第31話:好きな人の好きな人には好きな人がいる06
「諦めて貰いました」
苦笑。
「男に狙われてるのか……」
八聖にしてみれば通念の埒外だろう。
「可愛らしい顔だから」
是空がケラケラと笑う。
「ね? 兄さん?」
「兄さん?」
紅蓮よりむしろ八聖が穏当足り得なかった。
「今日は先生が居ないから私が紅蓮さんの妹になろうかなって」
やはりケラケラ。
「むぅ」
と不満そうに八聖が紅蓮を睨む。その稚拙さすら愛おしい。
「兄さん。お茶は飲まれますか?」
「いつから是空さんの兄になったのでしょう?」
「プレイの一環です」
「プレイ……」
さすがに是空は空気を読めていなかった。平然と紅蓮のパーソナルエリアに侵入してくるあたり心臓だろう。
「で、お茶は?」
「いただきます」
苦笑するより他は無い。八聖が微妙な表情で急須を持った是空を見やっている。その黒の視線が紅蓮に向けられる。
「教室ではいつもプレイをしているのか?」
小さな声だ。穏やかざる声質だった。
「そんなことはありませんよ」
もっとも紅蓮にしてみれば快い情景の一瞬ではあった。綺麗な物。澄み切った物。そう云った物は心に何かを訴える。八聖の紅蓮への複雑な心情は、紅蓮にしてみれば性欲の発露の触媒に相違ない。
「はい。兄さん」
湯飲みに茶を注いで目の前に置く。
「ありがとうございます」
中々に形容しがたい表情で謝辞を述べる。
「今は私が兄さんの妹ですから」
「多謝」
「いえいえ」
華やかに是空は笑った。地が良いため是空の破顔は破壊的だ。紅蓮や久遠に劣るとは云え、是空も立派な美少女には違いなかった。
「はい。刹那も」
湯飲みを置く。
「おう。ありがと」
恋慕と困惑と虚構感の三重奏。
「兄さん?」
「何でしょう」
この際の反論は精神を摩耗させるだけだ。紅蓮は早々に諦めた。
「先生が書いた小説がそーゆーことだとすると……」
「…………」
紅蓮は茶を飲む。
「もしかして主人公のモデルは紅蓮さん?」
「ええ」
「主人公の暖簾って名前も紅蓮からもじったの?」
「です」
基本的にブラコンは紅蓮と久遠の関係強化のための一手段だ。紅蓮にすれば複雑な心境だが当人は本気でその通りを望んでいる。
「何だかなぁ」
そんな気分。
「兄さんは格好良いですね……」
「あまり褒められた人間でもありませんけど」
さっきから八聖の視線が痛かった。もっとも是空は空気を読めないが。
「えへへ。何か照れるね」
爆弾発言。
「青春ですね」
回向教諭も微笑ましく紅蓮と是空を見やる。その腹の底と絡み合った人間関係についてはさほど理解もしていないだろう。
「さあ生暖簾兄さん! 妹を愛するのです!」
両手を開いて両腕を突き出し、求めるように是空が云うが、
「申し訳ありませんが……僕は暖簾ではありません……」
少しの痛みを呼ぶ声で紅蓮は辟易とする。状況の切迫はむしろ是空の方だ。久遠の耳に届いたら刺されるだろう。ブラコンというかグレニズムというか……ヤンデレに類似する精神性の持ち主。違う所があるとすれば凶行の責任と因子を愛する人間に押し付けることをせず、真っ当に罪を背負う気概を持っていることくらいか。
「……ううむ」
パラパラとブラコンを読む是空。
「駄目……兄さん……そんなこと……」
どんなこと?
聞くも怖いが、ブラコンのサービスシーンの朗読だ。兄への過剰とも言える恋慕の極致で練られた文章。それを朗読する美少女こと是空。場がカオスになりかける。
「何の本を読んでいらっしゃるので?」
回向教諭が場の沈静化を図る。
「ブラコンです」
「ブラコン……」
ブラザーコンプレックスの略称……ではない。意味合いとしては正しいが。是空が手に持った小説のカバーを見せる。
「無頼の根源は妹に在り……」
略してブラコンである。
「面白いんですか?」
「それはもう。数字に出ていますから」
その通りではあるが、烏丸茶人と神通久遠を結びつけるにはピースが足りない。まさか兄妹で恋愛模様を実現化させようとの久遠の恒久かつ遠大なブラザーコンプレックスの宿業についてまでは理解しない方が心の安寧に繋がる。
「是非とも読んでください。妹が欲しくなりますから」
「年齢的に難しいですね」
困った顔の回向教諭。
「名作ですので!」
その通りではあれど基本的にラノベへの理解は大人には難しい。
「本屋で買えるでしょうか?」
「新刊ならフェアで並べられているでしょうけど……一巻もきっと置いてますよ」
莫大な売れ行きを誇るモンスタータイトル。
「我が妹ながら恐ろしい」
とは茶を飲みながらの紅蓮の思いだった。
「オン・ソチリシュタ・ソワカ」
心中印を切る紅蓮。
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