七月二十三日 私がそうしたいから
「冬月さん。そんな、いつも悪いわ……」
「前にも言いましたけど、私がしたいからそうしているだけです。だからいつもどおりでいてくださいね。そうそう、今日は――」
姉であった
再び
彼女をテーブルにつかせた後台所へと立つ。
スーパーの袋から買ってきた玉ねぎ、人参、じゃがいもを取り出し切り揃えボウルの中へ。
油を引いた鍋の中で具材に火を通している
『どんなに辛く死にたくなったって。それでも、誰かと一緒に食べている間はすべてを忘れられる』
いつだったか彼女は確かにそう呟いて、その頃の僕はよくわからず聞き流していた。
けれど、もし言葉どおりなのだとしたら。当たり前のように繰り返していく習慣が、彼女にとって一番大事な時間になっていくのではないか。
もちろん仲直りをした翌日からカロリーや栄養価を重視した食生活の改善を試み、かつて彼女が作ってくれていた好みだろう味付けを覚えている限りに再現し、なおかつ分量にも気を使い摂取してもらってはいた。
けれどそれは単なる『食事』なのであって、彼女が言っていた言葉とは似て非なるものなのかもしれない。
その意味を数年経ち、彼女を一人置き去りにしてようやく理解するところまで来ている。
「いただきます」
今日も美味しそうに頬張る彼女の姿を微笑ましく、それと同時に自分のことのように嬉しく感じた。彼女はいつもこういった気持ちだったのかもしれない。
なにより、一緒にテーブルを囲む時間はどんなものよりも楽しい。
そうして少しずつではあるものの、以前のような姿を取り戻そうとしている彼女は口を開いた。
「まーちゃ……。あ、冬月さん、あのね。ちょっといいかしら?」
箸を置いた彼女は真剣な面持ちでこちらを見ている。
「改まって何でしょう、お姉ちゃん」
以前は彼女を姉さんと呼んでいた。今の私とは違って僕は邪険に扱われることも多かったように思う。一方で今の関係は少なからず良好そのもの。だからこそ、姉さんは
そう思うと悲しくなんてないと言えば嘘になる。
けれど、それはもうどうだっていいことだった。例え仮の姿であっても僕等は再会し、こうして話すことができたのだから――。
じっと視線が合っていたその目が、わずかに揺れ動いた気がした。
「あ……ううん。なんでもないの。この肉じゃが、初めて食べたのに懐かしいなぁ。あったかい。なんでだろう、不思議だな」
彼女は再び食べ始め少しだけふっくらとした頬を笑わせた。
――だからもう、それ以上に望むことはないのだ。
「もし、何かあったらすぐに言ってくださいね」
「いつも本当にありがとう。気をつけて帰ってね」
彼女は何かを言いたいけれど遠慮しているのかもしれない。
時間的な限界はある。けれど残り数ヶ月、まだまだこの関係は続いていく。
帰り際になるまで視線を逸らさないように捉え続けて、後ろ髪を引かれる思いのまま姉さんと別れた。
***
「
その翌日。
集合時間は午前十時。現在時刻は十時を十分過ぎたところ。
息を切らせながらの全力疾走にも限度がある。
言い訳をするわけではないのだけれど、以前は身支度もほどほどにダッシュして間に合ってさえいればよかった。けれど今はそういうわけにもいかないように思える。
ほぼ寝起きの姿に、間に合わせた格好では相手に失礼のような気がしてならないのだ。
別段寝坊などをした訳ではない。つまり、何が言いたいのかというと入念な準備の末に僕は待ち合わせに遅れてしまっていた。
「あ、冬月さん。いや、おれも今来たところだから大丈夫だよ」
「本当に? 本当は待ってたんじゃないの?」
「ううん。全然待ってないから、大丈夫だよ」
そう言うと和輝は平然としている。
けれど、こいつが誰よりも早く集合場所に来るのは知っている。
「だったらいいんだけど。じゃあ行こっか!」
「冬月さん、あ、ちょっと」
気を使わせてごめん。そう思いながら和輝の手を引っ張っていった。
とあるアミューズメントパークへ僕等は来ている。
ただボウリングやバッティングマシーンなどの、本格的に体を動かすようなものがあるゾーンにはほとんど足を踏み入れたことがなかったので、どちらかと言えばゲームセンターのほうがしっくりくる名称かもしれない。
ここへは和輝としょっちゅう来ていた。この体になってから一度気兼ねなく遊びたいとは思っていたのだけれど、関係性が大きく変わったこともあってなかなか時間を取ることができずにいた。
そんな数ヶ月ではあったものの、夏休みに入ったこともあるし今後の計画的にもちょうどいい機会なのではないかと思い立ったのだ。
懐かしさもそこそこに、僕は画面の表示――もっと言えば曲をよく聞いてなのだけれど――に合わせてステップを踏みリズムを取っている。
いわゆるリズムゲームというやつだ。
この手のはあまり得意ではない。それでもついでにいい運動になることもあって一人でもよくやっていた。
ちらりと覗いた僕の隣では、対戦相手である和輝が軽快にスコアをリードしている。
「ねえ! 私がこういうのやってるって意外かなー?」
「うん、そうだねー。全然そういう風には見えないからびっくりしてるよ!」
周りの音響に負けないように声を張り上げないと、何度も聞き返すことになってしまいそうだ。
そのせいでお互い、結果的にいつもより大げさに会話をしているのがどうにも楽しくなってきてしまっていた。
このあと動いて大声を出しての対戦を何ラウンドか続けた。
「ついつい熱くなっちゃったな。それにしても、いい汗かいた~!」
