六月一日

「ちょっと、まーひーろー……」

「うん?」

「うん、じゃないよー。甘いものはいつ買ってくるのさー?」


 その言葉にはっとした。先週のルナとの約束を完全に忘れていたことを今、思い出したのだ。


「ごめん……」

「まあ。まひろにも事情があるし、いいんだけどさ」

 そう言ってルナは、まるで潰れたプリンのようにベッドへと体を預ける。その整った顔はおもちのごとくだらしなくゆがんでいる。


「ちょっと待ってて!」

「え、これからお出かけ? いってらっしゃーい……」



 さすがに忘れていたのは申し訳ないなと思い、電車を乗り継ぎ大きなデパートの地下――いわゆるデパ地下で人気のスイーツを買って帰ることにした。

 テレビや高村さんが見せてくれた雑誌でよく特集がやっていて大体の目星はついている。正直なところ僕が食べたいという欲があるのも否定のできない事実。

 これまで甘いものは避けてきたのだけど、この体になってからはどうにもそれを欲するようになってきている。


「ありがとうございました~」

 一時間ほど並んで、値は張ったものの美味しそうなお菓子を確保して帰ろうとしていたその時。


「あれ……おまえ。おい」

 男のそんな声が聞こえた。

 以前のことが頭をよぎると、それに気づかないていで早足気味に1Fへのエスカレーターを目指すことにする。


「冬月まひろ! 俺や俺!」

 その独特なイントネーションには確かに聞き覚えがあった。声のした方に体ごと向き直ると見たことのある男の子が立っていた。


隼人はやと……君?」

「おう、俺や!」

「誰ですか、人違いですけど……?」

「え、ウソやろ。何でそうなるん? 名前まで言うてたよな……完全に気付いとったやろ!?」


 知らない振りからのこのリアクションは癖になりそうだ。本人には悪いけどちょっと遊んでしまった。


「冗談冗談。隼人君は一人でどうしてここに?」

「あ、いや。連れと一緒に来とってな~」

「もしかして、もう石動いするぎさんとそこまでいったんだ!?」

「んなわけないやろ……。男とやし」


 勇人君は不本意ながらといった態度を隠しきれていないようで、明らかに彼女と来たかったのだろうなと察した。


「おーい桂木!」

「おう。言うてお前待たせすぎやからな?」

「悪い悪い。思ったより並んでてさ」


 彼がそう言葉を交わした相手と目が合う。


「うん……? 和輝君」

「あれ、冬月さんだよね?」


「なんや、二人知り合いか?」

 勇人君が私達の間に入ると、腕組みをして不思議そうに顔を覗き込んでくる。


「ああ。まあちょっとね……大したことじゃないんだけど」

 和輝は居心地の悪そうに視線を泳がせ答えた。助けてくれた時のことを思い出しているのだろうか。ひとまずはあまり深くは語らないほうがよさそうだ。


「うん、ハンカチを落としちゃったんだけど。わざわざ届けてくれて。ね?」

「――そうそう! あの時は助かったなぁ。本当ありがとね」

「そうなんや! ま、相馬そうまはこう見えて結構気ぃ利くからな」


 和輝は「おれは普段どう見えてんだよ」と隼人君とふざけて笑い合う。その様子にどこか懐かしさを感じて僕も口を抑えて笑った。


「ああ、そうやった。冬月は一人で来とるんか?」

「うん。ちょっと気になってたお菓子があってね~」

 そう言って買ったばかりのケーキが入った紙袋を二人に見せる。


「あ、それ前にテレビでやってた店のだね! 妹がいつ並んでも買えないーって嘆いてたよ。それがおかしくってさ――」

 思い出し笑いをするように和輝が言う。


「お菓子だけにか?」

「なにそれ。はぁ、これだから桂木はダメなんだよ」

「お前、モテへんとか言うんやないやろうな!?」

 冗談めいて言い合う姿にそれとなく二人の関係性が見えてくるようだ。


 デパートを出ると二人と一緒に歩いている。

 電車の最寄り駅がそろそろ見えてくる頃だ。

 このまま帰るのもなんだかもったいない気がして。


「ねえねえ、二人とも。ちょっとそこで休んでいこうよ」

 と、僕はちょうど間近にあったコーヒーチェーン店を指差す。


「お、ええこと言うやん冬月! 俺もちょうど喉が乾いててな。和輝も行くやろ?」

「うん。じゃあ行こうか」


 それぞれのオーダーを手にして同じテーブルにつく。梅雨入りも近くなってきたこの頃は外の気温もあがりつつあるわけで、冷房も相まって冷たいカフェラテが美味しく感じる。


「そうなんだ、二人は同じクラスだったんだね」

「ああ。でもこいつとは仲良うなって、まだそこまで時間は経ってへんのよ」

「だけど、なんとなくウマが合うっていうのかな。変に気をつかうことのない相手って感じでね」

「実際色々アホな話もしてるしなぁ」


「なるほどねぇ」

 和輝が気に入るのは大体そういう相手だったなと振り返る。それをもう知るすべはないけど、僕もその内の一人だったのだろうか。


「――でね、ちょっと真剣な話なんだけど」

 小さく咳払いをすると二人の表情も変わっていく。


「和輝君は、隼人君の好きな人について知ってる?」

「わぁー! おま、急に何言い出すんや!?」

「桂木、あんまり大声出すなって。おれ達注目浴びてるよ」

 確かに他の席の人達がこちらのテーブルを見ている。

「いやこれは冬月が悪いやろ……」

 隼人君は消え入りそうな声で言った。


「ごめん。だけど確認しておきたくて」

「もちろん知ってるよ。だってこいつとはいつもその話をしてるからね」

「そっかそっか。そうなんだ」

 隼人君を尻目に会話を続けていく。


「はぁ……あのな。前にも言うたけど、冬月は俺に協力したいって言い出したんや」

「ああ、ある女の子って冬月さんのことだったんだ」


「いい? ここからが本題」

 店内の喧騒けんそうの中で二人からの視線を受けつつ、


「ある作戦があるんだけど……和輝君も協力してくれない?」

「「作戦?」」

「二人とも耳を貸して」


 ごにょごにょと全容を告げる。和輝は「なるほどね」と呟き隼人君は口を抑えながら、ただただ目を大きく見開いている。


「何より面白そうだし、冬月さんならきっと上手くやってくれるような気がする」

「面白いて……相馬、お前他人事ひとごとやと思て」

「そうでもしないと、いつまで経っても桂木は動きそうにないじゃん。否定できる?」

「それを言われると弱いなぁ。ま、一応聞くけどこれはいつ頃の話なんや?」


「前にも言ったけど、隼人君がこれ以上はダメそうだなって思ったタイミングでいい。――それに私は無理にと言うつもりはないよ。でも、石動さんを引っ張ってこれるのは私だけだと思うし、絶対に悪いようにはさせないから」


 二人と連絡先を交換してこの場は解散になった。完全に勢いだけで動いてしまったけど、残された時間を考えればこれはもうやるしかないだろう。


***


「ルナ。見てこれ!」

「わー、美味しそうなケーキ! あれ。でも一個しかないよー?」

「いいのいいの。一人で食べちゃって!」


「うーん。……あ、その足どうしたのー?」

「これ? ちょっと靴ずれしちゃってね。慣れないことしたせいかなー」


「まひろ、やっぱり半分こしよう」

「うん?」

「この半分はまひろの優しさへのお礼ってことで!」

「あはは、なにそれ」

「いいから一緒にたべよー!」

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