第3話
いつもの平野さんは決して触れてはならないバラの花みたいだったけど、今はきちんと棘が取り除かれている。いや、元々棘なんてないのかもしれない。勝手にそんな扱いをしてしまっただけだ。
「もう遅いしさ、途中まで一緒に帰らん? 平野さんのおすすめの本、教えてよ」
平野さんは目を見開いた。マスクのせいで表情が読み取りづらいけど、その下では面白い顔をしているんだろう。想像したら、笑いを堪えきれなかった。
それからというもの、あたしは平野さんと話をすることが増えた。日中はあたしのことを避けているけど、放課後になると一緒に帰る。月水金は図書室で、ふたりで本を読んでいる。
一度、一緒にお昼を食べようと誘ったが、平野さんは遠慮しとくと笑顔で返した。その理由を尋ねると、集団で動くのが苦手だと言った。平野さんにとっては三人以上の集まりは『集団』になるらしい。
「瑞希、平野さんと仲良かと?」
「うん、最近喋るとさね」
そう話すと、真帆が眉をひそめる。
「平野さんって、中学の頃、人の彼氏取るって噂やったとよ。まあ、あの顔と胸だしさ、男はなびくよね」
彼氏を取った。中学生のくせにそんな泥沼が展開されている真帆の中学校の方が心配になる。それともあたしが知らないだけで、あたしの周りでも起こっていたことなんだろうか。
確かに平野さんはこの片田舎にいるには、あまりに可愛いというか、大人びている。血統書つきの猫みたいな目に、白い肌。針金人形みたいな身体。
だけど胸の部分だけ粘土を丸めてくっつけたみたいに目立つ。普通の女子が欲しいと思うものを全てあつらえたようだ。
こんな言われようなのを、平野さんは多分自覚しているんだろう。
梅雨が終わろうとしている頃だった。日の入りが遅くなって、図書室の閉館時間を過ぎても空はまだ明るい。
「ねえ、愛って呼んでいい?」
あたしがそう言ったら平野さんはそれを受け入れてくれた。じゃあ瑞希って呼ぶねと平野さん──いや、愛はマスクの下で照れくさそうに笑った。
「愛はさ、どうして皆を避けると?」
「うーん、あたし昔から人に嫌われやすかとさね。でも、どうしていいか分からんくて。嫌われたらやっぱ傷つくし」
「なんでやろ。愛は悪い子って感じせんよ。あ、もしかして人の彼氏取ったのが……あっ」
真帆の話を思い出して無意識に口に出してしまう。あたしは昔からこういうところがあって、その度に空気が読めない奴と注意をされる。幸い天然キャラとして扱われているけども、自分でも悪い癖だという自覚はある。
「人の彼氏なんて取らんよ、好きな人すらまともにいたことなかとに。まあ、喋ったことない人から告白されたりはしたけど」
「そっか。そうだよね。愛はそんなことするように見えんもん」
「そうよ。でもそういうことになっとるらしい。変よね」
愛はマスクを下げてペットボトルに口をつける。白く濁ったスポーツドリンクが愛の身体へだくだくと流れ込んでいくのを見ようとしたら、どうしても右頬にある傷に目がいく。口裂け女みたいに口端から柔らかそうな頬にかけて真っ直ぐに赤黒い線が入っている。
ペットボトルを離すと愛が横目であたしを見やる。
「……瑞希、いつもあたしの傷ば見よるね」
「そりゃあ、気になるさ。大きな傷やし……どうしたか聞いてよか?」
愛はマスクを元の位置に戻して、自分でつけたと淡々と言い放った。どうしてとあたしは予め用意していたみたいに返す。そうくるよねえ、と愛も分かっていたように答えた。
「顔を傷つけると安心するっさね。だから、やめられん」
「どうして安心するの。痛かやろ」
「自分の顔、嫌いやっけん」
「どうして。綺麗な顔なのにさ」
「本当に綺麗やったら、もっと人に好かれるよ。でも、あたしの顔はそうじゃなか」
嫌いだから傷つけて安心を得る。その矛先が美しい顔だなんて。これは多分百人いたら百人が思うだろうけど、勿体ない。
心の中で嘆きつつも、顔に傷をつける時に愛も痛がって顔をしかめたりするのかなあ、なんてことを考えていた。ただ、辛くなった。
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