○1-2 火曜日(2)
「これより先は、執事の
後部座席のドアを開けた運転手の立花が、これでもかというぐらいに恭しく頭を下げる。
リムジンを降りた瑠奈の眼前に広がったのは、白壁の、正面からは長方形に見える三階建ての館だった。
建物に近づくにつれ、増すばかりの圧倒感。
車の中で聞いた立花の話によれば、別荘は
その庭園を左右から挟む形で、客室などの居室部分が存在するらしいのだ。
そういった、先ほど運転手から得たばかりの建物情報を頭に思い浮かべながら、自分の倍の高さもあろう重厚な玄関扉の前へと瑠奈と浩輔が辿り着いたときだった。
玄関横で身じろぎもせずに立っていた、一人の男――別荘の執事――が、二人に声を掛けてきたのだ。
「ようこそいらっしゃいました、三瀬さま、七曜さま……。富貴坊ちゃんは、もうこの先の大広間でお待ちでございますよ」
「さ、さようでありますか。か、かたじけのう、ござります」
あまりに動きがなかったために、てっきり人型の置物だと思っていた『彼』から声を掛けられ、思わず戸惑ってしまった瑠奈の口がうまく滑らない。
そんな彼女の発した妙な敬語にも動じず、執事の佐藤は柔和に笑った。
見た目では60歳前後のシニア世代。短めに散髪された白髪に、丸眼鏡がよく似合っている。長年扇家に仕えているらしい彼には、ぱりっと糊の効いた黒の燕尾服が、見事にその体型と雰囲気にマッチングしていた。
しかし、そんな中でも火曜日の七曜浩輔は浮かれ気味だ。
「うわあ、すっげえ! こりゃあ、事件が起きるの間違いなよぉ……。楽しみ、楽しみ」
と、にやけてきょろきょろするばかりの彼に、さすがの瑠奈もため息をつくしかできなかった。
「もう、いい加減にしなさいよね……。とにかく、入るわよ」
大股で勇ましく玄関扉へと突き進む、瑠奈。
その後ろから、ひょこひょこ付いていく、浩輔。
まるでプロのバスケットボール選手のために設計されたかのような背の高い扉が、二人の目前で開いた。するとそこに現れたのは、赤い絨毯の敷き詰められた、ダンスパーティでもできそうなほどの大広間だった。
幅、奥行きともに40メートルほどありそうだ。
瑠奈の目に、部屋の天井のそこかしこからぶら下がるきらびやかなシャンデリアたちが眩しく映った。
「いらっしゃい! 来てくれてうれしいです」
広間の中央部、そこの天井からはまるで彼らの親玉のように一際大きなシャンデリアが吊るされており、その真下に位置するソファーに足を組んで座っていた豊貴が、豪奢なシャンデリアにも負けないぐらいの眩しい笑顔を見せつつ、立ち上がった。
折り目のきっちりついた、いかにも高級そうな白シャツと黒のスラックス。首には、金のネックレスも躍っている。
およそ高校生とは思えない洗練された姿の富貴が、二人へと近づいて行く。
そんな彼に対し、何を着たらいいのかわからずに結局は制服を着て来てしまった、どう見ても高校生にしか見えない瑠奈が、緊張した面持ちとぎくしゃくとした動きで右手を差し出した。
「な、ないすとぅ、みぃちゅー」
「あっはっは! 僕は急に外国人になったりしませんよ。日本語で結構です」
「そ、そうでしたね、すみません……。こういうところに来たことがなかったもので、緊張してしまって……。ほら、カーもちゃんと挨拶しなさいよ――って、アイツどこいった?」
見渡せば、瑠奈と同じく制服姿の浩輔が、初めて遊園地にやって来た子どものようにはしゃぎまくり、あちこちにあるドアを勝手に開けては「すげえ、すげえ」を連発していた。
「……すみません。まだ、子どもなので」
「い、いえ、かまいません。だけど、彼ってあんなキャラクターでしたっけ!? それとも久しぶりに会ったから、僕の記憶が間違ってるのかな……。まあ、そのうち彼も落ち着くでしょうから、しばらく放っておきましょう」
「いや、そのぉ……。今、彼のキャラのことを話すと長くなるので、別の機会に……。とにかく、すみません!」
