増田朋美

今日も爽やかに晴れて、のんびりした日であった。なんだかいつまでもこんな日が続いてくれるような、そんな事を願わずにはいられない、そんな日であった。穏やかな日が続いてくれることは、良いことなのかもしれないが、同時にいつかまた大災害がやってくるのかと、不安も感じさせる。

そんな中、今日も小久保さんの小久保法律事務所では、一人の若い男性と、中年の女性が来訪していたのであった。

「はじめまして、梅津豊と申します。こちらは、母親で、梅津美佐江です。今日は、妻である、梅津ゆりの弁護をお願いに来ました。なんとか先生の力を貸してください。お願いします。」

梅津豊と名乗った男性と、梅津美佐江さんという女性は、丁寧に頭を下げる。

「はあ。はあ。ちょっとお待ち下さい。梅津ゆりさんの事は、報道で知りましたが、もっと有名な弁護士がついたのではないかと思っていました。それなのに、どうしてこんな田舎の法律事務所へ来られたんですか?」

小久保さんは、とても驚いて、そういうことを言った。確かに、犯人の梅津ゆりさんの事は、盛んに報道されているので、だいたい知っているが、まさか自分のところに弁護の依頼が来るとは、思ってもいなかった。

「すみません、ご迷惑でしたか?」

美佐江さんがそう言うと、

「いえ、そういうことではありません。ですが、この事件は、ワイドショーでも度々話題になった事件ですから、もう、優秀な弁護士がついているのではと思ったんですよ。」

小久保さんがそう言うと、豊さんはそうなんですが、といった。

「確かに何人も弁護士を用意しましたが、家内のふてぶてしい態度で、皆やめてしまうのです。しまいには、私の顔に泥を塗るのかと言った弁護士の先生もおられました。そういうことなら、有名な弁護士の先生にお願いするのではなく、地方の法律事務所に行ったほうが、良い結果になるのではないかと思いました。」

豊さんの話を聞いて、小久保さんは、そうだなあと少し考えて、

「じゃあ、事件の概要を、お二人の言葉で、話してください。」

と言った。

「はい、妻の梅津ゆりが、息子の梅津智也を何日も部屋に放置して餓死させたというものです。私は、ちょうど、どうしても外せない出張がありまして、一ヶ月ほど海外にいっていました。それなのに、帰ってきたら、智也が死んでいるなんて、こんなことになろうとは、思いもしませんでした。」

「私の力が足りなかったんです。ゆりさんをもう少し厳しく扱っていれば、智也は死ななくても良かったかもしれません。いくらなんでも、ゆりさんが、子育てが、面倒くさくなったと言った時は、そこにいたのはゆりさんではなくて、別の人物だったのではないかと疑いました。」

豊さんと美佐江さんは事件の概要を話した。男性は、事実を話すことに長けているが、女性はどうしても感情がはいってしまうのである。美佐江さんは、終わりの言葉を言おうとして、涙をこぼしていた。

「はい、その育児が面倒になったと供述しているというのは、ワイドショーでもよく取り上げられていましたので、私も知っています。梅津さん、感情的にならないでよく思い出してください。ゆりさんは、智也くんを出産してから、そういう育児放棄的な態度をとっていましたか?」

小久保さんがそう言うと、

「いえ、始めのことは、そんな事はありませんでした。ゆりさん、一生懸命やっていたと思います。智也くんが生まれてからは、ずっとそばについて、やれ熱があるとか、よく言ってましたから。ただ、ゆりさんは、あまり育児についての情報源には恵まれていなかったようです。もともとあまり外交的な性格でなかったのでしょうか。智也くんの育児については、ほとんど本を読んで情報を仕入れていました。なので私は、ゆりさんに、本ばかり読んでいないで、育児サークルとか、そういう場所に行って、みんなで話してきたらどうかとアドバイスしたりもしたんですが、決してそういうところには行きませんでした。」

と、美佐江さんが、しゃくりあげながら答えた。

「私も、ゆりがああしてしまった事は、責任があると思います。ですが、どうしても譲れない出張が、ここ最近続いてしまったので、ゆりは一人ぼっちになってしまったというところは悪かったなと思うのですが、でも、それでも、智也を放置して、死なせてしまったなんて、そんなこと。」

