○1-7 日曜日(2)

 浩輔は、満足げに頷くと話を続けた。


「さて、これからが肝心なのです。孝太郎さんと真央さんが泊まる部屋の一輪挿しが壊れてしまったことを知った犯人は、その壊れかけの一輪挿しを利用することを思いついたんです」

「利用することを思いついた・・・・・? 本当なの、セイちゃん?」

「ええ、そうです」

「じゃあ、今回のトリックの半分は、偶然の産物というわけなのね。引っ掛ける紐とかが壊れてしまって不安定な状態になった一輪挿しにナイフをセットし、さらに外部からの低周波音の振動で揺らして落下させた」

「と、見せかけたという方が正しいでしょう」


 そのとき、かなり不満の意が込められた、真央の鼻を鳴らす音が盛大に大広間に鳴り響いた。

 間髪入れずに、彼女ががなり立てる。


「あんたが昨日、御託を並べていたあの推理は何だったのよ! 今回の事件は、遠隔操作で人を殺しておきながら、その部屋に人がいたようにみせかけた、ってことじゃなかったの? そこまで変わっちゃうわけ?」

「すみません、真央さん。『昨日の私』が言ったことについては、謝ります。アイツはそれなりに頭は切れるのだけれど、ちょっと自己中心主義的に解釈してしまう癖がありましてね……。そう、まさにそう思ってしまうことこそが、犯人の『思うツボ』なのです」

「ツボ??」


 真央に小さく会釈した浩輔は、ひと呼吸置いて、言った。


「つまり、人がそこにいたことを隠すために、遠隔操作しているかのように、かつ、人がそこにいたように見せかけるトリックを使えば、探偵気取りの人間――土曜日の私のような男ですが――は、人がいなかったと逆に考えてしまうわけですよ。しかし、その裏をかくようにして、実は中に人は゛いた゛のです」

「なんですって? あのとき部屋に人がいたですって……? じゃあ、ワタシは犯人じゃないと言ってるのね!?」


 息を呑んだ一同の中、浩輔が頷いた。

 ほっとして、全身から力の抜けた真央がソファーに崩れる。


「でも、正確にはこう表現すべきでしょうか……。部屋の中でナイフを使った殺人行為を行ったあと、犯人はストーブとバスタオルを使って人影を作り出す゛フリ゛をしたんです。けれど、その実それは、暖房器具を使う目的が別にあったからなのですが」

「別の目的?」

「そう。あの部屋に創り出した密室状態を解除するという、目的です」

「密室を解除する!? ストーブで??」

「ええ」

「でもまだ、密室を創り出したトリックを教えてもらってないけど」

「それは今から説明します。急かさないで、瑠奈」


 舌を出し、おどけて肩をすくめた瑠奈。

 浩輔は、落ち着き払った様子で彼女の求めに応じた。


「皆さんは、熱を加えると剥がれるシール、゛熱剥離ねつはくりシート゛というものをご存知ですか?」

「知らない」


 あっさり、そう答えた瑠奈に他のメンバーも同意を示した。

 ただ一人を除いては――。


「実はこれ、『水曜日の私』のメモを受けて」『金曜日の私』がこの建物の中にある図書室で調べてくれたことなんですけどね……」


 浩輔が、自分の顎に親指と人差し指でL字型にした左手をあてる。


「常温では普通の接着剤となるのですが、六十度とか、ある一定程度の温度環境下ではその粘着力を失ってしまう゛熱剥離シート゛なるものがあるんですよ」

「ああ、なるほどね。ってことは……」


 浩輔の真似をして左手を顎に着け、考え出す瑠奈。

 しかし、すぐに諦めの表情となり、頭をぼりぼりと掻いた。


「やっぱ、わかんない。教えて」

「つまりですね……事件のあった晩のことを時系列で推理すると、こうなります」


 高校生探偵の七曜浩輔が、今度は右の人差し指を立てて語った。


「真央さんが外に出たことにより、居室に孝太郎さんひとりになったところを見計らった真犯人は、廊下から孝太郎さんに何らかの内容で声を掛けてドアを開けさせ、その部屋に入り込むと、酔って足元もおぼつかないような孝太郎さんをナイフで刺し殺したんです」

「ほうほう」

「そして、真央さんがいつも低音を響かせて音楽をヘッドフォンで聞いていることを知っている犯人は、低周波的な音波でカタコトと動きそうな一輪挿しを、いかにも殺人にそれが使われたかのように枕横に並べたのです。当然その目的は、手の込んだトリックで殺人が行われたと見せかけるよう、我々に罠を仕掛けるためですね。

