第38話:好きな人の好きな人には好きな人がいる13


 神通久遠は紅蓮の寝顔を見ていた。


 ワンデイ。


 紅蓮の興味がどこかしら揺らいでいる気がするのだ。紅蓮はすやすやと眠っている。是空と八聖は神通の城で一泊してから帰った。残ったのは青春の残響。


 紅蓮は久遠の背中でビクビク怯える小動物だった。が、是空と八聖を家に招く暴挙を犯している。何が紅蓮をそうさせたのか。久遠には予想は出来ても理解は拒む。


 是空無明。


 八聖刹那。


 是空は烏丸茶人フリークではあるが久遠との距離の取り方が近い必然紅蓮との距離も近い。八聖の方はまさかとは思っているが紅蓮の持つアニマはこの際警鐘の鳴るところだろう。


「兄さんは私のモノなのに……」


 眠っている紅蓮の唇に自身の唇を重ねる。どうしようもなく好きだった。生まれたときから一緒に居て、自分に心を預けてきた愛しい人。本心から語れば首輪をつけてリードを握りたくもある。籠に閉じ込めて自分だけと関われば良い。そんな独占欲さえ持っている。


「兄さん……」


 銀色の髪。碧の双眸。自身と血を分けながら、人外なまでの男の娘。なお心を振るわせる精神の有り様。兄妹であることに負い目を感じたことはない。久遠にとって紅蓮への愛は人生の積み重ねであるため、


『むしろ一つ屋根の下で生まれただけ僥倖』


 などの結論に至る。生まれた座標と時間の遠大さを想起すれば冷や汗が出るのである。もし違う家に生まれれば。もし違う国に生まれれば。もし違う時に生まれれば。現実に影響を持たない空想ではあるが、戦慄の程は底深い。


「愛しています」


 それだけ。烏丸茶人……即ち小説家になったのは、偏に異性愛にして兄妹愛の暴走の結果だ。過程では無い。別段本の売れ行きは気にしないのだが、紅蓮と共に居るためには一種の力が必要でもある。そう云う意味では有意義なことなのだろう。


「兄さんが好き」


「兄さんしか愛せない」


「兄さんに抱かれたい」


「兄さんと結婚したい」


 兄さん。


 兄さん。


 兄さん。


 その想いの歪さは理解しているのだ。是正する気が無いだけで。断じて行えば鬼神も之を避く。それを地で行く乙女の妄念。


「兄さんには自分しかいない」


 と、


「自分には兄さんしかいない」


 は等価値なのだろうか?


 最近とみにそう思う。執筆部の創部。クラスメイトとの友誼。さらには自身と兄との逢瀬の城に異性を招く。天変地異とはこの事だろう。兄の世界が広がることを尊べない自分の気質に呆れが混ざる。


「いつまでも一緒に居られると思ってた」


 兄と妹が寄り添いあうことが永遠だと思っていた。この心情にて寿命なんていうソロバンは弾かれていない。無垢なる愛情と打算の慕情。逆説的にこれらの事が久遠をして紅蓮に依存しているかの証左でもある。


 先述したが何も虐められていた紅蓮が優しい妹に依存しているだけではないのだ。久遠の方も慰めることで紅蓮に心理的に依存していた。


 誇らしかった。


 兄さんの価値を見極めているのが自分だけだという希少性が。思春期に入ってから紅蓮に恋するにわかとは一線を画す。そして紅蓮の方も思春期の恋心の暴走にビクビクして久遠の背中に隠れる。ただそれだけで良かった。


「兄さん……」


 クチャッと音が跳ねる。紅蓮の唇を押しやり久遠の舌が紅蓮の口内を凌辱する。紅蓮は覚っていないが、久遠に色々と奪われてはいるのだ。ヤンデレ……には少しファールラインの角度にズレがあるが。


「いいですか兄さん……」


 すやすや眠っている紅蓮に久遠は言う。


「たとえ社会が……文明が……世界が……私たちを認めなくとも……私は兄さんを愛し続けますから……」


 宣戦布告。


 誰に対してか。


 それは久遠もわかってはいない。


 常識と律法がじわじわと久遠の禁じられた想いに真綿のヒモを絞めるように襲い来る。


「もしも兄さんが……」


 その先を予想しようとすると心が出血する。形而上的な痛みは呪いと為って形而下にも影響する。これは別に文学的表現では無い。実例となったケースがあるのだ。例えば丑の刻参りを受けた人間が、


「自分は呪われている」


 と自覚すると、釘を打たれた場所がジクジクと痛んで衰弱する。希有なケースではあれど、呪いの実体化に於ける一例でもある。


 結論。


 久遠の恋慕は呪詛だった。

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