○1-4 木曜日(1)

 次の木曜日は、朝から台風が上陸したかのような荒れた天気だった。

 いわゆる、爆弾低気圧。

 これでは、扇家のヘリコプターも、捜査のために駆け付けるはずの警察のヘリコプターも近づけない。

 おまけに、朝食中についに停電となり、電気もつかなくなる始末。

 恐らくは、昨晩からの強風による倒木などにより、途中の送電線が切断されてしまったのであろう。


 夜が明けたものの、洋館の佇む森は恐ろしいほどの暗灰色の空に包まれており、そこから降り落ちてくる数え切れぬほどの数の雨粒は、ごうごうと唸る風によって館の窓に激しく叩きつけられていた。

 このような状況下では、朝の8時となっても館の中は当然薄暗かった。

 ダイニングルームの明かりをとなったのは、何十年ぶりかに倉庫から出されたかのような、古めかしい燭台しょくだいの数々。それぞれの燭台には、これまた最近ではあまりお目にかからなくなった蝋燭ろうそくが一本づつ載せられており、そこから発せられる赤みがかった明りが、ダイニングルームに集まってこれから朝食を取ろうとする面々の顔を仄暗く照らしている。


「ずみません……。結局、今日も学校に送り届けることができなくなってしまいました。それに加えて、補助発電機まで故障してしまって……」

「全く、面目ない次第です。執事として、陳謝いたします」


 面々の前で浩輔と瑠奈に対して頭を下げた豊貴と佐藤。

 それに対し、瑠奈だけが「いえいえ、仕方ありませんよ」と彼らをなだめた。どうやら今の浩輔にとっては、それは特に関心事ではないらしい。


 本来なら、扇家の所有するヘリコプターを使ってこの森から脱出し、学校へと向かっているはずの時間帯である。

 この荒れた天候に昨夜の孝太郎の事件――もしくは事故――も相まって、ここから動けないのは当然かもしれない。けれど、殺人事件の発生と学校に行けないもどかしさで瑠奈が複雑な思いを抱えていると、彼女の横で゛くんかくんか゛とまるで野良犬のように辺りの臭いを嗅ぐ浩輔の間の抜けた声がした。 


「ほほう……ボクの推理によれば、次は卵料理の登場ですな……うむ、よろしい! ここは、探偵らしくはっきりと言ってしまいましょう――次の料理は、ずばり、ハムエッグです!」

「さすが、高校生探偵の七曜さまですね。そんなことまで推理できるなんて!」


 こんな危機的状況の中、木曜日の浩輔の他愛もない推理?に両手を叩き、双子メイドの妹の美樹が感動する。

 そんな彼女に対し、瑠奈は手をひらひらとさせて思いっきり謙遜した。


「あ、いやいや大したことありませんってば……。この人、ただ食い意地が張ってて食べ物に対する嗅覚が鋭いだけですから」


 しかし、木曜日の浩輔の感覚――特に嗅覚――が鋭いことは確かだった。その五感の鋭さを生かした推理が、彼の得意技なのである。

 その後、薄暗いダイニングルームに響いた執事の佐藤の声は、沈痛なものだった。

 丸眼鏡の奥底から、一同の顔を見渡しながら言う。


「まったくもって、大変ことになってしまいました……。すぐにでも善処いたしたいところなのですが、この天気では、警察もすぐには来くることはできますまい……。とりあえず、孝太郎さまの部屋はそのままにしておきます。真央さまは、別の部屋――七曜様の部屋の廊下を挟んで向かいの部屋にお移りください」


 そんな執事の言葉に、真央が取り乱す。


「あたしの部屋のことなんか、どうでもいいのよ! それより、あんたたちのだれかがあの人を殺したんでしょう!? それをまずはっきりさせて欲しいものだわ」


 その言葉に即座に反応したのは、メイドの二人が出してきた料理を何回もお替りし、皿を抱えるようにして食べる木曜日の浩輔、『モッキー』だった。

 昨日までの浩輔と体型は変わらない。

 しかし、かなりの大食漢である『彼』は、木曜日とモクモクとひたすら食べるその姿から、瑠奈にそう呼ばれている。


「何言ってるんすか……(ぱくぱく)、部屋は内側から鍵がかかってたんすよ(もぐもぐ)。昨日のボクのメモによれば(もぐもぐ)、ですがね(ごっくん)。だとすれば(ぱくぱく)、妙な推理小説じゃあるまいし(もぐもぐ)、自殺だと考えるのが適当でしょう(ごっくん)」

「ちょっとモッキー、食べながら話すのやめなさいよ……。それに、たださえ停電で食事を作りにくい中で沙樹さんと美樹さんが丹精込めて作った食事を、そんなにガツガツ食べるだなんて! もっと味わって食べなさいよね」

