社畜、メイドに転職します。




「制服はこちらになります。全て忘れず身につけてくださいね。髪型はシニヨン、爪は指先からはみ出ない程度まで整えること。起床は六時。身支度を整えたらすぐにエントランスまで来てくださいね。いいですか?」

「は、はい」


 怒涛の如き説明と共に胸元に押し付けられる黒い布と小箱を受け取りながら、目の前の小柄な目付きの鋭い女性にコクコクと頷くと、「では、今夜はゆっくりお休みなさいませ」と、ほんとに思ってる? と聞きたくなるような無表情で告げて部屋を去っていった。

 嵐のような人だったなあ、と呆然としながら受け取ったものをテーブルに置き、まずは黒い布を手に取り広げてみる。


「すご……コスプレじゃんこんなの」


 それはやはり踝まで長さのある、上品なクラシカルロングメイド服だった。一緒に腰に取り付けるのであろう白いエプロンもある。

 次いで、小箱へと目を向ける。バラの花弁を象ったお洒落な蓋のつまみを持ち上げると、中には爪切りや髪ゴム、ヘアピンなどが用意されていた。


「なるほどね……ちゃんと纏まるかなあ」


 長さもあり、毛量もそこそこある我が髪の毛。しかも、現実の私はボブだったから暫く髪なんて結んでない。上手くできるかなあ、と思いながら、あんまり手こずると怒られそうだよな、と終始クールだった先程の女性を思い出す。


 彼女はエマ。このお城の家政婦長らしい。

 アレンが生まれた頃からこのお城にいる、古株なんだとか。時折俺でも逆らえないことがあるくらいだ、とアレンが苦笑していた。


 あれから、私はアレンの申し出をありがたく受け、このお城で住み込みの使用人として働くことになった。どうして彼が、初対面であろう私を誘ってくれたのかは分からない。丁度一人辞めてしまって人を探していたとは言われたが、そんな理由だけでは一庶民の私をほいほいとお城に招かないだろう。

 しかし、私にこの世界の知識がない以上、住所不定無職であることに変わりはなく、あとまあ、どうせ夢だと思って(勝手に仮定して)、美味しい話には乗っておこうかな、と思った。


 だって、こんな絵に描いたようなお城で、イケメンの推しを眺めながら仕事できるなんて役得すぎる。

 まあ、仮にも一国の王子だし、そんなに頻繁には会えないかもしれないけど。


 仕事はシフト制で、朝番、夜番で分かれているらしい。

 朝は六時から十五時、夜は十五時から二十二時。途中に休憩もあり、現実の職場で完徹もしょっちゅうさせられてた身からすれば破格の対応だ。

 しかも、住み込み用として、寝かされていた部屋をそのままあてがって貰えるらしい。本当は使用人達専用の棟があるらしいが、アレンの計らいで、私は彼らと同じく本館に部屋を貰っている。


「うーん、めちゃくちゃホワイト企業に就職した気分」


 広い部屋に上質な家具。上質な服。三食付き。

 いつ覚めてしまうかわからない状況だし、折角だからめいっぱい楽しも。そんな事を思いながら、ふかふかの羽毛布団に包まれて私は眠りに落ちた。






 翌朝、六時前。

 早めに起きて本館のエントランスに向かうと、すでにちらほらと朝番の使用人達が集まっており、当然そこにはエマの姿もあった。

 目が合ったので会釈し、横にズラっと並ぶ列に加わる。


 六時になると家政婦長のエマの挨拶が始まり、本日の注意事項、陛下や殿下のご予定などが共有され、「では、本日もレオフォード家の使用人として恥じない行動を心がけるように」といった締めの言葉を皮切りに、執事やメイドが方々に散っていく。

 それをやや呆然と見送っていると、エマが私の目の前にやって来て、片眉を釣り上げた。


「なんですか。その間抜けな顔は」

「あ、いや、皆さん行動が早いなあと」


 すみません。笑って謝れば、ふん、と鼻を鳴らされる。しかし、怒っているわけでは無さそうだ。


「貴女は初日ですし、私と共に行動してもらいます。まずは、殿下の朝食の準備からです」


 エマはそう言うと踵を返し歩き出してしまい、慣れない裾に足を取られながら慌ててその背中を追いかける。


「通常、陛下と殿下はアイリスの間で食事をされます。本日はアレン殿下、レマーノ殿下の二名分を用意します」


 レマーノ。その名前に思わず眉を顰めてしまう。

 私が想像する小説の世界を映しているなら、それは第三王子の名だ。けど、兄たちと違い王位争いにはとことん興味がなく、裕福に暮らせればなんでもいいやなタイプのちゃらんぽらん。しかも女の子に見境がなく、ヒロインにちょっかいを出していたので私はその度、二人の恋路を邪魔するな!! と紙面越しに怒りの念を送っていた。


