第37話:好きな人の好きな人には好きな人がいる12


「で、今も鮮明に覚えてる。雨の日だ。帰りの傘を忘れた無明が言ったんだ。『八聖さん、車でしょ? 送ってよ』なんてな」


 空気の読めない是空らしかった。なおそんな言葉を再現する八聖の声の質がとても小気味よい。


「是空さんらしい話です」


「全くだ」


 お互いに笑う。


「で、それから友達に嫌われる無明と、友達の出来ない俺は連むようになった」


「微笑ましいです」


「世渡りが上手くないってのは案外心に来るぜ?」


「はい」


 それについての人生経験はむしろ紅蓮にこそ当てはまる事項だ。


「色々と是空と上手くやってきた。それが恋心に変わるのにあまり時間は要らなかった」


「当然だと思います」


 その声の真摯さは疑えようはずもない。


「で、結局どこまでいっても無明は無明だ」


「是空さんが何か?」


「俺が惚れてることに気づきもしない。空気の読めない悪癖だ」


「あー……」


 ありうる話ではある。


「オン・ソチリシュタ・ソワカ」


 どこまでこじらせれば気が済むのか。紅蓮は他に処方を知らない。


「女子に告白されたりは……」


「あるな」


「八聖さんは格好良いですから」


「うん。そうらしいんだが……」


 妙見。自然と紅蓮は読み取っていた。八聖に興味の無い是空の無頓着さと、八聖の惚れる女子の陽気さと、そにおける乖離性は中々難題だろう。ぶっちゃければ、


「俺が格好良いなら何で無明は惚れないんだ?」


 に終始する。


「他の女子と付き合おうとは?」


「ちょっと無理くさい」


 勝手な期待の無責任さは紅蓮も良くわかっている。八聖の血統で爽やかな美少年。あまりといえばあまりな美少女性を獲得している男の娘。どちらも思春期に於けるアイドル勘定の範疇だろう。


「一途なんですね」


 ぽやっと紅蓮は言った。


「悪いかよ?」


「むしろ好感触なんですけど」


 嘘では無い。


「で、話を戻すがお前は無明をどう思ってるんだ?」


「空気の読めないクラスメイト」


 ある種その気質には救われているが。


「惚れてないのか?」


「他に好きな人がいますから」


 朗らかに笑う。無味無臭の笑顔だ。


「お前の恋バナも聞かせてもらおうか」


「さほどでもありませんよ。名は明かしませんが純情で一途で恋に一生懸命な人です。打算の無さがこの際加点対象ですね」


「色々苦労してるんだな……お前」


「畏れ入ります」


 恐縮と表現するには不遜だ。


「ところで是空さんは処女ですか?」


「多分だが……」


 逆の可能性はあまり考えたくもないのだろう。


「ってことは……八聖さんは童貞……」


「悪いか」


 八聖の顔が赤らんだ。視線が厳しくなる。


「いえいえ」


 湯の中を進んで紅蓮は八聖に身を寄せる。


「では……僕で童貞を捨ててみますか?」


 精神的な興奮に引きずられる形で肉体的にも上気していた。


「童貞を捨てるって……お前……っ」


 澄み切って濁りない白銀の髪。エメラルドに例えて尚チープなほどの碧眼。加えて美少女と見紛う愛らしい顔と、触れれば折れてしまいそうな華奢な体。その表情は蠱惑的で、紅潮している顔は恥じらいと劣情をほどよくブレンドしていた。


「お前で……か……」


 八聖も惹かれて興奮する。血流が股間に集まり、心中の模様が良く主張されていた。


「病気の心配はありません。僕も処女ですので」


「そういう問題か……?」


「避妊の必要もありません」


「そりゃな」


 尤もではある。


「お前はどう思ってるんだ?」


「八聖さんには好意的ですよ?」


「…………」


 ムニッと八聖は紅蓮の両頬を掴んでブルドッグにする。


「むにゃ」


 呻く紅蓮。


「有り難いが……止めとくわ」


「他言はしませんが……」


「勿体ないことは承知してる」


 伸ばした紅蓮の頬から手を離す。プヨンと元の形に戻って美少女顔を再現する紅蓮。


「けど俺は無明が好きだから」


「是空さんも幸せですね……」


「色々と難儀な女ではあるがな」


 二人揃って嘆息。やはりこの場合も両者共に湯あたりによる疲労と受け取った。春のややこしさは此処にしても逸るらしい。駆け足の季節なのだろう。

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