「ええ!? だって(ぱくぱく)、しかたないじゃないか(もぐもぐ)。このハムエッグとベイクドポテト(もぐもぐ)、そして焼き立てのパンがたまらなくうまいんだもん!(ごっくん)」

「私たち、そうやっておいしそうに食べてもらえるとすごくうれしいです!! でもホントのこといいいますと、それはパンじゃなくてクロワッサンですけど!」


 双子メイドがそっくりな笑顔をふたつ並べ、声をそろえた。


「まあ、それならいいけど」と、呟いた瑠奈が食事に戻る。

「えっ、これってパンじゃないの?」と、浩輔はかなりショックを受けた模様。


 しかし、そんな緊迫感のない会話にしびれを切らした真央が、再び声を荒げる。


「ちょっとあんたたち、いい加減にしなさいよね! クロワッサンだってパンの種類のひとつでしょ。そんなの常識――って、そんなことじゃなーい! さっきあたしが言ってたことちゃんと聞いてた? 無視するんじゃないわよ」

「ああ、そのことですか。だから、さっきも言ったじゃないですか。あれは自殺です」

「だあ、かあ、らあ――」


 右手に掴んだクロワッサンを、今にも浩輔に向かって投げつけそうな勢いの真央。


「あたしも言ったでしょ? 孝太郎さんは、あんたがたの誰かが殺したに違いないんだって……。でも、あの悲鳴が聞こえた時、このあたしとこちらの高校生探偵君、そしてそちらの女子は屋外に出ていたから、この三人は容疑者から除外ね。そうでしょ、探偵君?」

「いいえ(ぱくぱく)。自殺という゛事故゛である限り(もぐもぐ)、犯人は(もぐもぐ)、存在しません。自殺させるよう意図をもって(もぐもぐ)彼を精神的に追い込んだ人がいるとすれば(もぐもぐ)、それは事件となりますがね、真央さん(ごっくん)」


 ちらり、真央の顔を覗きながら言った浩輔を見て、真央の怒りがついに爆発する。


「あんた、ホント食えないやつだわ!」

「いいやボク、めっちゃたくさん食えますよ。食べること、大好きですから!」


 ナイフとフォークを両手に持った浩輔が、きらり、白い歯を光らせながら屈託のない笑顔を見せる。

 それを見た真央は増々ヒートアップ。

 目尻をぐいと吊り上げ、その頬をみるみると赤く染めていく。


「そ……そんなこと言ってるんじゃないわよッ!」


 テーブルを押しのけて、真央が浩輔に襲い掛かろうとした。

 それを、慣れた様子で瑠奈が二人の間に入って制止する。


「やめた方がいいですよ、真央さん。彼――モッキーは、こう見えて柔道の達人なんです。バリバリ黒帯のね……。ただの食いしん坊じゃないんです。彼に手を掛けたその瞬間、あなた、投げ飛ばされますよ」


 そう言って瑠奈が浩輔の肩に手を掛けた瞬間だった。

 制服スカート姿の瑠奈が、目にもとまらぬ速さで宙を舞った。浩輔の『背負い投げ』が決まったのだ。地面に落ちる落下傘パラシュートのように、スカートがはらりと床に落ちたとき、真央の体は冷たいフローリングの床の上にあった。


「あんたね……幼馴染で幼気いたいけな私まで投げ飛ばすことないじゃないの! ちょっとは手加減しなさいよ」

「ああ、すまんすまん(もぐもぐ)。つい、癖でさ(ごっくん)」

「とにかく……あんた高校生探偵なんだから、食べてばっかりいないで、すぐにでも捜査に取りかかりなさいッ!」

「うげっ、わかりました、わかりました」


 立ち上がった瑠奈が、先ほどのお返しとばかりに浩輔の首を掴んで豪快に振り回した。

 その凄まじさは、せっかく胃の中に収めたはずの食事が、再びの“お目見え”となりそうなほどである。

 呆気にとられ、口をぽかんと開けたまま立ち尽くす真央。

 ダイニングルームでの゛噴水゛は敵わないと、ついに館の主人たる富貴が乗り出す。


「ああ、三瀬さん。もう、七曜君を許してあげてください! ……本当は、こういったことは警察に任せねばならないところですが、この天候や橋の不備で警察もしばらく来れそうもありませんし、ここは高校生探偵という七曜君に捜査を頼むといたします。窓に映ったという人影も気になりますし――ね」


 だが、そんな彼の言葉も、瑠奈の執拗な攻撃に見舞われた浩輔の耳には、ちっとも届いてはいなかった。

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