第14話

 翌日、あたしの両親が鳥栖まで迎えにきてくれた。愛のお母さんも一緒に車に乗っていて、涙目で愛を抱きしめていた。


「まったく、あんたは昔から親に心配ばかけてから!」


 家に帰るなり、お母さんはあたしの肩を掴んで揺さぶる。お母さんは無駄に力が強いので、痛い。


「なんでこげんことばしたとね!」

「だって……」


 ──逃げ出したかった。


 なんとなく、お母さんには言えなかった。きっとお母さんに伝えても理解してもらえないだろうし、何よりも気恥ずかしい。子どものくせにどこかへ逃げ出したいなんて、ぼろの小舟で大海原へ飛び出すようなもんだ。そんな無鉄砲さを知られたくなかった。 


「言いたくなか」

「言いたくなかって、そんな言い方あるもんね!」

「言いたくなかって言いよるやろ! このクソババア!」


 かっとなって汚い言葉を返してしまい、気づくとお母さんの手のひらが顔の前にあって、あたしは床に転げていた。お母さんの張り手を食らった。

 ぐわんと揺さぶられる意識の中で、お母さんは涙目で、お父さんはお母さんを宥めていたのだけが見えた。



「引っ越すことになったとさね」


 冬休みが明けてから愛は突然そんなことを告げてきた。わざわざ言うってことは遠くへ行ってしまうんだろうとあたしはすぐに悟った。


「……どこに引っ越すと?」

「おじいちゃんち」

「……鳥栖の?」


 愛はこっくりと頷く。遠くはないけど、あたしにとっては近くもない。今までみたいに図書室で一緒に本を読むことや、放課後にお茶をして駄弁ることが出来なくなるということだ。

 そして愛が傷ついても、すぐに気づけなくなってしまう。


 愛は無鉄砲なあたしに愛想を尽かしたのかと一瞬思ったが、あのプチ家出からは半年近くが経とうとしているし、愛はその後も変わりなく優しくしてくれた。愛想を尽かしたのなら早々にあたし達の関係は崩れているだろう。


 肩を掴んで問いつめたいのを飲み込んで、マスクの縁のすぐ上に並ぶ大きな目を見る。


「なんでまた?」

「うん、ここから逃げてみようと思って」


 あの夏のプチ家出の後に、愛は全てを母親に話したそうだ。家に知らない男の人がいることが怖いこと、何故顔を傷つけるかということ。

 愛の母親はひとつひとつに頷いて泣きながら謝っていたそうだ。愛を両手で包んで、何度も愛の名前を呼んだ。


 安定した暮らしをするために、愛の母親は実家へ戻ることを決めた。どうにか仕事も決まって、愛の転校手続きも進めているところらしい。

 四月から鳥栖の高校に通うことになる。


「あたしは、そこで生き直すよ」

「そっか、うん、頑張ってね」


 耳の奥で時計の針が進む音が聞こえる気がする。愛とお別れするまで残り何日、とカウントダウンが始まってしまった。


「……瑞希のおかげよ」

「そうなの? あたし、別に何もしとらんよ」

「ううん。瑞希のおかげ」


 愛はマスクで隠れた顔をさらにマフラーの中に隠した。赤いタータンチェックのマフラーは愛の真っ白な肌によく映えている。

 照れくさそうにマフラーの中で笑う愛に見惚れながら、それに気づかれないようにあたしはふいっと目を逸らす。


「もう、顔を傷つけなくて済むといいね」


 愛は「うん」と短く返した。

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