○1-7 日曜日(3)

「執事の佐藤さん――犯人はあなただ!」


 大広間の隅で皆を見守るような朗らかな笑顔を見せていた執事が、その表情をピクリと変えることもなく、冷静に答えた。


「……それは何かの間違いではありませんか? 一体、どういうことでございましょう」

「さすが、一流の執事です。顔色ひとつ変わらない。しかし、すべての状況が犯人はあなただと物語っているのですよ。

 先ほどの話とちょっと重なる部分もありますが、時系列で説明しますね……。

 執事のあなたは、あの晩――といっても『私』自身に記憶はありませんが――真央さんが部屋を出たことを確認すると、『夜食をお持ちしました』とでも言って部屋のドアを開けさせ、ひとり部屋に残った孝太郎さんを訪ねたのです。そして、かなり酔いのまわった孝太郎さんをあらかじめ一輪挿しの口にはめられるよう『柄の部分』を加工してあったナイフで殺害すると、その一輪挿しをベッドの上に転がしたのです。まるで、何かの力によっての一輪挿しが動き、壁から落ちたかのように、ね」

「つまりそれって、ミス・ディレクションってことよね! ワタシもそれくらいの言葉は知ってるもん」


 しかし、瑠奈の間の抜けた言葉に反応する者はいなかった。

 扇家のベテラン執事の視線は、向こう側の壁の一点を見つめるだけで揺るがない。


「そしてあなたは、窓際にあったストーブの排気を使ってバスタオルを飛翔させる『人影トリック』をあたかも使ったかのように、猛烈に熱風を吐き出すストーブの横にタオルを無造作に置いた。庭にいた瑠奈や真央さん、そして水曜日の私は、本当にあなたの影を目撃したのですが、゛浅はかな探偵゛に、『中に人はいなかったのだ』と思わせることに成功しました」

「……」

「次に、あらかじめ用意してあった熱剥離型の粘着シートをドア枠の部分に急いで貼り、見せかけではありますが、密室を創り出したのです。そして、孝太郎さんの異変を知った人々がドアの前に集まり、たむろしている間に、部屋はストーブから発せられる熱でぐんぐんと温度を上げていきます。

 粘着性のシートで作られた密室が熱と振動でその密室性を失うことを知っているあなただからこそ、皆が駆けつけたときにはあたかも鍵がかかってるように振る舞い、高校生の男女がドアにぶつかって開けると言い張ったときにも敢えてそれを止めることはしなかったのですね。そして、自分が手にかけることなしに、若さみなぎる――って自分で言うのも変ですが――高校生の『ぶつかる勢い』を利用して密室を壊してもらうという、賭けに出ることができたわけです。

 やがて、あなたの思惑通り、二人の高校生により砂城の如き脆い密室が破られた。そして、皆が踏み込んだとき、慌てふためく人々を尻目に扉の側面や壁枠に付着していたシールの後片付けを沈着冷静に行ったのです。違いますか?」


 執事に集まる、一同の視線。

 その圧力をはねのけるかのような鋭い目つきを伴って、執事の顔が急変する。今までの柔和な笑顔はどこへやら――鬼の形相となった。

 彼のトレードマークともいえる丸眼鏡をゆっくりと外し、こう言った。


「そこまでおっしゃるなら、何か証拠を見せていただきたい――と言いたいところではありますが、この扇家の執事たる私めといたしましては、そこまで言う気は毛頭ありません。ええ、日曜日の七曜さま――セイントさま――が、今おっしゃったとおりでほぼ間違いはございません。犯人は、私めにございます」

「認めていただいたんですね。ありがとうございます。……それにしても、抜け目のなさそうなあなたのことですから、あなたが犯人である直接的な証拠はほとんど残っていないのでしょうね。可能性があるとすれば、後ほど警察がこの館全体を対象に科学捜査を行うことにより、執事さんしか触れることがないような場所に熱剥離型の粘着シートに特異的な成分が残されていた――なんてことになることくらいしか思いつきませんから」


 息を呑む、面々。

 特にメイドの二人は、驚きを隠すことはできなかった。目の飛び出そうなほどに目を剥き、呼吸を忘れてしまったかのように動きを止めている。

 そんな中、一瞬の沈黙の後に座っていたソファーから立ち上がり、猛然と佐藤に向かった者がいた。かつての孝太郎のパートナー、真央だった。


「あんたが孝太郎さんを殺したのね! 何てことしてくれたのよ!!」


 すると佐藤が、右腕を三つ揃えのスーツの胸ポケットの部分へと射し込んだ。その動きは、まるで隠し持っているピストルを構えるためのように思えた。

 それを見た真央が、怯んだ。

 足に急ブレーキがかかり、凍りついた表情で床に直立してしまう。


「ダメだ、佐藤さん!」


 叫んだのは、富貴だった。

 しかし――執事の佐藤が胸ポケットから取り出したのは、白いハンカチだった。

 腰砕けとなった真央が、床へとへたり込む。

 と、同時に、そこかしこから安堵のため息が漏れた。


「富貴さま、脅かせてしまったようで、すみません……。でも、私めがここで暴れるわけなど、ありませんよ。なぜってそれが、この扇家にとって『為にならない』ことなど、自明の理であるわけですから」


 佐藤の鬼の形相が崩れた。

 何かを諦め、白状する――そんな感じの表情である。


「本当は、低周波でベッドの枕上に飾った一輪挿しを動かして奴を殺すトリックをやり遂げたかったのです。皆の目を盗んでは、夜な夜な実験を繰り返してみたものの、そんな小説染みたようなことは、簡単なことではありませんでした……。それで、結局はこういう中途半端なトリックになってしまったわけです。

 でもね……私は、ただ、お世話になった扇家のためだけにやったのです。一応、扇家の血をひいているとはいえ、旦那さまや富貴坊ちゃんにノミしらみのようにたかることだけしか考えていない、あの男を許せませんでしたので……。もちろん、あの男とグルになって金ばかりをせびる真央さま――あなたも、ね」


 長い沈黙が続いた。

 その沈黙を自ら破るようにして、執事が語った。


「何度でも言いますが、私は私が執事をお任せいただいているこの別荘の平和な雰囲気を壊すことだけには飽き足らず、陰で旦那さまに金銭をたかり続けるあいつが断じて許せなかったのです。だから、あの男を葬り、その罪をそこにいる女――真央に被せるつもりでした。

 しかし……誤算だったのは、運転手の立花と料理長の太田ですよ。同志としてともに計画を進めていたのにも関わらず、いざとなったら突然、日和ひよってしまうのですからね……。私は、この計画が外に漏れてしまうことを恐れ、仕方なく彼らも手にかけました。だってそうでしょう? そうなったら、彼らはただの邪魔者なわけですから」


 執事の乾いた笑い声が、大広間に高らかに響いた。

 その表情は、鬼というよりも狂気を含んだ悪魔のごときそれだった。思わず、真央が床に尻を付いたまま、後ずさる。


 そのときだった。

 大広間に、ダイニングルームを通り越して、朝陽が射し込んだのである。

 ついに嵐が収まり、夜が明けたのだ。

 この世界にも、事件関係者の心中にも――。


 と、続いて大広間に鳴り響いたのは、ヘリコプターのエンジン音。

 天候も改善し、飛行可能となった警察のヘリコプターが別荘にやって来たのだ。


「殺人に、良いも悪いもありません。あるのは、憎しみと悲しみの連鎖――それだけです」


 執事の高笑いに反論する七曜浩輔の瞳に、悲しみの色が浮かんだ。

 こうして、事件は終わったのである。

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