Chapter9「ブラン」


「─────ぅぅん」


すっかり雪景色になってしまった、アイルランドの山岳地帯。

吹雪は止んだが、相変わらず寒いことには変わらない。

しかし生きている。こんな氷点下の場所で。


「・・・いき、てる・・・ていうか、なんか、冷たい」


目を開き、ゆっくり立ち上がる中で自身の身体に違和感を感じる。

自分の皮膚が、冷たい。

寒さからそうなっている、というものではなく。元々そうだった、と錯覚するような感覚。



「防寒着、やっぱりない・・・でも、平気だ・・・」


寒さは感じる。だが本来なら凍える感じだろうにそうなる気配はない。防寒着を無くしているのにも関わらずだ。


しかし防寒着を被せた、あの狼の姿はどこにもなかった。


「・・・生きてるかな・・・あの犬」


・・・体格が少し小さめだから、犬と誤解されてしまった狼は泣くべきだろうか。

ともかく、クリスティアは立ち上がった。

身体が冷たくなったことに不安を感じるが、生きているならどうとでもなる。


ふと、自身の状態を確認した。

魔力が今は変質している。

それが何が原因となっているのか分からない。

だが、いま確実に使える魔法がある。


髪の色を変える魔法。

簡素だが効果的。

見た目の色素が違うくらいでも、存外隠せるもの。

クリスティアはすぐに、青白かった髪をネイビーに変化させた。


これでよし、と思った時だった。





───そんな呑気でいいのか?




