○1-2 火曜日(1)

 翌日――。

 火曜日の朝八時だった。

 一台の黒塗り高級リムジンが、とある住宅街に到着したかと思うと、すぐさま二人の高校生を載せ、とある山奥の別荘に向けて走り出したのである。


「おいおいおい、これってよ、超高級車だよな。オイラ、こんなの初めて乗ったよ。いやーすげぇーなあ、まるでホテルみたいに広々してるじゃん!」


 希望していたおもちゃをサンタクロースからもらった少年のように鼻息を荒くして、浩輔がリムジンの後部座席付近をちょこまかと動き回っている。


「……。ちょっと、カー。恥ずかしいから、あんまり車の中をちょろちょろ歩き回らないでよね!」

「へ? 全然、いいじゃん、いいじゃん」

「昨日のゲッツは全然興味を示さなかったこの車に、カーは大はしゃぎの大興奮だもの……そのギャップにこっちは疲れるわよ」


 カーとは、瑠奈の命名による浩輔の火曜日の呼び名である。

 火曜日の『か』の字と、火曜日の彼がアメリカのミステリ作家『ジョン・ディクスン・カー』のえがく怪奇ミステリのような、おどろおどろしい現象を好むことに因んでいる。


「疲れるだって? 何言ってんだよ、遊びの本番はまだこれからだよ。今から疲れてる場合じゃないね。それに、゛昨日のオイラ゛からのメモによればさ、これから行くのは山奥の洋館なんだろ? 森の洋館っていったらさ、どう考えたってどろどろした事件の香りプンプンじゃん。ワクワクするなあ!」

「あんたねぇ……。小説やマンガじゃあるまいし、山奥の別荘に行ったら必ず事件が起こるってわけないでしょ」

「そうかなあ……。オイラ、一応高校生探偵ってことになってるし、そんな奴が行ったら、事件発生確率100%だと思うけどな」

「はあ……? とにかく、少し落ち着きなさいよ! あーあ、別荘についた後のことが、本当、思いやられるわ。ゲッツとカーを足して2で割ったくらいの感じにならないものかしら」


 リムジンの広い後部座席で勝手に盛り上がる、火曜日の浩輔。

 向かいの席に座る浩輔の興奮ぶりに、肩をすくめた瑠奈。

 そんな二人を扇家の別荘へと運ぶのは、昨日、富貴の送り迎えをしていた運転手と別の、立花たちばなという名前の運転手だった。歳の頃は40代前半。

 二人が乗るリムジンも、それを操る運転手も、『扇家別荘専用』なのだ。


「それにしても、まさか子どもの頃に一緒に遊んでたあの富貴君が、こんなお金持ちの子になってるなんてね……。カーは憶えてる? 富貴君のこと」

「憶えてるに決まってるじゃん。馬鹿にすんなよ。オイラの好きな砂場遊びをよく一緒にやったもんさ。そういえばあのとき――」


 急に浩輔が押し黙った。

 その表情は苦しそうで、息が荒くなっている。


「ん? どうしたの?」

「あ、いや、なんでもない。なんか昔のこと思い出したらさ、胸のあたりがちょっと苦しくなっただけ」

「……大丈夫? それにしても富貴君、小学校に上がったと思ったらすぐに転校しちゃったでしょ。あの頃は確か、お母さんが数年前に離婚してシングルマザーだったと思うけど、再婚することになって引っ越したんでしょうね……。きっと、富貴君も慣れない環境で苦労したんだろうな」


 と、運転手の立花が、白手袋に包んだ手をきびきびと動かして運転しながらも、瑠奈の言葉を遮るようにしてそれに反論したのである。


「お言葉ですが、三瀬のお嬢さま。富貴とみたか坊ちゃんも冴子さえこ奥様も10年ほど前に家に入られてからというもの、ずっとお幸せそうですよ。なにせ、旦那様の貫太郎かんたろうさまは、本当にお優しい方なのです。再婚して家族に加われたお二人が、お屋敷で寂しいお気持ちになられないよう、本当に心をお砕きなさっているのが良く分かりましたから」


 立花の口調は静かだったが、その言葉にはずしりとして重みがあった。

 バックミラー越しに届く、立花の目も厳しめだ。

 それを見た瑠奈が、バックミラーに向かってぺこりと頭を下げる。


「そうですか。それは失礼しました。ところで立花さんは、扇家の運転手になって長いのですか?」

「お世話になって、かれこれ15年ほどになります」

「ではちょっと立ち入ったことをお聞きしたいのですが、富貴君のお父さんは初めての結婚だったのですか?」

「いえ、違います。貫太郎さまは、冴子奥様と再婚される2年ほど前に、前の奥様――純子すみこ奥様をご病気で亡くされております。そのときまだ5歳だった、『すず』お嬢様を残されて天国に旅立った純子奥様は、さぞかし無念であったでしょうね……」

「そうですか。不躾なことを聞いて、すみませんでした」

「いえ。扇家に仕える私めといたしましては、豊貴さまとすずさま、お二方と仲良くしてくださる方は、心から歓迎し、感謝する次第です」


 今度は、運転手の立花がぺこりと頭を下げる番だった。

 それに対して会釈を返した瑠奈だったが、向かいの浩輔がまったく今までの会話に興味を示さず、窓から見える街並みに夢中になっていることに、愕然とする。


「ちょっとぉ! あんたさっきから話を聞いてるの?」

「いや。オイラ、洋館のことで頭がいっぱいでさ、そっちの方はあまり関心がないんだ」

「大丈夫かしら……。この訪問、カーでは無理だったかも」


 それから約1時間後――。

 リムジンは都会の喧騒から離れ、人里離れた山奥を走っていた。


「ここからが、扇家の土地となります。10分ほど山道を走り、吊り橋を渡ったその先に、別荘がございますので、もう少しご辛抱ください」

「はあ」


 ドライブに飽きかけていた瑠奈が、気のない返事をした。

 しかし、それとは反対に、立花の話を聞いた浩輔が目をランランと輝かせ、はしゃぎだす。


「つ、吊り橋だってぇ!? 森の洋館に辿り着く前に架かる吊り橋なんてもう、『なにかが起こる確率1000%』じゃん! たまんないな、最高だよ!!」

「カー……。あんた、マンガか映画の見過ぎだよ、絶対」

「ふん、なんとでも言うがいいさ。でも、絶対に瑠奈よりオイラの方が現実派だよ。吊り橋に森の洋館と来ればだね――」

「わかった、わかった。もういいよ。とにかく、扇家の方々に゛そそう゛の無いように、頼むわね」

「あったりまえじゃん! 任せとけっ」


 山道に入ってからスピードを落としていた車の速度が、更に遅くなる。

 吊り橋に差し掛かったのだ。

 その幅は、ちょうど車一台分だった。片側通行らしい。


「うわあ、めっちゃこの吊り橋、高いよ。川底がよく見えないもん。車が落ちたら、ひとたまりもないねえ……」

「あんた、縁起でもないこと言うんじゃないわよ! す、すみません、立花さん。こいつ、バカなんで――」

「いえいえ、どうかお気になさらず。元気があってよろしいです」


 瑠奈もつられて橋の下を見る。

 思わず、くらくらして目をつむってしまう。再び目を開けたとき、リムジンは既に蔦の絡まる巨大な洋館の、玄関前に到着していた。

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