「思ってたんだけど、冬月さんなかなか上手いよね。あ……そうだ。ちょっと座って待ってて」
そう言って和輝はどこかへと消えていってしまった。
近くにあった休憩できるベンチに腰掛けて周りを眺めていると、ちょうどメッセージが来ていたようでショルダーポーチの中でスマホが揺れている。
『来月のことなんだけどね。お父さん、その日はゴルフみたいで車出せないって……』
『ウチも姉貴に頼んでたんだけどさ、見事にダメだったわ!』
続けて
『そっか。二人とも聞いてくれてありがとうね』
感謝のスタンプを続けて打った。
さてどうしようかと考えている間にも――
『まあアレだ。こういう時こそ、電車でゆっくりってのもアリなんじゃないかね?』
『たまにはアヤカもいいこと言うじゃない。それ、私も賛成!』
『はー? いつもいいことしか……どうも、わたくし名言製造機です』
『やかましいわ』
テンポよく二人のやりとりは進んでいた。
『二人ともありがとう。じゃあ、ひとまずそのプランで行こっか! 変更があってもなくてもまた連絡するね』
返事を送信し終えたところで和輝が戻ってきた。
「喉渇いたんじゃないかと思って」
彼から渡されたのはジュースだった。
「和輝君は気がきくね。なんとなく、女の子からモテそう」
「あー。いや、そういうのは全然なんだよね。本当……」
なにやら照れたように苦笑いを浮かべている。
その手の話はしたことがなかったから、実際どうなのかは気になってはいたのだ。
ただ、何かあったらあったで隠すような性格ではないし、もしかすると彼の言葉どおり何もないのかもしれない。
少し無言の間が空いて、取り留めのない話題を切り出そうとしたところで和輝は立ち上がった。
「じゃあそろそろ次の行ってみようか」
「あ、私これ知ってる!」
「本当、意外すぎるよ冬月さん……」
次は対戦格闘をやることになった。
少し型の古いゲームですでに人気は落ちてきてはいたけれど、僕たちは二人して夢中になって、いくら使ったのか思い出すことができないくらいに遊び尽くしていた。
腕前としてもほぼ互角だったはずだ。
そうして対戦を開始すること数分、何度戦っても僕の画面にはWINの文字が躍った。いくらなんでも弱すぎる。
対戦中の様子を一戦ごとに観察していると、明らかに途中何もしていない時間がある。
わかってしまった。
こいつ、相手が女の子だからってわざと手を抜いてないか?
「和輝君。もし手加減とかしてるなら、そういうのいらないからね」
「手加減だなんて、まさかそんな」
などとはいいながらも、きっと図星だったのだろう。これまでとは表情が少し変わった気がする。
動きも打って変わって隙を晒す場面が少なくなっていった。
どうもさっきの言葉に少なからず火がつきはじめたようだ。
だがもう遅い。
何戦か連続して勝利を収めたところで、和輝はある提案を申し出た。
「冬月さん強いよねー。うん、おれもちょっといいところ見て欲しいかも」
「そうなんだ。でもどうせやるなら、本気でやったほうがお互い楽しいもんね?」
僕は煽るような言い方をあえてした。
「「ふふふ……」」
しっかりといい笑顔で目が合った後、僕等はそれぞれの
最後はレーシングゲーム。
これまでの通算は12勝12敗で引き分けていたはずだ。
周囲の喧騒も遠くなるくらいに集中する。
アクセルペダルを思い切り踏み込んで決戦の火蓋は切られた。
スタートが得意な和輝がわずかに先を行くも、すぐに喰らいつく。
喰らいついてもすぐに引き離される。
中盤以降は互いに先頭を競り合う一進一退の攻防が続く。
そして一周二周が過ぎ、ついに勝負は最終直線へと持ち越された――
和輝は僕がいなくなってから、ここに一人で来ることはあったのだろうか。
それとも新たに遊ぶ相手を見つけているのだろうか。それはそれで喜ばしいことなのだけれど、正直少しだけモヤモヤしてしまう。
ただ僕は、君の中に何かを残すことができたのかを知りたい。けれどそれはもう叶うはずもない。
だからこそ新しい関係になってもなお、消えてしまうその日まですぐ側にいて笑っていたい。
それだけが私から親友にできる、僕のしたいことなのだから。
「よっっし!!」
和輝は人目もはばからず、雄たけびにも似た大声をあげた。
そして、久しぶりのおおげさなガッツポーズを僕は見逃さなかった。
「あはは、つよい! 強いよ和輝君! それにすっごくうれしそう!」
駆け寄って、僕は彼の手を力強く握る。
同じように返されて痛みと力の差をありありと感じた。
ようやく落ち着いたのか和輝ははっとした表情を浮かべ、慌てて僕の手を離した。
「あっ……え!? ごめん、今のは違うんだ冬月さん!」
「勝負なんだからー。ぜんぜん気にしてないって!」
「あー……うん」
和輝には珍しく、困ったようにも見える微妙な表情をしていた。
「ねえ、楽しかった?」
「うん。本当久しぶりに懐かしい感じがして、つい熱くなっちゃって……なんだろう? でも、さすがにはしゃぎすぎたかも……あとさっきは本当にごめん」
「だから、いいっていいって。私としてはいつもと違う一面が見れて楽しかったよ? あ、次は絶対負けないからね!」
家に着く頃にはすっかり日が落ちかけていた。
帰り道を同じように笑い合い別れた親友と、かつての関係に戻っていく――僕はそう確信していた。
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