○1-3 水曜日(3)
慌ただしく、
シェフのいなくなった別荘では、晩餐、というよりはまさに夕食といった内容である。
今回は、メイド二人に執事が助力しての料理だった。
味噌汁とごはん、それに肉料理が一品。
「これはまかない料理ではないのか」と文句ばかりの孝太郎と真央の二人を横目に、瑠奈は目の前に並ぶ普通の食事に、内心、ほっとしている。
「ぼくちゃん、おなかいっぱいになっちゃったから、外を散歩してきていい?」
どうやら庶民派であることは、スゥちゃんこと浩輔も一緒だった。
メイドたちが作る料理がよほど気に入ったらしく、浩輔だけは慌ただしさと無関係にご飯とおかずを何回もお替りし、ご満悦の様子である。
「だいぶ風が強くなって来たようです。気象予報によれば、これから低気圧が異常に発達して天候がかなり荒れるとか……。外に出てもよいですが、十分気を付けてくださいね」
そう言って心配する富貴をよそに、ご機嫌な浩輔が席を立つ。
それを見た瑠奈も「ごちそうさまでした」と頭を下げると、浩輔の後を追うように席を立った。
二人が大広間の奥の扉を抜けて庭園に出ると、果たして富貴の言ったとおり風が強く、会話もままならない感じだった。
そのせいか、肌寒くも感じる。いわゆる『寒の戻り』というやつだろう。瑠奈は、上着を持ってこなかったことを後悔した。
「いや、実はさぁ、この奥にあるヘリポートってやつを見たかったんだけどねぇ、寒いし、風強いし、見に行くのは我慢するにゃ」
「なんだ、スゥちゃんが庭園を見たいっていうから珍しいなと思ったら、そういうことだったのか。でもまあ確かに、暗くもなってきたし、やめとこうよ」
元の大広間に二人が戻りかけたときだった。
ふと横を見ると、孝太郎の恋人の真央が、彼らの傍にやって来ていたのだった。
フード付きのジャケットを羽織り、両耳には大きなイヤーパッドの付いたヘッドフォンをつけている。手には音楽プレーヤー代わりのスマホがあって、何やら右手で操作していた。
「あ、あんたたち、ここにいたの?」
二人の姿を見た真央は、右耳だけヘッドフォンを外すと、そう言った。
ヘッドフォンのスピーカーから、この強い風の中でも聞こえるような、大音量の音楽が響いてきている。
ガツンと低音の効いたハードロックが、彼女のお気に入りのようだ。
「どうしたんですか、真央さんこそ」
一応訊いてみました、という感じで瑠奈が言った。
すると真央は口元をきゅっと結んで、不満げに話し始めた。
「いや、それがさあ……。あたしはこの別荘に来た時は、夕食後はだいたいいつもここで音楽を聴いているんだよ。ほら、あそこにいる『ダンナ』が、私と音楽の趣味が合わなくてさ……仕方なく」
真央が指をさした場所、それは二人が宿泊する部屋の窓だった。
建物の形で言えば、『凹』の左上の出っ張った部分の、右側の壁に大きな窓があって、白いレースカーテンを通して部屋の中から明かりが漏れている。ときどき吹く突風のような風で別荘まで電気を伝えている電線が揺れるせいか、瞬間停電的に部屋の明かりが時折ちかちかと瞬いている。
「孝太郎さん、ああ見えてかなりの寒がりでね……執事に言って、あの部屋にはいつもポータブル型の石油ストーブを置かせてるのよ。それで今日も『うすら寒い』とかいって朝からつけてててさ……。彼、夕食でかなりお酒を飲んで酔っぱらっちゃったから、部屋に戻った途端にベッドで寝ちゃったんだけど、あの部屋の温度があたしには暑すぎるんだよね。それもあって、あたしは外にいるってわけ」
「へえ……そうなんですか」
「部屋の温度なんか、どうでもいいことなのにゃ。そんなことより、明日の朝の天気が気になるにゃ。ヘリが来れなくなるかもしれないし……」
「何よこの子、随分と生意気な口を利くわね!」
「ひいいっ! このおねえさん怖い!!」
「ごめんなさい、真央さん。このスゥちゃんは甘えん坊さんなもので……。それにしても真央さん、ヘッドフォンの音量が随分と大きいですね。ズンズンと響いて、耳とか頭が痛くなりませんか?」
「フン、放っといてよ。そんなのあたしの勝手でしょ」
少し雰囲気が剣呑になりかけた、そのときだった。
「あっ」と声をあげて、浩輔が館の二階窓を指さしたのである。まさに、扇孝太郎が寝ているという、その部屋の窓を――。
「今、窓のレースカーテンに人影が写ったにゃ……。しかも手には何か細い棒のようなものを持ってたような……。孝太郎さん、部屋で寝ているんじゃなかったっけ?」
続いて起きた、男性の悲鳴。
三人が、顔を見合わせる。
「今の声は……孝太郎さんに違いないわ」
「暴漢が部屋にいるってこと!? と、とにかく行ってみましょう」
青い顔の真央がスマホを操作し、音楽の再生を止める。
それから三人は、もつれる足を何とか動かしながら――特にスゥちゃんこと浩輔の足のもつれ方がひどかったが――庭から洋館の内部へと移動した。
風は更に強さを増し、びゅうびゅうという音とともに建物全体が揺れている感じがした。
しかし、今はそんなことにかまっている暇はない。とにかく二階へと急がねばならないのだ。息を切らして階段を上りきる。すると、向かって右手にある孝太郎と真央の泊まる部屋の入り口前に、執事の佐藤とメイドの一人、沙樹が立っていた。
