目を開けたら目の前に白馬の王子様がいました





 ハロー、皆さん。いかがお過ごしですか?


 私は上司から絶対もぎ取ってこいよとドスの効いた声で脅された案件を見事に取りこぼし、死んでも会社に戻りたくない気持ちで公園のベンチに座ってます。というかこんな状態で戻ってもどちらにせよ殺されるので、デッドオアデッドである。あゝ無情。


 そんなわけで、空が青いなあ、なんて現実逃避する昼下がり。

 のどかな平日の小さな公園には誰もいなくて、私はエナジードリンク片手にぼへーっと流れる雲を見つめていた。


 池田優茉(いけだゆま)、二十八歳。

 クソが百個ついても足りないほどのブラック企業で、反骨精神掲げてどうにかやってきたがそれもここまでか……と、泣いて縋る私を困りきった顔で見下ろしていた取引先のおじさんを思い出してため息を着く。困らせてごめんねおじさん。情緒不安定なの、許して。


 残業代は月六十時間までは出るからね、周りよりはマシよ。と笑った私にドン引きした顔で、普通は残業しただけ出るしそもそもそこまでの残業は滅多にないよ。と冷静に突っ込む友人の声にハッとしたのも最初の方だけで、今じゃ何も感じなくなっていた。


 しかし、今日は外出前に死刑宣告されている。さすがに自分の死刑が確定してまで無表情でいられる程、私も心を腐らせていないのだ。


「うぅ……助けてドラ〇もん……」


 周りに誰もいないのをいいことに、項垂れるようにベンチに上体を寝そべらせる。


 このまま溶けて消えてしまいたい……そう目を閉じた瞬間、「ほっ」「ふんっ」という短い掛け声と、何かを一定のリズムで蹴るような音がして、閉じたばかりの重たい瞼を持ち上げた。


(誰か来た……)


 視界に映ったのは、黒いランドセルを背負った小さな男の子一人。こんな時間に帰宅だなんて、短縮だったのかしら。

 男の子はネットに入ったサッカーボールを、ネットの部分を手に持ちながら一心に蹴っている。


 たまに思ったようにボールが跳ねず、スカッと蹴りそこねてるのが可愛いなあ、なんて思いつつ、ちっとも前を向いてなさそうなその子に、よそ見しながら歩くと危ないよーと声をかけようと立ち上がったその時。


「「あ」」


 私とその子の声が重なり、一瞬のうちにその子の側からボールが逃げ出した。


 蹴る力が強すぎたのか、握る力が弱まっていたのか。

 小さな手のひらからこぼれ落ちたネットを身にまといながら、ボールは道路へと飛び出していく。それを男の子が慌てて周りもみずに追いかけてしまうのは、必然だった。


 車道を横断していくサッカーボール。近くの横断歩道の信号は赤。人通りの少ない時間帯。向こう側からやってくる、スピードの出たトラック。


 躊躇いはほんの刹那。

 次の瞬間、私は地面を蹴りその子へと手を伸ばしていた。


 大きく見開かれた瞳が、必死な顔の私を映す。

 耳元で劈くようなクラクションの音を聞きながら、やだ、必死な顔の私ブサイク過ぎない? とちょっと笑ったところで、私の意識はブラックアウトした。










「──! ──…─!」

 

 誰か、呼んでる……?


 耳元でこちらを呼ぶような声がして、無意識のうちに眉間に皺を寄せてしまう。


 やめて、起こさないで。まだもう少し寝ていたいの。

 だって起きたらまた地獄の一日が始まってしまう。怒鳴られて、蔑まれて、自尊心を踏みにじられて。……ああでも、寝坊するわけには行かない。でも寝たい。ずっとこのまま……。


「──い……おい…!」


 わかった。あと五分。五分ならいいでしょ? 五分で起きるから。

 しかし、そんな私の気持ちを見透かしたように、声をかけられるだけだったのが今度は直接身体を揺すぶられる。

 ゆさゆさと痛くないくらいの力で揺られて、うんうん唸った私はついに口を開いた。


「あとごふんだけだからぁ……」

「良かった!」


 瞬間、抱き起こされる上体。というかなんか、私の口から出る声、こんな可愛らしかったっけ……?

 

 しかも、この私を優しく抱き起こす腕は一体……?

 悲しいことに彼氏無し=年齢の私を、こんな風に起こしてくれる相手はいない。


 色々と違和感があり、恐る恐る目を開くとまず見えたのは誰かの胸板。しかも、えっ、コスプレ? と思うような純白の軍服にも似た衣装を身にまとっていてぎょっとする。


 それから、恐らく私を膝に乗せる形で抱き起こしてくれているのであろうその人物を辿り──驚きすぎて、心臓が止まるかと思った。


「え……」

「よかった、意識が戻って。どこか痛いところは?」


 燦燦と陽の光に照らされて、淡く滲むチョコレート色の髪。しっかりと睫毛の根付いたアーモンド型の瞳に嵌め込まれてるのはエメラルドグリーンの宝石。健康的な肌にのせられた血色の良い唇がほっとした様な笑みを象り、その双眸は優しく私を見つめていた。


 しかし、目を見開いて何も言葉を発さない私に、その美しい顔がだんだんと曇っていく。


「……どうした? やっぱりどこか痛いところが……」


 検分するように顔を寄せられ、ヒョエ、と息を呑む。

 やめやめやめやめて下さい。イケメンのドアップとか慣れてないんで。


「あ、あああの、貴方は……?」


 震える声で尋ねると、彼の側に侍っていた白馬がヒヒーンとわななき、更にそのそばに控えていた槍を持つ黒い制服姿の男たちが信じられないものを見るかのように私を凝視してきた。


 目の前のイケメンも一瞬驚いたような顔をしたあとで、すぐに優しい微笑みを湛え、私の頬を撫でる。


「俺の名はアレン・レオフォード。……君は?」


 だけど私はその問いに答えられなかった。


 昔大好きだった御伽噺の挿絵に出てきたヒーローと、全く同じ姿形で同じ名を名乗る目の前の存在に、目眩がして。


 ああ、わかった、これ夢だ。

 知らない街で、目の前に推しがいて、私を抱きとめてるだなんて。これが夢でなければなんというのか。


 そう自分を納得させた瞬間、ふーっと意識が遠のいて。


 イケメンは焦っててもイケメンなんだなあ、なんて思いながら、私はまた意識を手放した。







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