四月十六日

「――と、ここはこの数式を……」


 三限の数学の時間。

 サラサラサラと数学教師は解説しながら板書ばんしょしていく。

 今日は天気が良く、ポカポカとした陽気だ。

 現に居眠りをしているクラスメイトもいる。

 ……あれは香椎さんだ。


 教科書を盾に教師の視界から上手く隠れつつも、寝ていると言う雰囲気を微塵みじんも感じさせない。

 まるで戦場のスナイパー然としている彼女はかなりの手練てだれと見た。

 そしてこの後の休み時間に高村さんにノートを見せて貰う算段なのだろう。

 ああ、頼りになる親友がいると言うだけで惰眠だみんむさぼる香椎さんが羨ましい。

 そう思っていると僕もつられそうになるじゃないか……。


『まひろ、やっほー!』


 素っ頓狂すっとんきょうな声が唐突に響く。

 間違いない、この声の主はルナだ。

 おい待て待て待て、こんなところに出てきたら……!


「ッ!!」


 僕はガタッと勢い良く立ち上がってしまった。

 そして次の瞬間、ルナは視界のどこにも居なかった。

 だがその代わりに、教師やクラスメイト達から痛いほどの視線を浴びている僕が立ち尽くしていた。


 ざわざわと、クラス中がざわめく。

 この騒ぎにも関わらずあの香椎さんは相変わらず眠りの中だ。

 高村さんは驚いた表情をしている。

 これはどういう……何が起こっている?


「コホン、皆静かに。……冬月さん、どうしましたか?」

「いえ、何でもありません……。すみません……」

「そうですか? では、立ったついでにこの問題を解いて下さい」


 僕は注目を集めたまま黒板へと向かい、チョーク片手に数学の問題を解いている。

 ここは予習済みだから別段難しい所はない。僕はサラサラとチョークを滑らせる。

 ただ……ルナの声がしたと思ったのに何なんだろう。

 とにかく今は考えるだけ無駄だな。


「うん、素晴らしい回答です。ここは少々応用がいる問題だったのだけれど、ちゃんと予習が行き届いていますね。冬月さん、席に戻っていいですよ」


 僕はそそくさと席に戻り、少しだけ落ち着くと顔がカーッと熱くなっていくのを感じた。

 ああ恥ずかしい。でもまだ声を上げなかっただけマシか?

 ……とにかく皆に変な風に思われたかもしれない。特に高村さんに。

 こうしている間に三限は終わったが、僕は気恥ずかしくてそのまま机に伏せっていた。


「悪い夢でも見ていたのかね?」


 顔を上げるとと右手を小さく挙げたあのスナイパーが目の前に立っており、

 そして隣には高村さんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。


「気分でも悪い? 冬月さん、保健室行こうか?」

「あっ! 違うの、ちょっとうとうとしてて……えへへ」


 僕は何とか取り繕うと、ついつい寝ぼけてましたアピールを開始した。

 まさか女の子の声がしたからなどと言えるはずがない。

 二人はお互いを見合わせると意外そうに口を開いた。


「冬月さんでも寝ちゃう事があるんだね。よかった私も同類っ!」

「はいはい、アヤカはいつもじゃない。冬月さんはきっと疲れてたんだと思うよ。転校して来てまだ日が浅いわけだしね」

「私も疲れてるのに! 何よ、差別すると言うのねっ!」

「でも大丈夫だよ。心配してくれてありがとね」


 六限の終鈴が鳴り響く。

 さて、残された問題を解きに行こうか。

 僕は帰宅するなり真っ先にルナを呼び出した。


「ルナいる?」

「いるよ~。やっほー」

「ねえ、さっき学校にいなかった?」

「ん、あ~。あれはね声だけをまひろに送ったの。てれぱしーみたいなものをね」


 声だけを送る? テレパシー? また漫画か何かの世界のようだ。

 まあ今更何があっても不思議ではないけどさ。


「あれですごくビックリしてさ、恥かいたんだけど……」

「あはははっ! まひろって本当ドジッ娘なんだね~!」

「元はと言えばルナのせいだろっ!」

「ふふ、ごめんごめん! でも、あれはまひろにしか聞こえないの。心に直接話しかけてるからね~」


 これを念導ねんどうと言い、話したい内容を飛ばす事で遠いところにいても会話ができるらしい。

 しかも僕からも可能だと言うのでやってみる事にした。


(ねんど?)

(うん、ねんど~)


 ルナのうっかりはともかくこれは便利だな。

 まだ何か忘れている事がなければいいけど。

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