 あ、そうそう。真央さんが一輪挿しを手で飛ばしてしまったときに花を挿す部分が壊れていたのは、恐らくは、犯人がナイフを挿し込めるようにすでに加工してあったために壊れやすくなっていた、ということなのではないでしょうか」

「なるほど」

「更に犯人は、部屋に誰かがいたようにカモフラージュすれば、かえってそれが部屋には誰もいなかったと小賢こざかしい探偵気取りの男――違う曜日の私ですね――がそう推理するだろうと考えたのです。

 肌寒い気候だったために、もともと点いていたストーブの火力を最大限にし、部屋にあったバスタオルをわざとそのすぐ近くに置いて、人影を創り出すトリックを行なったと思わせた」

「じゃあ、あのとき浩輔が見た人影は、まわりまわって、本当の人影だったというわけね」

「うん、そういうことになりますね」


 ここで、浩輔の話に口を挟んだものがあった。

 この別荘の主、扇家の人間である富貴だった。


「今までの推理はわかりました。でも、まだ熱剥離のシートが出てきてません」

「ああ、そうでした、そうでした。ちょっと話が回りくどかったですね、すみません……。でも、もう富貴さんにはお分かりかと思います。犯人は、殺人行為を行ったあと、あらかじめ用意しておいた熱剥離型の粘着シートを扉と重なる枠の部分に貼り、密室状態を創り出したのです」

「なるほど。それで私たちが駆けつけた時には、シールの粘着力のせいで部屋の扉の鍵が閉まっているように感じたのですね」

「そのとおりです。そして、密室を開放するのに、先ほど『ストーブを最大限の火力にして』と申し上げたことが生きてくるわけですよ」

「……どういうこと?」


 富貴と浩輔の二人で勝手に進んでいく論理展開にイラついた瑠奈が、口を尖らせた。


「先ほども申し上げましたが、熱剥離型の粘着シートはある程度の温度に達すると、粘着力を失います。ものによって違うかもしれませんが、六十度くらいで、です」

「でも、たかがポータブルストーブの火力よ。最大限の火力だったとしても、部屋がそんな温度になるの?」

「ほほう、良いところに目をつけましたね、瑠奈さん。そうなんです、孝太郎さんが殺されてストーブの火力があげられてから皆が部屋に駆け付けるまで、そんなに時間はありませんでした。足を踏み込んだ時も確かに部屋はそれなりに暑かった――とは聞いてますが、そこまでの温度になっていたかは、疑問です」

「そうよね。熱剥離シートが使われていたとして、どうして部屋の扉が開いたの?」

「振動です」


 瑠奈の質問に、浩輔があっさりと答えた。


「文献によれば――ですが、剥離する温度に達していなくても、ある程度温度が高ければ、例えばドアをどんどんと叩くようなそんな振動を与えれば、粘着力が失われて剥がれることがある、ということなのです」

「なるほど。犯人はそれを知っていた可能性は高いわね。じゃあ、今から現場の部屋に行って、その推理の証拠を探してみましょうよ」

「いや……。多分、今頃あの部屋に行ったところで、熱剥離シートが貼ってあったような形跡は出てきませんよ。もうそんな証拠は、この建物の造りに詳しい犯人によって、とっくに消されているでしょうから」

「じゃあ、その推理を裏付ける証拠はないわけ?」

「いいえ……。ちゃんとあるんです」


 ちっちと右手の人差し指を振りながら、浩輔がにたりと笑った。

 その後、彼が皆の目前にさらしたのは、水曜日の浩輔――スウィートが着ていた服だった。その肩口には、埃の塊のようなものが付着している。


「水曜日の私が残した記録によれば、彼はここにいる瑠奈さんと一緒にドアに体当たりし、殺人現場の部屋へとなだれ込みました。そしてそのとき、何故か肩にごみが付着した、とあります。『彼』はその意味まではわからなかったようですが、私にはわかります。それは、部屋に飛び込んだ時に肩が扉の枠に貼られていた粘着シートに触れたのですよ。

 そして、その粘着質の成分により、服の肩にゴミが付着したわけです。恐らく、この服についた成分をきちんと調べれば、しかるべき成分が検出されるはず」


 一気にまくし立てた浩輔がコーヒーカップに口を当て、中身を飲み干した。

 そしてそれは、もうこれ以上、彼の咽喉を潤す必要がないくらいに推理が佳境に入ったことを示していた。

 場の雰囲気が、気温が五度、急降下したかのように凍りつく。お互いがお互いを観察し合い、その顔色で犯人を探り当てようとしているかのようであった。

 そこに、満を持した浩輔の一言が発せられる。


「これらの犯行が可能なのは、ただひとり。それは――」


 高校生探偵、七曜浩輔の右手が、とある人物に向かって伸びていった。

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