が出かけたり、足が出かけたりしてたが、皆、寸でのところでおそらく言葉を飲み込んだ。
一方、全く空気の読めない第三王子は、東方の説話に出てくる鬼みたいな顔! と人のことを指さして笑っている。私に力があればその指、逆方向にへし折ってやるのに……!
体感で更に数度下がった室温を感じながら、私たち使用人は冷や汗だらだらで押し黙るしかない。
しかし、アレンとクランは動じず食事を続けていた。いや、アレンは苦笑しながら、気遣うようにこのブリザードの発生源であるエマを見ていたが。
エマは絶対零度の眼差しでレマーノを見下ろし、(使用人がいくらチャラチャラしてるとはいえ王子にそんな目を向けて……! と私はまたハラハラした)心のこもってない声で「申し訳ございません」と謝罪した。
「色々と予定外が発生しており、考え込むうちに、つい眉間に力が入ってしまったようです。……ところでレマーノ殿下、先日お願いした書類がまだ返却されていないようですが、そちらの状況は?」
「えっ」
「期日は本日正午まで。まさか殿下に限ってお忘れになってるだなんてこと、有り得ないとは思いますが、今一度ご確認くださいね」
や、八つ当たりだ……。
多分私が同じこと言ったらこの不敬者! と首を刎ねられる恐れもあるが、今度はレマーノが顔を蒼くする番だった。
たじたじになりながら、「えっとお」「あー、あのあれね、忘れてないよ?」なんて言い訳している。忘れてた人の反応だ。
「お前の仕事が終わらないと、こちらにも影響が出る。早急に処理するように」
エマの周りを吹雪く冷たさを更に上回る鋭さで刺したのはクランで、食事を終えたらしい彼は丁寧な所作で口元を拭うと、レマーノを一瞥し、他には目もくれず部屋を出ていく。
レマーノはすっかり言い返す気力を無くしたようで、萎れながらもそもそと食事を再開した。
そんな彼に困ったように笑いながら、アレンも食事を終え席を立つ。
「エマ、その予定外とやらはどうにかなりそうなのか?」
入口付近で待機していた私たちの元を横切る時、エメラルドグリーンが心配そうに細められ、エマへと向けられた。
アレンの気遣いにエマの雰囲気も少しだけ和らぎ、彼女は心優しい王子に首を振る。
「ええ。殿下のお手を煩わせるようなことは何も」
「わかった。無理はするなよ」
エマの応えに納得したように頷いたアレンは、私にも微笑んでみせてから、その場を去っていった。
もそもそ食事を続けていたレマーノもしっかりと完食し、ゲストの居なくなった広間で手分けして片付けを行う。
私は、黙々と食器をワゴンに乗せていくエマをちらりと見、意を決して声をかけた。
「あの、エマさん……よ、予定外のことって……?」
すると、不機嫌そうな顔のまま、無言で見つめられ思わずたじろぐ。
鋭い視線が、探るようにこちらを射抜いていた。
「余計なこと言ってたらすみません、でも手伝えることがあれば、と思って……」
言ってから、これで家政婦長にしかできない仕事とか、昔からいるエマにしか渡されてない情報とかだったら、ただ好奇心で首突っ込んだ奴になるな……とちょっぴり後悔する。
しかし意外にも、エマの表情の強ばりがほんの少しだけ解けた。
エマは私の姿を頭のてっぺんからつま先で見下ろすと、テーブルを拭きながら目を伏せ、ぽつりと零す。
「……貴女、見た目は力もなさそうで意思も薄弱、典型的な箱入り娘って感じよね」
「えっ……」
きゅ、急に悪口……。
しかも、そんなふうに思われてたのか……。
ここに来て暫くは自分の顔に違和感ありまくりだったが、三日もすれば慣れてしまってて全く気にしていなかった。
傍から見るとそんな儚い系に見えるのか……いやいいんだけど……と複雑な気持ちになっていると、エマが言葉を続ける。
「でも、仕事は真面目だし、この数週間、一度も休みもしないし、遅刻もないわ」
やや顔を伏せているので表情は良くわからない。
でも、もしかして褒められた……? と思いつつエマの言葉を反芻し、いやいや、と脳内で首を振る。
「仕事ですから、普通のことかと……」
社畜時代に比べてかなり健康的で文化的な生活をさせてもらっているから病気知らずだし、遅刻なんて言語道断だ。そんな当たり前のことも出来ないような子だと思われてたのか、それとも遠回しの皮肉なのか……。
思わず疑うような眼差しになった私に、エマの瞳からハイライトが消えた。
「そう。そうね。仮にも王家の使用人。生半可な気持ちでやってもらっちゃ困るのよ。なのに、あの子達ときたら……!」
エマの手に握られてた布巾が、可哀想なくらいに握りつぶされている。
呪うように言葉を吐くエマの肩がわなわなと震え、禍々しいオーラが立ち込めていく……幻覚を見、私は目を擦った。うん。そんなオーラは見えない。でも、肩どころか全身震えている。
「エ、エマさん……?」
どうどう。両手で宥めるポーズをしながら、エマの顔をのぞき込む。と、怒りに燃える瞳でエマが顔を上げた。
「ささくれ如きで休むんじゃないわよこの世間知らずがッ!」
「えええエマさん落ち着いて!」
ビターン! と叩きつけられた可哀想な布巾を慌てて拾う。こんなにご乱心なエマは初めてで戸惑ったが、要するにしょーもないことで使用人が休んだのだろう。
「勤務時間被ってないなら、その子の分も私が働きますから!」
とりあえず一回休憩にしません? そうしましょ! とすぐそばに居たキッチン周り担当の使用人さんに目配せし、憐れな布巾を手渡した後、私はエマを休憩室まで誘導した。
推しカップルの恋路を守るだけの簡単な推し事 ゆーのん @yunon0514
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