住所不定無職、王子様に拾われる。
なんか、久しぶりによく寝た気がする。
えもいわれぬ多幸感に包まれながらゆっくりと目を開くと、そこは変わり映えのない自室の天井──では、無かった。
「ええ……」
己の口から盛れる戸惑いの声は鈴を転がしたような音色で、やはり違和感がある。
どこなのここは……。眉を顰めながら起き上がると、日本では滅多にお目にかかれなさそうなアンティーク風の部屋だった。一つ一つの家具がお高そうな凝った造りをしている。
ふと視線を下ろすと、自分の頭から生えているのであろうウェーブがかった長い髪が腕に絡まっていて、ヒェッと肩を竦めた。だって私はボブだ。こんな視界に髪が入ることなんて無いし、髪色も真っ黒で今目にしているような艶のある亜麻色では無かったはずだった。
一体何が起きてるのか。
「私、確か公園でサボってて……男の子を……」
そう、男の子を助けようと飛び出した。急ブレーキを踏むトラックの目の前に。
あの子は助かっただろうか。運が良ければ私に突き飛ばされて、少しくらいかすり傷は出来てしまうだろうけど轢かれては居ないはず。
でも……私はあれ、確実に死んだだろうなあ。
正直もう、なんのために仕事をしてるのかも、生きているのかもわからなかったからいいんだけどさ。あのまま会社に帰ってもろくな事にならなかっただろうし。
しかしじゃあ、ここは死後の世界? それにしては五感がやけにリアルな気がする。それに……。
「死後の世界って、見た目まで変わるもんなの……?」
ぼそりと呟き、白くて小さな手を眺める。不摂生な生活をしていた私の手はこんなにすべすべでもふにふにでもなければ、こんなに可愛らしい桜色の爪は生えてなかった。
服も、踝まであるシンプルな長いワンピースで、こんな服を持っていた記憶はない。
うーん、と首を傾げながら室内を見回すと、ふと壁掛けの鏡を見つけた。
一体自分がどうなってしまっているのか。見るのが少し怖いけど、ずっとここでこうしているわけにも行かないし。躊躇いながら自分が横になっていたベッドから降り、鏡の前に行く。そこに映っていたのは──。
「いや誰」
まっっったく知らない顔だった。なんか見た事あるかも……? とかすらない。鏡の中の少女が、怪訝そうな顔で私を見つめてる。ただ、結構可愛い顔をしていたのでちょっと嬉しい。
手と同じく白い肌の小さい顔。焦げ茶色の大きな瞳に、小ぶりの鼻と薄桃の唇。下がり気味の眉が大人しそうな、儚そうな雰囲気を醸し出している。いまは眉を顰めてしまっているため、半減しているが。
でも、可愛いけど、なーんかょっと情けない顔してんなあ、気の弱そうな。なんて考えながら自分の顔をむにむにと摘んでいると、ふと背後でガチャッと音がして肩が跳ねる。
目を丸くしながら振り返ると、そこには同じく少し目を見開いた、美男子が居た。──夢、だとばかり思っていた、その人が。
「目が覚めたのか。調子はどうだ?」
すぐに柔らかい表情になり、そう気遣ってくれる目の前の存在は、やはり何度見ても、私が高校生の頃ハマって何度も読み返していた御伽噺のヒーロー、つまり主人公の女の子の相手役だった。
その御伽噺は、主人公が大きな国のお姫様で、色々な理由があり隣の小国の王子様と婚約するところから始まる。けど、小国には三人の王子様が居て、物語の初めではまだ誰と婚約するかは決まっていない。
小国では水面下で第一王子と第二王子の王位争いがあり、最終的には第二王子が争いを勝ち、王様になって主人公とも結ばれるのだが──……。目の前の彼は、その第二王子と姿形、名前までもが同じだった。
……ここ、死後の世界かと思ったけどやっぱり夢? 私の脳、死に際だからって都合のいい夢を見ようとしてるのかな。でもそうだとして、この私の立ち位置って一体……。
「おい、大丈夫か?」
思考の海に溺れかけたところを、耳心地の良い声に引き揚げられる。宝石のような瞳が至近距離でこちらを覗き込み、目の前の彼、アレンはひらひらと手を翳していた。
「あっ、はい。大丈夫です」
驚いてちょっと後退りながら答えると、アレンは僅かに安堵したような顔を見せた。
「よかった。体調がおかしいと感じたら、いつでも言ってくれよ。……さて、君のことについていくつか確認したいことがある。立ち話もなんだから、座ろうか」
そう自然な流れでソファまで誘導され、ふかふかのそれに座らされる。アレンは向かい側に座ると、組んだ手に顎を乗せてこちらを見た。
「俺の名前は、覚えてる?」
「えっと……アレン……殿下?」
もし、ここが本当に私の想像する世界なら。彼は王子様。呼び捨ては良くないだろうと思い、馴染みが無さすぎて違和感を感じながら敬称を付ければ、アレンはぱちりと瞬いたあとで、意地悪く口元を歪めた。
「俺のこと、思い出したのか。それとも誰かに教えてもらった?」
その顔を見て、ああ〜〜〜この笑み、完全にアレンだわ。と内心で崩れ落ちる。基本的に爽やかで優しくて男前な王子様だが、時々こうやってちょっぴりSっ気のある一面を覗かせる。この悪戯っぽい笑みがなによりの証拠だ。
まさか、こんな目の前で拝むことが出来るとは……と内心で泣きながら、私は困って笑った。
おそらく初めて会った時、名を尋ねてしまったことをからかわれているんだろう。まあ、自国の王子様の名前も顔も知らない国民なんて不審すぎるもんな……。
「あのー……あの時はちょっと、気が動転してまして……」
「ふうん?」
ハハハ、と誤魔化す私に向けられた面白がるような流し目が色っぽくて心臓にクる。いちいちイケメンだわ……。
しかしそれもつかの間、真剣な眼差しに戻ったアレンが、私に尋ねる。
「じゃあ、自分の名前は言える?」
池田優茉です──即答しかけて、いやでも、完全にイケダユマ顔では無いんだよなと思いとどまる。
「ユマ……です」
悩んだ結果、まだこの国の人名として可能性のありそうな下の名前を告げれば、途端悲しそうな顔をされた。そんなに変な名前だった? しかし、その表情の理由はすぐに知れた。
「そうか。……気を失った君をここに運び込んだ後、君のことを調べたけど、君の名前は……」
そこで言葉を止めてしまったアレン。
なるほど、調べた結果と違う名前を言ってたら、確実に変な子だもんね。憐れまれるのもわかる。
「他に、覚えてることはある?」
優しい声で問われ、今度は素直に首を振った。
よく考えたら、この夢が醒めなかったら私どうしよう。住んでる場所も、なにもわからない。見たところ何も持ってないし、夢の中で野垂れ死にするのは悲しすぎるんだが……。
不安になったのが顔に出てしまったのか。微笑んだアレンが身を乗り出し、ローテーブル越しに私の肩に手を置いた。まるで、私を元気づけるように。
濁りなく煌めくエメラルドグリーンに吸い込まれそうだ、なんて考えながら見つめ返す私に、アレンが形の良い唇を開いた。
「ユマさえ良ければ、ここで働かないか?」
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