六月二十五日 君のために①

「来てくれてありがとね」

 学校帰りのファミレスで、向かいの香椎かしいさんに言葉を発する。

「それにしてもサシで話ってことは、アズサには言えないような話題? それともまさか、懺悔ざんげ室のように誰にも内緒の恥ずかしい告白でもしようというのかね!?」

 冗談めいて笑いながら、彼女は山盛りのフライドポテトに手を伸ばす。


「いやいや。ちょっと聞きたいことがあってね」

「ああ、ああ。なんでも来るといいよ! 軽いのから重いのまでオール一切合財お任せあれだ!」

 言い終えると彼女はストローを使うことなくメロンソーダを飲み干し、とんっとテーブルにグラスを置く。そして再びポテトをひょいひょいと食べ始めた。


「どうでもいいけど、お腹空きすぎでしょ」

「はっはっはっ」

 香椎さんはひときわ豪快に笑うと一転して、力強い瞳で僕の方をじっと見つめた。その黒目は僕を捉え離そうとはしない。


「高村さんが、えっと……一年の頃に仲のよかったクラスの子が事故にあって、その、亡くなっちゃったじゃない」


 目力に圧されていたのも束の間、先ほどまでとは打って変わってみるみる表情がかげっていく。すっかりうつろなその視線は段々とこちらから窓の外へとれていき、

「ん、ああ……」

 彼女にしては珍しく力のない返事をした。


「今は元気そうに見えるけど、実際はまだ立ち直れてないのかなって」


 返事はすぐに来ない。

 何か思うところがあるのかも。だからこそ軽率な言葉を口にできないのかもしれない。黙りこくる彼女とは対照的に、周りの雑音を押しのけるようにして店内のBGMは流れ続ける。僕の漂う視線の先、目の前のアイスティーの氷はカランと小さく音を立てた。


「うん、私もそうなんじゃないかって思ってるよ。ただその辺りは正直触れられないんだ。いくら仲がいいとは言え……こういうのってさ、かなり踏み込んだ話になるだろ?」

 一息にそれを告げた彼女とようやく目が合ったものの、そこからは苦虫を噛み潰したような表情が見て取れた。


「そういう話はほどんどしないんだ?」

 と、香椎さんの心情を振り切ってすぐに質問をする。

「……ああ。むしろあっちが避けてるフシがあるから、そうなると余計に話題にはできないよ」

「そうなんだ」

 手持ちぶさたになった僕は、ストローでグラスの中をくるくるとかき回した。


「私だって何かの力になってやりたいよ。でも今は……いつもどおりに振舞うことしかできない」

「香椎さんも辛いよね……」

「いや、辛いのはどう考えてもアズサの方だよ。その男子はあいつを庇って、ああなってしまったって話だし」

 彼女は確かに肩を震わせていた。日頃から見ていた明るさと真逆に位置するこんな姿を見ることになるなんて思わなかった。


 高村さんを助けたい一心で取った行動が、結果的に彼女だけでなくその親友まで苦しめている。だとすれば一体どうしたらいい。二人がいまだそれに囚われているのだとしたら。


「ね。何かがあった時にいつもと変わらず接して貰えるのって、すっごく嬉しいものなんだよ? だから香椎さんのその気持ちは間違いなんかじゃない……と思う」

「そういう、ものかな……?」


 止まってしまった時を進めてしまえばいい。最後には無駄になるのだとしても、僕が消えてしまうまでの間の出来事は、すべてがすべて現実であり続ける。ただの自己満足のために動いているのは今更のことに過ぎない。

 あの子とあの子を取り巻く、皆の笑顔を取り戻すことができたのならそれだけでいい。


「そう私は信じるよ。今日は私の奢りってことで。じゃあね!」


***


(まひろー。今お姉さんのところ?)

 ルナからのメッセージだ。

(これからだよ。用事が済んだらすぐに帰るからね)

 とだけ返すと春日家の様子を見にいく。食料品を渡すついでに少しだけ話をして帰宅するつもりだったのだ。


 いつものようにインターホンを鳴らそうとすると、中から話し声が聞こえる。

 もしかすると先客がいるのだろうか。しばらく遠巻きから様子を伺うことにした。

 十分ほどしたところでドアがゆっくりと開き、僕はもう少しだけ見える場所に移動をする。

 玄関先で姉さんに挨拶をするその後ろ姿に、心臓は大きく飛び跳ねた。


「あの……高村さん?」

 彼女が春日家をあとにして少し経ったところで、僕は背後から声を掛けた。

「え?」と振り返った瞬間はやっぱり、いつもの様子とは違うように思えてならない。


「あ、まひろちゃんじゃない! 誰かと思ったよ」

 すぐに彼女はこちらを認識したようで、学校などで見るような笑顔にパッと変わった。

「ちょうど見かけたものだから、もしかしてと思って」

「そうだったんだ! まひろちゃんの家ってこの辺りなの?」


 そういえば、誰も家に招いたことはなかったなと思い返す。


「ううん、ここからだとちょっと歩かないといけない距離かな。そっちは?」

「私の家は近いよー。もうすぐ見えてくると思う」


 二人でしばらく歩く。すると「ここが私の家!」と言って高村さんは赤い屋根の一軒家を指差した。

「そうなんだね」ずっと前から知っている。何度この家の前を意味もなく素通りしただろう。でも、それももう遥か昔のことのように思える。

 そこで立ち止まり世間話などをしている最中のこと。


「そうだ、アズちゃん」

「うん、なになに?」

「今度私の家に来ない?」


 自宅なら誰にも邪魔をされずに、自然に会話ができるのではないかと思い立ったのだ。もしも僕が男の体のままだったらこうはいかないだろう。


「おー、いいの? あ、でもまひろちゃんって……?」

 何かを思い出したように彼女は小首を傾げている。


「一人暮らしだからさ、なんかねー。寂しいっていうのもあるんだけど、あと……一度も友達を呼んだことがないんだよね」

 どちらも事実。嘘には当たらないはずだ。

 反応を待ってみると彼女は僕の右手を両手でぎゅっと握るように覆う。続けて大きく二回頷いた。


「私もね、まひろちゃんがどういうところに住んでるのかが気になってたんだ! じゃあ、今度のお休みとかにする?」

「うん、そうしよっか! 詳しいことはまた連絡するからね」


 すっかり日が落ちてきてしまった。結局姉さんのところへは行けなかったけれど、それでも高村さんとの約束を取り付けることはできた。

 どちらもいい方向に向かいますようにと、帰りの道すがら空を見上げて強く願った。

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