豊さんは、とても悔しそうに言った。

「ゆりさんの様子がおかしくなったのは、いつ頃からですか?」

と、小久保さんが聞くと、

「ええ、具体的な日付は、はっきりわからないんですが、豊が、先月から、海外に出張に行くと言い出したときに、私は、ゆりさんは激怒するのではないかと思いましたが、そのときは何も言わなかった事を記憶しています。確かその時、佐藤さんが見てくれているから、もういいわ、と発言したと思います。」

と、美佐江さんは答えた。

「佐藤さんというのは、誰のことなんでしょうね?」

と、小久保さんが聞くと、

「一応、保釈金はちゃんと払いましたので、今、ゆりは、精神科にいます。そのときに、精神科の先生に言われましたが、佐藤さんというのは、実在の人物ではなく、ゆりが勝手に作り出したのではないかと言われました。そういうところから、ゆりは、多分精神的におかしくなっていると思うんです。そうでなければ、育児が面倒くさくなったなんて、そんな無責任なセリフをいう必要はなかったと思うんです。少なくとも、私は夫としてそう思っています。」

豊さんは、家族らしくそう話した。

「そうですか。わかりました。では奥様は、犯行時に、精神疾患があったということも考えられるわけですね。そのあたりも調べてみる必要がありそうですが。」

「私からもお願いします。ゆりさんが、あんな発言をするなんて、どう見てもおかしなことなんです。これでは、ゆりさんは、極悪人ということになってしまう。少なくとも、私が見た中では、ゆりさんは、そのような事はありませんでした。確かに、私がもっと厳しく、ゆりさんに、しっかり育児をするように言い聞かせるべきだったかもしれませんが、それだからこそ私も、ゆりさんの刑を軽くしてもらうように、お願いしたいのです。」

美佐江さんが、また親らしいセリフを言った。

「わかりました。まずはじめに、ゆりさんが、どうして育児を放棄するようになったのか、を、調べてみましょう。もしかしたら、何か見えない理由があったのかもしれません。」

小久保さんは、美佐江さんをなだめるように言った。

「ありがとうございます。こんないい先生がいてくれて、ゆりさんも喜ぶのではないかと思います。」

美佐江さんは嬉しそうに言った。

「ゆりさんは、いま、話ができる状態なのでしょうか?」

小久保さんが聞くと、それが、と豊さんが言った。

「ええ、それが、今、何も刺激を与えては行けないということで、私達も面会できない事になっています。」

「そうですか。まあそれは、仕方ありませんね。日本の法律は、そうなっていますからね。それでは、事件が発覚したときのことについて伺います。智也くんがなくなった事を知った時、お二人はどこで何をしていましたか?」

小久保さんは、すぐに話題を変えて言った。できないことに、焦点を当ててもしょうがない。それよりもわかるところに目をつけたほうがいい。自分でもそう思うことにしている。

「私は、ちょうど、海外から、戻ってきて、自宅に帰ったときは、もう、彼女は、逮捕されていて、家は、警察が入っていました。それしか、言いようがありません。私は、ゆりが、そんな事を計画していたなんて、知りませんでした。ゆりは、育児に悩んでいたことも、何も言いませんでした。警察にも同じことを聞かれましたが、それしか答えられることはありません。」

豊さんは、答えられることを喋った。

「私も、ゆりが、佐藤さんと言う人に見てもらっていると言っていたので、誰か手伝い人でも雇ったのかなと勘違いしてました。ちょうど、私も、親戚でお葬式ができたりして、ゆりのことはかまってやれなかったので。ゆりが、まさか、私達が留守にしていた間、智也くんを亡き者にしようと思っていたなんて、、、。」

小久保さんは、この二人から、証言を取ることは難しいかなと思った。もしかしたら、家族よりも、それ以上に真実を知っている人物がいるかも知れない。事件というのは、そういうものである。家族よりも、赤の他人と言われる人物のほうが、事件のことについて知っていることが多いものだ。

「わかりました。では、ご依頼を引き受けることにいたしましょう。それでは、奥様が、話ができるように回復しましたら、本人と会って話をしてみることにします。非常に時間のかかる作業だと思いますが、気長に待っていてください。」