「・・・え?」


いま、何か聞こえたような気がした。

聞き覚えがあるような。

そして耳にその声が届いたのではなく。

頭の中に声が響いたような声。


「・・・っ」


続けざまに聞こえた足音。

今すぐ逃げ出そうと歩き出した。


「クリスティア=E=マキシアルティだな?」

「っ・・・」


しかしもう遅い。

振り返ればもう、ギリシャ軍人が数名そこにいた。

恐らくは追跡部隊。

ギリシャ軍もアイルランドを目指していたことはわかっていたが、魔力干渉ウィザードハッカーが使えていない間にここまで迫られていたことには気が付かなかった。


そして何故、髪の色を変えたクリスティアに気づいたのかと言えば。


「ゼウスの魔力を感じる。誤魔化せると思うな」

「貴様を拘束する。抵抗するな。生死は問わないとされている」

「・・・」


同じく神の加護を受けたもの。ゼウスほど強力な神であれば、誤魔化せない。

クリスティアという情報の塊を、もはや無傷でどうにかするなどギリシャ軍は初めから考えていない。


装備は無論、ギリシャ軍の方が優れている。

もはやこれまで、と諦めるには充分だった。


だったらもう、抵抗するだけして死んでしまおうと考えてさえいた。

軍人として人殺しをしあう一員になるくらいなら、と。






『俺を呼んで』


「────え?」



今度は違う、少年の声。

また頭に響くそれは、繋がりを感じた。



『呼んで、"ブラン"って』



誰だそれは、と考える暇もない。

もうすぐそこまで迫ってる。

何だ、まだ足掻けるなら────やってみようか。



「・・・来て、"ブラン"っ!!」



手を伸ばす兵士の前に、何かが雪の中から飛び出す。

雪煙を撒き散らし、驚愕する兵士の前に姿を見せたのは、赤い瞳と灰色の髪、犬の耳と尾があり、そして黒い大型メイスを振り上げた人狼。


「なっ、が、ぁあ!?」


容赦なくメイスを振り下ろし大地に叩き落としたブランと呼ばれた青年は、残りの兵士を見渡す。


「・・・クリスティア、どうすればいい?」

「え・・・?」

「アイツら、殺ればいいの?」


目の前にいる人狼が何者か把握しきれない状況での質問。

思わずぼんやりとしてしまったが、流石に殺せばいいのかと聞かれれば言わねばならない。


「・・・気絶させて、殺さないで」

「わかった」


やはり、味方なのだろう。

クリスティアのお願いを、即答で返事をして駆け出す。


「な、はや────」


人狼らしい身体能力を頼りに、更に雪の中を何の影響もなく次の兵士へと襲いかかる。

クリスティアからしても、その機動力はそう見ない。

アイルランドでは犬に繋がる存在は、それだけで強力だ。


「邪魔だよ」


また一人、大型メイスで叩き潰す。

訓練された軍人を優に上回るポテンシャル。雪山というアドバンテージ。

それがブランが圧倒する理由だった。


「そこまでだ、やらせはせん」

「・・・!」


だが、兵士の一人だけがブランと渡り合う。

気合や根性だけじゃない。

確かな実力の槍使いが、雪に足を取られつつもブランの強襲を凌いでいた。


「そう簡単にやられると思うなよ、犬」


豪の業、重量級の槍は嵐を纏う。


「創生せよ、天に描いた極晃を───我らは煌めく流れ星」


槍使いの嵐は更に強まり、それはひとつの暴風と相成った。

ギリシャの神々の加護を強く受けた兵士による、一つの星屑。

死後、星座になり得る資格の一つ。

それに成れるということは、つまり────


の戦力、てやつだ・・・!」


ギリシャ軍内でも中堅より上に位置する者。

ジャイロやレイゴルトの敵ではないものの、しかし一人の逃亡者を追うには過剰な戦力。


「逃げよう!こいつは───」

「大丈夫」


故に、逃げることをブランに提案するが。

彼は恐れることはない。

必ず斃す、だから待っていて欲しいと暗に彼は告げている。


「助けられたんだから、俺はクリスティアの為にこの命を使う」


命の使い道は、とうの昔に決めてある。

あの温かさを、くれた時から。


「あ・・・」


クリスティアは、ようやく気づいた。

ブランという人狼が、何を羽織っていたのかを。


「・・・あたしのだ」


クリスティアが身につけていたはずの防寒着。

灰色の小柄な狼に被せた、あの防寒着をブランという人狼は羽織っている。

つまりは、あの人狼は・・・


「・・・あのわんこなんだ」


確信した。

あの時、クリスティアが眠りについたあと、何者かがクリスティアに何かしらの異変を与え、そしてあの狼を人狼に変えて、クリスティアの遣いとして生まれ変わらせたのだ。


だが、いったい何のために・・・?


そう考えている間にも、戦いは続いている。


「やらせはせん。足を取られようが、貴様の武器では届かぬよ」


振るわれる槍は、風の刃を放つ。

槍を振るった直後に襲う真空の刃は、槍使いに一部の隙を産まない。

ならびに真空の刃は飛翔し、槍の間合いの外にすら届く。

珍しくもない魔法だが、しかし単純故に厄介。

野生の戦いをしていたブランは、近づけないでいた。


「っ・・・やっぱり・・・」


勝てないのか。

確かにブランは強い。

疾く、強い。悪路は彼にとって関係なく、狩りのように仕留める狼は、他ならぬ人の業によって止められている。


「・・・うん、じゃあこうしよう」


それを覆す一手を、ブランは打つ。

大型メイスを雪に思い切り叩き付け、雪煙が高く舞う。

高く舞った雪煙。更に一瞬起こる雪の重い雨。

それによって何が起こると言えば──


「くっ・・・!」


その雪を払うように振るう槍と真空。

そして視覚に捉えられなくなったブランが居るであろう場所にも振るう。


悪く言えば、雑になったと言うべきか。

慣れない環境の差が如実に出た瞬間。

それをブランが見逃すことはなく。


「───捕まえた」

「な、ぁ・・・!?」


その正面から雪煙をものともせずに突撃。

槍と真空を潜り抜け、兵士の腕を抑えた。

力はブランの方が上、動揺したまま抑えられた兵士に振り払う一手を打てるはずもなく。


「何故だ、何故いま前に出られた!怖くないのか!」


兵士は吼える。

背後から忍び寄るならともかく、槍術と真空が飛び交う嵐の中に無防備に飛び込むなど、頭のネジが外れているとしか言いようがない。


「別に」


それを、ブランは端的に返す。

兵士のいう理屈は理解出来ないが、まぁ怖くないのかと言われれば、いや全く・・・というのがブランからの主張であり。


「クリスティアの為なら、なんだってやるよ」


それが全てだからと、メイスを捨てて拳を握りしめ。

全力で振るわれる顔面へとパンチ。

一瞬で兵士の意識を刈り取って、この場の戦いに決着をつけたのだ。



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