「料理の説明や配膳はシェフが行うので、私たちは殿下がいらっしゃる前にテーブルの準備を整えておきます。さ、着きましたよ」


 だだっ広い廊下を進んでしばらく、豪奢なデザインの大きなドアの前でエマが立ち止まる。側にはステンレス製のワゴンが置いてあり、純白のテーブルクロスや銀食器が並べられていた。

 エマはテーブルクロスを私に渡すと、重たそうなドアを押し、中へと入る。


 採光のためだけに誂られた、壁一面のはめ殺し窓。そこから射し込む朝陽に照らされる、マッドなココア色のテーブルは一体何人用なのかと呆れるほど大きい。陛下と殿下しか来ないならば、絶対に空間の無駄遣いだ。

 エマとテーブルクロスの両端を持ち、テーブルの上に広げる。皺をのばしながら整えていると、カラトリー片手にエマが隣に立った。


「貴女、テーブルマナーは?」

「え!? ……いや、ほとんど知らないです。ごめんなさい」


 テーブルマナーなんて、中学生のときに家庭科の授業で少し触れた程度だ。


「……貴女には教養の時間も必要ね」


 エマのため息が矢になって心に刺さる。

 確かに、最低限勉強しなければならない事が沢山ありそうだ。


 テーブルマナー、復習しとこ……。と落ち込みながら、私はエマの見よう見まねで準備を進めていった。


 大まかな準備が終わった後、埃が落ちていないか、窓や食器に汚れがないかなどを細かく確認していると、後ろから「おはようございます、殿下」とエマの声が聞こえてきて振り向く。

 アレンかな? と期待しながら後ろを向いた先、目が合った人物に苦い顔になりかけたのを、根性で堪えた。


「あれ、見慣れない子がいる! 新入り?」


 ミルクティー色の髪に、アレンよりも色素の薄い緑の瞳。

 外ハネにセットされた長めの襟足に、一見優しげな垂れ目の奥に潜む軽薄さは、やはり想像していた通りの見目をしていた。


 早速声をかけられるとは……と内心で苦虫を噛み潰していると、殿下に向かって頭を下げていたエマにひと睨みされ、慌ててスカートの裾を持ち上げる。

 作った笑みを唇に乗せ、興味津々といったようにこちらを見てくる瞳を見つめ返した。


「お初にお目にかかります、レマーノ殿下。昨日より使用人として雇っていただきました、ユマと申します」


 軽く膝をまげ、挨拶をした私にレマーノはニコニコと嬉しそうだ。


「よろしく〜、てかすごい可愛いね、ユマちゃん。俺の専用付き人にならない? 男ばっかでむさ苦しいんだよなー」

「えっ……」


 絶対嫌なんですけど……。

 折角推しのいる世界線に居るのに、どうして推しじゃない人の傍につきっきりにならなきゃいけないのか。


 でも、さすがに「嫌です」とは即答できず、困り笑顔で誤魔化してみる。


「私は新人の身ですので、きっと殿下にご迷惑をおかけしてしまいます。私では務まらないかと……」

「いいよいいよそこに居るだけで! 癒し枠的なさ」

「レマーノ殿下。アレン殿下がお聞きになられたら、なんと申されるか」


 助け舟を出してくれたのはエマで、アレンの名を聞いたレマーノは途端嫌そうな顔になった。


「エマも兄さんも厳しいなー、エマが黙っててくれれば兄さんも気づかないって」

「俺が何だって?」


 唇を尖らせて文句を言っていたレマーノだったが、背後からやってきた人物にビクゥ! と肩を跳ねさせていて少しスッキリ。

 レマーノが錆び付いたブリキの人形のように後ろを向くと、そこには眩しいほど綺麗な笑顔のアレンが居た。


 エマも私も、アレンがやってくることには気づいていたが言わなかったのだ。


「に、兄さんおはよう、いい朝だね……」

「ああ、おはよう。お前は早速メイドにちょっかいをかけてたのか?」


 うん? と詰め寄られて、レマーノは微かに顔を青くしながらいそいそと席に着いた。

 そんな弟の様子にアレンはため息をつきながら、ふと私を見遣り、こちらに一歩近づく。


 きょとりと見上げる私に柔らかく微笑み、アレンは挨拶の代わりとするように、私の頭をポンとひとつ撫でた。

 すぐに、エマから「アレン殿下……」と鋭い眼差しで咎められて、苦笑いしていたけど。





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