小久保さんがそう言うと、梅津豊さんも、梅津美佐江さんもありがとうございますと言って、頭を下げた。

それから、何日かたった。梅津ゆりの事件の事は、新たな事件や事故が起きてくれたおかげで、あまり報道されなくなった。それは良いのか悪いのかは不詳だが、小久保さんは、梅津ゆりのことについて、情報を得ようと調査を続けていた。その日は、梅津ゆりの、出身地である、富士市を訪れた。ゆりは、ここで生まれ育ったという。たしか、有名な進学校にも通っていたはずだ。そこの先生にも話を聞くことができたが、ゆりは、成績優秀で、誰にも手のかからない生徒だったので、特に記憶しているような事はないというのだ。教育機関なんてそんなものだ。優秀な生徒なんて、多すぎるくらい居るので、いちいち記憶していられないという理由もあるだろうが。小久保さんは、学校の先生に、ゆりの家族についても聞こうと思ったが、学校の先生はまるでそんな事は知らないとでも言いたげに、小久保さんを冷たい態度で自宅から、追い出してしまった。

やれやれ、こうなることは、弁護士としてなれている。本当は、ゆりさんから、犯行時の状態や、気持ちはどうだったかなどを、詳しく聞きたいが、現在もゆりさんは、隔離されたままで、話のできる状態ではなかった。公園で、証言をノートにまとめた小久保さんは、御殿場に帰ろうと、富士駅へ向かってあるき出したその時。

「おい、小久保さん。一体どうしたんだよ。また何か事件があって、それを調べてるの?」

と、いきなり声がして、後ろを振り向くと、杉ちゃんがいた。

「ええ。まあそういうことですよ。杉ちゃんもご存知でしょうけど、御殿場で、子供が餓死した事件の犯人を担当していまして。」

小久保さんは、杉ちゃんには、何でも話さないとだめだと言うことを知っていたので、要点を話した。

「そうなんだね。僕のうちにテレビがないから、初めて知ったよ。子供が餓死するなんて、ひどいことする親が居るもんだな。でも、その人だって、本当に初めから悪人だったんだろうか。そんな事ないと思うけど。」

と、杉ちゃんがいうので、小久保さんは、今まで調べてわかっていることを話した。優秀な生徒であったこと、なんでもできてしまうので、隣近所も彼女に関わろうとしなかったこと、梅津家に嫁いでからは、模範的なお嫁さんとして、何でも明るく振る舞っていた事。それなのになぜ、智也くんが生まれて状況が変わったのか。智也くんが生まれて、梅津ゆりが、おかしくなってしまった、ということだから。

「そうなんだねえ。僕としては、優等生過ぎて、肝心な事を学んで来なかったのかなと思うけど。それ以外に、子供を産んで豹変した理由でもあったのかな?」

杉ちゃんがそう言うと、スマートフォンがなった。ここを押すんだなと杉ちゃんは急いで、電話アプリを立ち上げた。

「はいはいもしもし。ああ、今小久保さんといっしょ。ああ、そうなのね。すぐ帰るよ。」

と、杉ちゃんはそう言って電話を切り、

「すまんがタクシー呼び出してくれないかな。タクシー番号読めないんだ。水穂さんにご飯を食べさせる時間になったので。」

と、小久保さんに言った。小久保さんも、わかりましたよ、とだけ言って、すぐに岳南タクシーに電話した。どうせ、法律事務所では、イソ弁のような人もいないし、自分ひとりだけだから、多少帰りが遅くなっても良いのだった。小久保さんは、杉ちゃんのタクシーの乗り降りを手伝った。杉ちゃんという人は歩けないので、タクシーに乗るというのも、そういう事をしないとできないということはよくわかっていたから。

二人は、タクシーに乗って製鉄所まで行った。製鉄所で杉ちゃんを下ろすと、水穂産と一緒になんか食べればと杉ちゃんに言われたので、小久保さんは付き合うことにした。自分は、どこかで外食するつもりだったから、杉ちゃんたちのご飯に預かれば、ある程度節約はできることになるのだった。とりあえず、製鉄所の建物に入らせてもらった。

四畳半に行くと、水穂さんは寝ていたが、杉ちゃんが今日は友だちを連れてきたというと、目を覚まして、布団に寝たまま挨拶した。

「そのままで良いんですよ。水穂さんもお体を大事にしてくださいね。」

と、小久保さんは水穂さんに言った。水穂さんは寝たままですみませんと返したが、そんな事言わなくていいと小久保さんは言った。

「ありがとうございます。それよりも小久保さん、何か事件を調べているのでしょうか。なんだか疲れていらっしゃるみたいだから。」

水穂さんにまでそう言われるのだから、自分もだいぶ年をとったものだと小久保さんは思った。

「いやあねえ。水穂さんも報道で知っていると思いますが、あの、生まれて数ヶ月の赤ちゃんを餓死させた、梅津ゆりという女性を担当していましてね。彼女の生い立ちや、その当たりの事を調べているんですが、どうも、彼女は優等生過ぎて、それ以外の情報は得られないのです。みんな、学校の成績が良いってことしか見ないんですかね。何か、梅津ゆりが、困った事をしでかしたとか、そういうエピソードはなかったのでしょうかね?」