瑠奈が、頭を下げる。
その後頭部をにこやかに眺めた後、富貴が執事を呼んだ。
「佐藤さん。すみませんが、彼――七曜君が落ち着いたら、こちらの三瀬さんと一緒に館を少し案内してやってくれませんか?」
「承知いたしました、富貴坊ちゃま。それから、お二人の荷物はそれぞれのゲストルームにお運びしておきましたので」
「おお、相変わらず仕事が早いですね。ありがとうございます。では三瀬さん、私も少し準備をしてきますので、1時間後、またこの大広間で会いましょう」
富貴は、いまだ疲れを知らず広間ではしゃぎまわる浩輔と呆れ顔の瑠奈を残し、大広間の奥側にある左右の上り階段のうち右側の階段を使って、二階にある富貴の居室へと戻って行った。
五分後にようやく落ち着いた浩輔と瑠奈を連れ、それから約1時間の間、執事の佐藤は館を案内した。
別荘の一階は大広間と皆で食事をとるためのダイニングルーム、そして執事やメイドなどの使用人の部屋があった。二階は、扇家の人間が使う広めの部屋 (中で3つに仕切られている)が1つと、左右の袖に分かれた4室の
極めつけは、三階の『図書室』だった。
なにせ、三階すべてが図書スペースとなっている。多分、瑠奈たちの学校の図書館より大きく、執事の佐藤が言うには、3000平方メートルほどあるという。先代の扇家当主が本好きで、本宅に置ききれなくなったたくさんの本をこの別荘に置くこととなったらしい。
廊下やエントランスなど、館の各所に置かれた恐ろしく価値の高そうな絵画や彫刻などの美術品に圧倒されたのち、あまりのはしゃぎ過ぎに既にぐったりと疲れ果てた浩輔を連れ立って大広間に戻った瑠奈は、『凹』の一階右側手前に当たる部分に位置する『ダイニングルーム』へと通された。
そこで彼女たちはようやく、のんびりと優雅な時間――昼食タイムを過ごしたのだった。
「それにしても、すごい別荘ですね。大広間だけでウチの何倍もありますし、お庭もすごくきれい」
瑠奈が、なんていう料理かよくわからないけどとにかく美味いものを食べさせてもらったという幸福感とともに、辺りの木々や花々、そして景気よく水の吹きだす庭の噴水を眺めながらそう言った。食後の散歩――邸内散策――の時間である。
彼女の横には、白いベンチの上で大きく膨れた腹を抱えてひっくり返り、ウンウンと苦しそうに唸っている浩輔がいる。
「――にしても、お昼から食べ過ぎよ、カー。ホント、下品よね」
「今は腹いっぱいで話すこともできん。いいから、オイラのことはほっといてくれ」
「まあまあ、三瀬さん。それだけウチの
「ああ、それはですね……」
少し戸惑いつつも、瑠奈は続けた。
「すごく複雑で個人的なことなんだけど……富貴君は幼馴染だし、話してもいいかな。確か富貴君が引っ越しした頃だったと思うけど、ある日突然、浩輔が多重人格になったのよ。それも曜日と同じ数だけの7人の、ね。理由は今もってわからないけど、そういうことがあって、ワタシは曜日ごとに人格の違う浩輔にそれぞれ゛あだ名゛をつけたってわけ。で、火曜日は『カー』なの」
「へえ……不思議なこともあるものですね。その人格間で記憶は引き継がれるのですか?」
「いえ、引き継がれないみたい。だから浩輔は、毎日備忘録的なメモを書いて翌日の自分に渡してるのよ」
と、そのとき浩輔が叫んだ。
「もういいよ。それ以上、オイラのことは話さなくていい!」
「ああ……ごめん、浩輔」
「大体、事情は分かりました。つらいことを聞いてしまってすみません、七曜君」
「わかってくれれば、それでいいよ」
こんな会話があったのち、昼下がりをゆったりと庭の一角で過ごした一同。
そしてようやく、火曜日の浩輔がお待ちかねの暗闇の時間が森の洋館に訪れたのである。
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