第12話
諫早駅を出てから少しして、窓から一面に海が見えた。夜の海は薄暗くて不気味だ。あたし達は電車に乗っていて無事なはずなのに、どこかへ連れ去られて二度と戻ってこられないような気になる。
「……真っ暗やね」
愛がぽそりとそう囁く。そうやね、とあたしは反射的に返した。
「……でも、星は綺麗」
容赦なく進む電車からは夜空の星なんてほとんど見えやしないのにあたしはそうつけ添えた。
多分、愛も星なんて見えてはいないはずなのに、そうやねと言ってくれた。まるで本当に星を見ているような口ぶりだった。
「愛、何も怖がらずに、のびのび生きるなら
「うーん、マスクなしで生きていけたらよかね。結構暑いさね、これ」
「確かに、暑そう」
「瑞希は? どう生きたい?」
愛に問いかけておきながら、あたしは自分がどう生きてみたいか考えてはいなかった。
「……愛と一緒なら、どうだっていいや」
「あはは、瑞希かっこいい。愛の逃避行的な感じ?」
「それ、よかね。なんかかっこいい」
愛はあたしの肩に頭を乗せた。ずっしりと重い。頼りない薄い紙みたいなあたしを、しっかりと押さえていてくれる重石のようだ。あたし達はこれから先一緒なんだ、と胸が高鳴る。
愛からは温いミルクみたいな匂いがする。高校のバスケ部の部室の中に充満していたあの匂いと似ている。愛は不純物が混ざっていなくて、より甘ったるい。
この匂いにあたしはかつて不安を覚えた。自分もこれに染まってしまうんではないかと。
だけど今は、愛のものだと認識があるから不安はない。不思議とこれに染まる気はしなくて、ただ居心地のよさだけに満たされていく気がした。
逃げ出したくなったこの香りに包まれたいとさえ思う。
「……佐賀に入ったかな」
「え、分かると?」
「うん、佐賀に入ると風景ががらっと変わるけんね」
愛は外を指差した。真っ暗ではあるけど愛の言う通り長崎とは少し景色が違う。何が違うというのを口で説明するのは難しいけど、何か違う。街並みとか、土地の広さだろうか。
それから電光表示に『佐賀』と表示された。
「本当だ、愛すごかね」
「ふふ、実は前に電車に乗ったことがあってね」
それでひとしきり盛り上がった後は、口数が減った。雨が次第に止んでいくようにあたし達は静かになり、あとは椅子を伝ってくる電車の振動を下半身で受け止めている。
佐賀を出たら次は新鳥栖、とアナウンスが流れる。機械的だけども中年女性のような柔らかい声が車内に響く。どこで降りるかを考えていなくて、とりあえず終点まで行くつもりだった。
まもなく新鳥栖、というところで愛は持っていた荷物を胸に抱える。
「瑞希……次の駅で降りん?」
え、と声をもらした瞬間に、窓の風景が無機質なコンクリートに占められる。
愛はあたしの手を掴んで出口まで進んでいく。あたし達は漂流物みたいに、ぞろぞろと流れていく人の波に乗ってホームに降り立った。
「ごめんね、瑞希」
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