第8話

 愛の顔にはまた新しい傷がついていた。この前会った時は薄く白っぽい色の傷だったのに、それに重なるような赤い線が入っていた。聞けばつい昨日にやったばかりらしい。通りでまだじゅくじゅくしているわけだ。


「愛、自分の顔を傷つけるのは痛くない?」

「痛かね」

「やめたいってならんと?」

「やめられたら、やめたいよそりゃ。いかれてるって思っとるし、痛いし。でもやめたらもっと痛いんだと思う」


 愛はマスクをしたまま右頬に手を当てた。拗ねたような顔をする愛は小さな子どもみたいだ。

 愛は自分を傷つけることで自分を守っている。じゃあ、代わりに守る方法があれば愛の顔の傷が薄くなっていくんだろうか。どうしたらいいんだろう。


 というか、そもそも愛は傷つかなければならないんだろうか。

 愛は何も悪くないし、何も罪を犯していない。ただ人より綺麗というだけで普通に生きている女の子なのに。そんな当たり前のことに気づくと、途端に苦しくなった。


 胸の内側を誰かに思いきりつねられている。身体に電気でも流したように、肌の表面が小さく震えている。


「……瑞希、瑞希はさ、やっぱりやめてほしいって思う?」

「……そやね。出来たら」


 愛は穏やかに微笑むだけで何も言わない。顔を傷つけるのをやめるとも約束はしてくれなかった。今、愛が何を考えているのか分からないから、その胸の奥まで触れたい。きっとそこはものすごく脆いんだろう。だから愛の身体は柔らかい肉で覆われて守られている。


「何も考えずに、のびのび生きたかね」

「愛、前もそんなこと言いよったよね」

「言ったっけ。忘れたなあ」

「言ったよ。どこか別の場所に行けば、のびのび出来るかな」

「いいね、それ。でも瑞希がいないところに行くのは寂しいな」


 寂しいと言ってくれたのが嬉しかった。あたし達は大人じゃないから、自由にどこかへ行くのは難しい。早く大人になって互いにのびのび生きられたらいいのに。

 でも大人の方が大変なんだろうか。仕事で疲れているお父さんを見ると、大人も大変そうに見えなくもない。


 愛は宿題の問題集をぺらっとめくる。指先は少しだけささくれているけど、爪は桜貝みたいだった。バイトで洗い物をするから手が荒れるんだと愛は前に話していた。

 かさかさとシャーペンの先が紙の上を走るだけなのに、柔らかく耳に響く。女の子同士のひそひそ話と似ていて身体がこそばゆい。愛と顔を近づけて話しているみたいだ。


 耳の奥がつんと詰まり音が止まった気がしてごくりと唾液を飲みこむ。が、あまり効果はなかった。

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