四月十八日

「まひろ、おはよー。も~出かけるの?」

「うん、ちょっとね。何かあったらアレで頼んだ」


 今日は日曜日。僕は再び姉さんの家へおもむく事にした。

 確か大体休みの日には家にいたはずだ。

 時刻は午前十一時。さすがにもう起きている……はずだ。

 僕はささっと着替えをすませ、ルナに見送られて家を後にした。


 ああ、今日は何ていい天気なのだろう。家の中で過ごしているのは勿体無いくらいの陽気だ。

 姉さんと再会?――してからの流れは頭の中でシミュレートが済んでいる。

 さすがに下準備なしのぶっつけ本番ではボロが出てしまうだろう。

 なので、あらゆる場面を念入りに予習してきたつもりだ。

 程なくして見慣れた本丸へ到着した。


「深呼吸、深呼吸……うっ、ごほっ!」


 息を吸いすぎたせいか咳き込んでしまった。

 もう一度、心を落ち着けるように息を大きく吸って吐く。吸っては吐く。

 ピンポンと姉さんの家のインターホンを一回鳴らす。


 少しだけ緊張してきた。胸の鼓動も勢いを増していく。

 ……出ない。まだ寝ているのかもしれないな。もう一度鳴らす。

 数分経ってさらに鳴らす。

 期待と不安が入り混じったこの時間が永遠のように感じられた。


「はい、どちら様ですか?」


 唐突に聞き覚えのある声が耳に入ってきた。

 ――姉さん!

 姉さんだ。

 ……さあ、まひろ。

 おくするな、間違っても泣くな。

 いこう。いくぞ。


「春日君のクラスメイトの冬月と言う者です。お線香をあげさせて貰えないでしょうか」

「……ヒロのクラスの子? 今開けるから待ってて」


 意外にもハッキリとした口調で、姉さんはインターホン越しに声を響かせた。

 何とかやっていけていればいいんだけど。

 そう思っているとガチャっとドアが開いた。


「えっと……こ、この度はお悔やみ申し上げます」

「……冬月さんだっけ。さ、どうぞ上がって」


 僕は深々と礼をして、用意してあった言葉をつむいだ。

 姉さんはじっと僕を見つめた。でもその表情はよく読み取れない。

 少しだけ妙な間が開いて僕は家の中へと促された。


 久しぶりという訳でもないのだけど、自分の家にこういう形で上がる事になるなんて三月さんがつの、気ままに楽しく過ごしていた僕には想像もつかなかっただろう。

 でもそれでも、我が家に帰ってきたのだ。

 もう叶わないとは知っているけど、今僕は「ただいま」の一言だけが言いたい。

 過程はどうあれここは僕の、いや今はもう違うんだよな。


 そう思っている間に居間に通され、仏壇に見覚えのある遺影ぼくを見付けた。

 もうとっくに理解していたつもりだった。

 それでも今まさに、目の前に広がっている光景が自分に起こっている現実なのだと再度認識させられた。


 永遠に失われてしまった。

 そこには強い眩暈めまいの起きるような現実が横たわっている。

 何処を探しても声を上げても『春日祐ぼく』と言う人間はこの世界には。


「……本当にもう、いないんだ」


 口から呟きのような言葉が思わずこぼれていた。

 それから深々と頭を下げ、腰を下ろして用意しておいたお茶菓子をそこに供えた。

 線香にロウソクで火を点け、その火を右手であおぐ。

 抹香まっこうをつまんで額のあたりへと。礼をしながらそれを香炉こうろへと落とす。


 それは僕のための、他でもない僕への儀式。

 一連の流れはこれで合っているはず。相変わらずこの離別わかれの匂いは苦手だ。

 ここで、焼香を終えた僕に姉さんが声を掛けた。


「そこに座って。今お茶を入れるから、待っててね」


 僕は促されてテーブル近くの座布団の上に座り、再び仏壇を見つめてふうっと息をついた。

 程なくして、手にしたお盆にお茶とお菓子を乗せた姉さんが戻ってきた。


「お待たせ」


 姉さんを見ていて思ったのは、もともとほっそりしていた方だけど、心なしか痩せたなという印象が強い。


「冬月さん、だっけ」

「はい、そうです。急用でお葬式には行けなかったので、今日来ました」

「そうなんだ。わざわざありがとうね。あの子もきっと喜んでる」


 そう言うと姉さんは物憂げに笑顔を作った。

 こんな表情は今までになく初めて見た。


「うん? どうかした?」

「あ、いえ……。何でもないんです」


 それがあまりにも珍しくてついじっと見つめ過ぎてしまう。

 姉さんは何か思い出したように、ふーむと視線を上下させて言った。


「……学校の子が来たのは、あなたで三人目になるのかな」

「前にも誰か?」

「確か高村さんって言ったかな? 同じクラスって言ってたから知ってる?」


 高村さんがここを訪れていたんだ。

 あの事故の当事者でもあるし、当然と言えば当然か……。


「彼女、今学校には行ってる? あの子すごく落ち込んでて心配で……」


 姉さんは視線を落として僕に尋ねた。


「あの! 何日か休んでたみたいですけど、今は来てますよ」

「そう。よかった」


 それを聞いて姉さんはほっとした様子を見せた。


「あとは和輝かずき君が……って、クラスが違ったみたいだから、もしかしたら知らないかな?」

「……いえ、知ってます。よく祐君と一緒にいる所を見かけました」


 こんなのは嘘だ。

 仮の体とは言え親友だった和輝あいつを知らない事には絶対にしたくはなかった。


「あの子も事あるごとに何かと手伝ってくれて、助かってるの」


 心なしか姉さんの表情が和らいだ気がした。

 ふと掛け時計を見ると時刻は十一時四十分。

 限界だ。

 これ以上いては、僕は間違いなく泣いてしまう。


「よかったらお昼でもと思ったのに」

「いえ、お構いなく……」


僕は玄関先でくるっときびすを返した。

その唐突な方向転換に、姉さんはきょとんと僕の事を見ている。


「あの……! ま、ま……また来てもいいですか? もしお姉さんのご迷惑でなければ……」

「ええ、いつでも。その時はお昼付き合ってね?」


 こうして、僕は姉さんに見送られ春日家を後にした。

 今の僕にできるのはせいぜいこのくらいだろう。

 すぐには難しいとは思うけど、姉さんには元気になって欲しいと願った。

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