小久保さんは、ハゲ頭をかじりながら、そういう事を言うと、

「梅津ゆりさんの事は、テレビでも盛んに報道されてましたけど、たしかに、優秀で、犯罪とは無縁の女性に見えたと、多くの人が言ってますよね。」

水穂さんは、小さい声で言った。

「ええ、そうなんです。私も、学校の先生などに聞きましたが、皆、彼女が赤ちゃんを殺害するような、心の闇を抱えているとは思えなかったと口を揃えて言っていました。なぜ、彼女は、周りの人にも、優等生でい続けたのでしょうか。そうなってしまった理由がよくわかりません。優等生過ぎて、何か得をしたことはあったんでしょうかね。」

小久保さんは大きなため息をついた。

「優等生で、誰も寄り付かなかったんでしょうね。彼女は何でもできるから、友達なんて要らないのではないかと、学校の関係者はそう言ってました。しかし、育児に関しては、面倒くさいと供述しているほどですから、こんな二面性のある人物は、なかなかいないと思います。そうなってしまった理由は、何かあったのでしょうか?」

「ええ。ゆりさんが、優等生過ぎた理由ですか?」

水穂さんは、小久保さんに言った。

「あると思います。」

小久保さんはすぐに手帳を出して、それを記録させてくれないかといった。水穂さんは、本人に確かめたわけではないので、と注意点を述べたが、こう切り出した。

「ゆりさんが、まだ、梅津家に嫁ぐ前、望月ゆりと名乗っていた頃です。彼女には、実は、お兄さんがいたんですよ。名前は確か、望月陽一郎さんだったと思います。一度、陽一郎さんが、お母さんと一緒に、僕のところにピアノレッスンに来たことがありました。陽一郎さんは、重い障害があって、余命は短いと言われていて、好きなだけピアノを弾かせてくれと、お母様がおっしゃっておられました。その傍らで、ゆりさんは、お兄さんがピアノレッスンを受けている間、一人でぬいぐるみで遊んでいました。そこが、えらく寂しそうだったから、よく覚えています。もう、10年異常前ですけど。陽一郎さんは、数年後に亡くなられたと聞きました。」

「そう、なんですか?」

と、小久保さんは、水穂さんに聞いた。

「確かに戸籍を調べてみれば、ゆりさんにお兄さんがいたことも調べられますね。そうか、そういうことがあったんですね。それが、ゆりさんの心に、棘として刺さっていたのでしょう。もしかしたら、智也くんを出産した事で、それが再度、ゆりさんをえぐったのかもしれません。」

「ええ、本当に些細なことだったのかもしれないですけど、お母様が、陽一郎さんの事ばかり目を向けて、ゆりさんには、何もかまっていなかったことも覚えてます。もしかしてゆりさんは、それで優等生すぎる人になったのではないでしょうか?」

水穂さんの証言は、重要だった。こういう事を小久保さんは聞きたかったのだ。みんなゆりさんは、偉い人、勉強も運動もできて幸せな人、そう証言してばかりなのだ。もし、そのまま順風満帆にいけば、ゆりさんは、今頃幸せになっていることができるはずなのだ。それなのに、智也くんの子育てが面倒になったという幼稚な考えに走っているのが、どうしても理解できない。優等生すぎる人なのに、そんな基本的な事を知らないなんて、と小久保さんは思っていたが、水穂さんの話で、ゆりさんに刺さっていた棘を見つけることができたと思った。

「そうだったんですね。水穂さん、ありがとうございます。あとは、彼女本人から直接話しをできるようになるのを、待つことですな。それは、医療関係者の方でないとできませんからね。その当たりは、辛抱強く待たせていただきましょう。」

小久保さんが、そう言うと、

「ええ。きっと、ゆりさんも、反省してくれていると思いますよ。」

水穂さんも、そう言った。それと同時に、

「ほらみんな!ご飯の時間だぜ。さあ、カレーを食べような!」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。小久保さんは、素直にカレーを食べられることを喜ぼうと思った。

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増田朋美 @masubuchi4996

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