○1-6 土曜日(3)

 浩輔の推理が響き渡った後に、大広間を支配していたのは沈黙だった。

 一方、孝太郎のパートナー(今となっては『元』だが)、真央の内面を支配していたのは、何かに対する恐怖感らしかった。その証拠に、真央の全身からみるみる血の気が引いていき、その顔が青ざめていく。

 そんな真央の変化に気付いた瑠奈が、沈黙という名の見えない壁を最初に破った。


「真央さん……顔が真っ青よ。大丈夫?」

「だ、大丈夫よ」

「でも、ベッド脇の壁に花ではなくてナイフの刺さった一輪挿しがあったら、普通、気付かない?」

「え……それ、あたしに聞いてる? そ、そうねえ……気づくかもね」

「もしかしてあなた、何か後ろめたいことでもあるの?」

「な、ないわよ。ただ、もしさっきの推理が本当だとしたら、そのことに気付いてあげられなかったのが申し訳なくてさ――」


 真央と瑠奈の会話に割り込んだのは、浩輔だった。


「『別曜日の俺』が書き残している内容によれば、孝太郎さんはその日、酷く酔っぱらっていたそうだね……。そして、同じ部屋に寝泊まりしていた真央さんは、そのことが十分に判っていたはず」


 その目をすうっと細くした、浩輔。

 そこからの視線が、やや取り乱した真央をまっすぐに捉えている。


「ちょっとあんた、何が言いたいわけ!? ……高校生探偵の偉そうな前口上は、もうたくさん。だったら、言いなさい! 仮にそういうトリックが使われたとして、それを使った犯人っていうのは、一体誰だっていうのよ?」

「それは……高木真央さん、あなた自身だ!」


 浩輔の視線は少しも揺るがなかった。

 そればかりか、自信たっぷりの表情とともに右手の人差し指をまっすぐ突き立てると、それを真央の体の中心線に沿って傾けながら、彼女の胸部中央へと指し向けたのである。

 しかし、そんな高校生探偵の厳しい宣告に対し、真央は怯まなかった。


「ちょっと、あんた……頭がおかしくなったんじゃないの? まったく意味がわからないわ。第一、あたしがどうして孝太郎さんを殺さなきゃいけない? あたしが言うのもなんだけど、彼を殺したところであたしには何ひとつ利点がないわ。動機がないじゃないの!」

「動機? うーん……愛情のもつれとか、そんなところでいいんじゃないのかな? とにかく、そんなことは俺の知ったことでないんだ。俺が興味あるのは、起きた現象とその仕組みの解析――それだけだからね」

「あーあ、警察が早く来てくれないかしら」


 頭を抱えた真央を気にすることなく、浩輔が推理を続ける。


「孝太郎氏が殺された晩――真央さん、あなたは、涼みたいといって瑠奈と水曜日の私と屋敷の外で会ったそうではありませんか。耳に大きなヘッドフォンをつけて」

「そうよ。それがどうかしたの」

「あなたの聴いていた曲、低音がものすごく響いてたらしいですね」

「低音? そりゃあ、あたしはハードロックが好きなんだから、低音もあるでしょうよ」

「あなたが曲を聴いていたデバイスは何ですか」

「このポーターブル音楽プレーヤーだけど」


 そう言って、持っていたポーチから真央が取り出したのは、縦10センチ横5センチほどの、小さな薄い板のような物体だった。

 それを見た浩輔はニヤリと笑い、したり顔で言った。


「すぐには無理だけど、警察がその中身を調べればすぐに判ることさ――。この中に、物体の固有振動数を使って物体をコントロールするための低周波音が『録音』されていたことが、ね。あなた――高木真央は、頭から取り外したヘッドフォンのスピーカーから低周波音を出すことによりナイフがセットされた一輪挿しをカタカタと振動させ、遂にはそれを落下させて部屋のベッドで寝る孝太郎氏を殺害した」

「……ばかばかしい。もう相手にしてられないわ」

「しかし、その音楽プレーヤーは証拠品として預からせてもらうよ。犯行の後、低周波音を含む音楽データが消されていたとしても、それは警察では復元できるだろうからな」

「ふん。こんなものでもよければ、あんたにあげるわよ。どうせ、なんの証拠にもならないからさ」


 しかし、彼女の音楽プレーヤーを受け取るべく進み出たのは、浩輔ではなく執事だった。

 真央の前に進んだ執事が広げた両てのひらの上に、真央が投げつけるようにして、荒々しくそれを置く。

 と、意外にも――今や危機に陥った状態の真央に助け舟を出したのは、双子のメイドの妹、伊藤沙樹だった。


「でも……七曜さま、その推理にはひとつ問題がありませんか? 確か、七曜さまと三瀬さま、そして真央さまが外にいらしゃって孝太郎さまの悲鳴を聞いたときに、部屋の窓に人影が見映ったのですよね……。その人影はどのように説明なさるのですか?」


