○1-1 月曜日(3)
放課後になった。
今日はたまたま瑠奈の属する剣道部の活動がなく、二人して帰宅の途に就く。
なにせ、家が隣り合わせなのだ。
どうやったって、帰る方向は一緒になる。
やや不機嫌にのらりくらりと歩く浩輔の横で、上機嫌に鼻歌交じりで歩いていた瑠奈。校門を出たところで、「あ、チョコアイスだ!」と叫んだ。
朝に見た、黒くて長い車が一台、私立海東学園の校門前に鎮座していたのだ。
「お帰りなさい、坊ちゃん」
そう言って車に向かう扇富貴を出迎えたのは、リムジンの運転手らしき中年の男だった。
その目の動きは、サングラスをかけているためにわからない。後部座席のドアを開け、扇家の子息に対して丁寧にお辞儀した。
「
「了解です、坊ちゃん」
「……まあ、いいです。それじゃあ、家までお願いしますね」
「かしこまりました」
スムーズな動きで走り出した、リムジン。
そこに乗り込んだ幼馴染を、二人が見送った。
「まあ、こっちはのんびりと歩いて帰るとしましょうか」
「……そうだな」
それから約20分、二人は言葉少なめだった。
瑠奈はわくわくとした気持ちで、浩輔はどんよりとした気持ちで明日の別荘訪問のことを想像しながら帰り道を進んでいたのである。
今は葉っぱだけとなってしまた桜並木に差し掛かった、そのときだった。
彼らの前方から、
その浩輔の左腕を取り、彼を起き上がらせようと助力しながら瑠奈が噛みついた。
「ちょっと、あぶないじゃないの!」
「はあ? あぶねえのはそっちだ。どこ見て歩いてやがる!」
結局その中年男性は、そんな捨てゼリフを残しただけで、倒れた相手をこれっぽっちも気遣うこともなしにそのまま去ってしまった。
残された歩行者側にとっては、たまったものではない。
「うわ、あのおじさんとんでもないね……。大丈夫、ゲッツ?」
「ああ、なんとかな」
そう言って立ち上がりかけた浩輔が、上目遣いに言う。
「それにしても、ぼーっとした瑠奈じゃなくて、このオレが自転車にぶつかるとは……」
「あん? それはどういう意味よ!」
「そういう意味だよ」
にやにやと笑いながら顎に手を当てた浩輔が、考える素振りを見せた。
しかし、そんなことなどお構いなし。
感情を害した瑠奈が浩輔を残してずかずかと歩き出した。肩をすくめた彼だったが、すぐさま彼女の後を追いかける。
それから、5分後のことだった。
浩輔が何度声を掛けても知らんぷりで答える気のない瑠奈、そんな二人の背後から、彼らを呼び止める声がした。
やや落ち着いた感じの女性の声だった。
「ちょっとあなたたち、いいかしら」
「はい……?」
二人が同時に振り返った。
すると、そこに立っていたのは、゛やり手゛と評判で有名な社長、
そんな人がどうしてここに――とばかりに、瑠奈を庇うようにして前に進み出た浩輔だったが、大江の強烈なオーラみたいなものに圧倒される。
なにせ、まさに女王様の風格なのだ。
真っ白くてすべすべした生地のスカートスーツに、金色に染まった巻き髪。年齢は50歳をとっくに超えているはずだが、その体型は若い頃から常に維持されているらしく、今でもどこかの雑誌のモデルのようにほっそりとしている。
「えーっと、何か……?」
「あなた、さっきこれを落としませんでした?」
「え?」
大江のすらりと伸びる指先とともに浩輔の目前に差し出されたのは、曜日ごとに記憶の入れ替わってしまう浩輔が次の日の自分のためにと毎日の出来事などを記録している、手帳サイズの『ノート』だった。
「これを――どこで?」
「この先の堤防沿いの道のあたりよ。辺りを見回したら、あなた方二人が見えたのでこうして追いかけてきたの。しかし、お若い方々は歩くのが早いですわね。追いつくのに、結構時間がかかってしまいましたもの」
と、浩輔と大江の会話に割り込んだのは、瑠奈だった。
「あら、そうでしたか。さっきコイツ、自転車に乗った乱暴なおじさんにぶつかったんです。そのとき、きっと落としたんだと思います。わざわざお届けいただいて、ありがとうございました」
ぶっきらぼうな物言いだったが、まるで浩輔の母のような口調がかえって可愛らしかったのか、大江が瑠奈に向かって微笑んだ。
「あら、そうでしたか。それじゃやっぱり、このノートはこちらさんの物だったのね。届けられてよかったわ。それでは、失礼」
柔らかい笑顔とともに浩輔にそのノートを手渡した大江は、すぐに踵を返し、その場から颯爽と去っていった。
「……
ぽつり、そう呟いた浩輔。
大江の、いかにも゛やり手ビジネスマン゛のような背中の伸びた後姿を、その神妙な目つきとともにずっと見続けている。それは、「ちょっとあんた、いつまで見てんのよ!」と瑠奈から小突かれるまで、続いたのであった。
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