「孝太郎さま、何かあったのですか? ――孝太郎さま!」
執事が、孝太郎の名を何度も叫びながら、頻りとドアを叩く。
そのすぐ横で、祈るように両手を胸の前で組んだ沙樹が、おどおどした様子で執事を見遣る。
「ダメだ……返事がない。しかも、内側から鍵がかかっていてドアが開かない……」
「困りましたね、佐藤さん」
この館の客室の鍵は、部屋の内側からしか操作できなく、つまみを回転させるタイプのものだった。
そこへ、庭園からやって来た三人が合流する。
その中で先頭を切ってやって来た瑠奈が、執事とメイドの二人の背中に声を掛けた。
「どうかしましたか? 庭で孝太郎さんのものらしき悲鳴を聞いたのですが――?」
「あ、三瀬さま。私たちも、悲鳴を聞いてここに駆けつけたのですが、内側から鍵がかかっているようで中に入れないのです。何もなければいいのですが……」
顔を青くした沙樹が、弱々しく答えた。
その間にも、執事の佐藤は頻りにドアを叩いたりドアノブを回したりしてドアを開けようとするが、びくともしない。
「美樹さんと富貴君は、今どこにいるにゃ?」
という浩輔の問いには、「さあ、わかりません。すぐに駆けつけてきてもいいものですが……」と首を振るばかりだった。
すると、噂をすれば影――。
ようやく部屋の前に、美樹と富貴が姿を現した。これで、孝太郎以外では、今この館にいる人間がすべて集合したことになる。
即座に、美樹が執事に向かって疑問をぶつけた。
「すみません、食器の後片付けをしてたもので……先ほどの悲鳴はやはり孝太郎さまの?」
「……わからない。返事もないし、鍵もかかってて中に入れないんだよ。富貴さまも孝太郎さまの声をお聞きに?」
「いえ、僕は今まで二階奥の部屋で読書をしていたのですが、それに集中していたせいか、悲鳴は聞こえませんでしたよ。でも皆さんが廊下で話されている声が聞こえて……それで出てきました。孝太郎叔父さんのことが心配ですね……。こうなったら、力ずくで開けるしかないかもしれません」
それを聞いた執事の佐藤がドアに体当たりを始めた。
らちが明かずに、富貴も加勢。交代で数回ドアに体当たりするも、びくともしない。
「じゃあ、あたしがやる!」
と、勢い勇む瑠奈に「いや、三瀬さんでは……」と富貴が言うと、彼女は盛大にむくれた。
「やってみなきゃ、わからないじゃない! ちょっと、スゥちゃんも力貸しなさい!」
「ええーっ、ぼくちゃんもぉ?」
「
渋々頷いた浩輔が、瑠奈とともにドアにぶつかった。
すると――驚いたことに、ガンと鈍い音を立ててドアが開いた。ぶつかった勢いそのままに、部屋になだれ込んだ瑠奈と浩輔。
「うっぎゃあ」という瑠奈の悲鳴が、部屋に吸い込まれていく。
「やった、開いたにゃ!」 床に俯せに倒れた浩輔。
「……って、この部屋アッツ!!」 浩輔の上に畳みかけるようにして倒れ込んだ瑠奈。
しかし、瑠奈がそう叫んだのも無理はなかった。
孝太郎が中にいるであろうその部屋が、まるでサウナのように暑さでむせ返っていたからである。
間髪を入れず、浩輔と瑠奈を乗り越えるように、富貴と執事が部屋に飛び込んでいった。
部屋の入り口に取り残された形の浩輔と瑠奈だったが、瑠奈の重みに耐えられなくなったらしい浩輔が、ぼそりと言った。。
「えーっと、そろそろそこをどいてくれないかにゃ……」
「あ、ごめんごめん……今、どくから」
そう言って、瑠奈が立ちあがる。
その拍子に、浩輔の足を思いっきり踏んづけた。同時に浩輔が「ぎゃっ」と悲鳴を上げる。しかし、そんなことにはお構いなしの瑠奈の視線が、浩輔の肩に行った。
「あれ、スゥちゃんの肩にゴミがいっぱいついてるよ」
「え、ゴミ? ホントだ……。床掃除が行き届いてなかったのかにゃ?」
「まあ、今はそれどころじゃないわ。とにかく、さっさと立ちあがりなさい!」
再び足を踏んづけ、浩輔を立ち上がらせる瑠奈。
浩輔はもう一度小さな悲鳴を上げた後、「もう、勘弁してよぉ」と立ち上がった。
二人の漫才のようなやり取りでふんわりと和らぎかけた場が、一瞬にして凍りついた。それは、部屋の奥へと進んだ富貴が大きく首を振って放った、一言のせいだった。
「ダメだ……もう亡くなっている」
浩輔と瑠奈が、部屋の奥へとぎこちない動きで進み、富貴の背後につく。
富貴の背中越しに見える光景は、ベッドに仰向けに横たわる孝太郎の額に、ナイフらしき刃物が一本、突き刺さっているものだった。
体を思わず強張らせてしまった、浩輔と瑠奈。
その二人の横ではがっくりと肩を落とした執事が茫然と立ち、部屋の入り口付近では二人のメイドと故人のパートナーである真央が口を開けたまま立ちすくんでいる。
完全に動きを失った、部屋。
ただそこにあるのは、孝太郎が横たわるベッドと窓の間に置かれた一台の石油ストーブが真っ赤な炎とともに盛んに熱気を吐き出し続け、そのストーブを包み込むように一枚の大きなバスタオルが床に落ちている風景だけだった。
浩輔にはそれが、人の死の前では圧倒的に無力である探偵を嘲笑っているかのように、思えてならなかった。
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