 浩輔は、その質問が来るのを持っていたかのようだった。

 今日の呼び名「サタン」に見合うような、見た人間の背中をぞわっとさせる不敵な笑顔を沙樹に向けつつ、言った。


「それは、簡単なトリックだよ、沙樹さん。真央さんは、窓の外から低周波音を使って凶器となる一輪挿しを操っていながら、同時に、部屋の中に誰かがいるように見せかけたんだ」

「――? どういうこと?」


 浩輔の推理話の間中ずっと傾き続けていた瑠奈の首だったが、そのとき更に、地球の中心に向かって傾いた。


「ストーブの出す熱気とバスタオルという布を用いたトリックさ。

 皆が踏み込んだ時、赤々と燃え続けるポット式の石油ストーブが窓とベッドの間にあって、そのすぐそばにバスタオルが落ちていたんだよな? 犯人は、バスタオルの端を窓枠まどわくの隙間に挟むなどして反対側がストーブの真上に垂れ下がるようにし、それがストーブから出てくる熱気で起こった上昇気流によりバタバタとはためいたというわけさ。

 多分それは、何回か小さくはためいたあと最後に大きくはためいて、窓枠に挟んであった部分が外れることにより、バスタオルが床に落ちたんだろう。そのときの様子が影絵となってカーテンに映りこみ、外から見た人間には、それが部屋の中で誰かが動いているように見えたんだ」


 ――ほほう。


 大広間に、真央以外の人間の、感嘆ともとれるため息が漏れた。

 それを聞き、一人『したり顔』をした浩輔が、粘っこい口調で言う。


「どうでしょう、真央さん。こうして俺にトリックを見破られてしまった以上、素直に犯人であることを認めませんか? そして、恐らくは同一犯により実行されたと思われる太田料理長シェフの件も自白してくださると助かるのですが……」

「ふん……。もうばかばかしくって答える気もないわ。あたし、やっぱり部屋に戻る。その音楽プレーヤーは思う存分調べてもらっていいから。じゃあね」


 最初こそ動揺していた真央ではあったが、最後まで探偵の推理の内容は認めなかった。

 もう一度部屋に戻ろうとする彼女の行く手を阻んだのは、やはり富貴だった。


「殺人の嫌疑がかかっている以上、あなたに自由な行動は許されない。これからも、常に私の監視下にいていただきます」


 まるで、蛇に睨まれた蛙――。

 真央は、富貴の目力の強さに、すごすごと引き下がった。


「……わかったわよ。ここに居ればいいんでしょ、居れば! だけど、明日にでも警察が来たら、あたしは身の潔白をきちんと説明させてもらうわ。そして、あたしが無実となったとき――そこの高校生探偵とやら、ただじゃおかないからね!!」


 それからというもの、扇家の森の洋館にある大広間は、大時計の音だけが響く何とも奇妙な空間となった。

 それからは何も進展のないまま時間が過ぎていき、夜を迎えた。

 嵐は時間とともに少し収まりつつあるのだろう。

 瑠奈の耳にも、屋外の風の音がだいぶ小さくなってきたように感じる。


 やがて夜十二時きっかりとなり、大広間に設置されている大時計の時報が、館に鳴り響いた。

 その音が鳴り始めた、瞬間だった。

 一瞬、気を失ったように目をつむり、がくっと肩を落とした浩輔が、再び目を見開くと同時に顔をむくっと上げたのだ。

 その目は、キラキラとして澄んでいる。

 どう見ても、先ほどまでの陰湿な感じとは違った雰囲気を持っていた。


「なんだこの黒くて趣味の悪い服は……。申し訳ありませんが、着替えをさせてもらっていいですか?」

「服なら、あなたがここ数日泊まっていた部屋にあるわ」


 すぐ傍にいた瑠奈がそう言うと、浩輔はほっとした表情を見せた。

 すかさず、そんな彼に瑠奈が簡単ないきさつを説明する。

 状況をある程度理解したらしい浩輔が、ソファーからすっくと立ちあがる。


「では部屋に行って着替えてきますね。すぐに戻りますから」

「……探偵は部屋に戻ってもいいの?」


 呆れ顔の真央の訴えに、富貴は素直に頭を下げた。


「……すみません。まさかとは思いますが、ちゃんと監視をつけますので許してあげてください。佐藤さん、よろしくお願いします」

「かしこまりました」


 高校生探偵は、日曜日の浩輔――『セイント』になったのだ。

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