第19話:烏丸茶人のブラコン09


「――――」


 第九を口ずさみながら是空は御機嫌だった。


 紅蓮は気が気ではない。


 人間不信。


 この状況に置いて他に言い表せる心理はない。思えば初めからそうだった。是空は紅蓮の定義するパーソナルエリアを軽く踏みにじる。気安く声をかけてブラコンについて語る。


「オン・ソチリシュタ・ソワカ」


 心中印を切る紅蓮。


 家は然程遠いわけでもないらしい。見送り役の紅蓮の方は安心できる。別の意味では然程でもないが。


「どうかした?」


 暗い顔をしていたのだろう。心配げに是空が碧眼を覗き込んでくる。


「いえ……何でもありません」


「本当にそうなら声も溌剌としようよ」


「いえ……その……」


 恐怖。ただそれだけ。


「もしかして……」


 是空の方も畏れ入ってた。


「もしかして私……嫌われてる?」


「それは……違います」


「ふぅん?」


 思案と研算の瞳。


「何かしら不備があるなら言ってね? 私、空気読めないから」


「その。気にならないんですか?」


「何が?」


「僕の張っているパーソナルエリアについて」


「あー……」


 伝えたいことは伝わったらしい。


「簡単に人のパーソナルエリアに踏み行っちゃうんだよね。私……」


 にゃはは。


 そう笑う。


「よく空気読めって言われる。おかげで友達が少ないんだ」


 苦笑。それにしては爽やかだが。


「けど紅蓮さんも懐に入れてくれるよね?」


「あう……」


 言われてみればそうだった。前提としては人間不信ではある。しかして顧みるに是空に応対しているのも事実。


「何か?」


 そんなことを思う。人が良いからか。声に悪意が無いからか。感情に下心が無いせいか。いくつか考えられはすれど、どれも正しいようで間違っている気もする。


「?」


 当人も分かってはいないらしい。しきりに首を傾げている。夜の空を眺めて、暖かくなった気温に触れ、フッと吐息。


「もしかして私に惚れちゃった?」


「さてどうでしょう」


 苦笑せざるを得なかった。仮にそうなら真っ当に戻ったも同然なのだが、生憎さほど底浅い業でもない。


「紅蓮さんは可愛いよね」


「自覚はしています」


「靴箱……大変でしょ?」


「それはまぁ」


 何も紅蓮に限った話ではないが。


「ラインしよう」


 とIDを付箋に書いてペタペタ貼ってくる人間数多。


「是空さんもそうなのでは?」


「ま、ね」


 苦々しく口をへの字に曲げた。


「紅蓮さんが女の子だったらなぁ」


「僕の不徳と致すところ……」


「その銀髪と碧眼って……?」


「ロシアのクォータですから」


 コレ故に虐められ、なお幻想を持たれる。


「私も少しドキドキしてきた」


 悪戯っぽく是空が笑った。


「ですか」


 紅蓮はやはり形而上的に距離を取る。それでも懐に入れている是空に対して、


「何者か?」


 の疑念も尽きはしないのだが。


「惚れているのでしょうか?」


 そう思うも、そもそも恋愛感情に対する思惑が不透明だ。


 紅蓮にとって人間とは、


「久遠とその他」


 である。最近は此処に、


「八聖刹那」


 が浮上してくるが、ソレについては諦めている。


「男でありながら男に惚れる」


 そんな衆道は悪夢としか思えない。けれども八聖の声は一々紅蓮の心を揺さぶる。


「性同一性障害?」


 そう思いはしても結果は否定で終結する。単純に女顔で女装癖があるだけ。生まれながら性転換する生物も居れば、あるいは環境因子によって性同一性を反転する症状もあるらしい。そういう意味では決めつけたものではなかろうが、基本的に紅蓮は、


「自分が異常」


 程度は認識している。シャツの上にジャケットを着ているが、下はスカートだ。パンツの代わりにスパッツを穿いている。それだけでも特殊性癖ではあるだろう。


「そういえば」


 と是空。


「紅蓮さんは私をどう思います?」


「空気の読めない同級生」


「にゃはは」


 軽く笑われた。


「ま、そうだよね」


 こちらも別の形で自認しているらしい。既に先述はしたが。


「先生にあれだけ慕われてるなんて果報者だよね」


「…………」


 妹ですけどね。


 それが言えない紅蓮でもある。


「紅蓮さん的にはどうなの?」


「ありがたい存在です」


 其処だけは譲れなかった。


「私も先生に兄さんって呼ばれたいです」


 生理論。


 その愛を受け止めるのがどういうことか?


「ですか」


 そこまで議論する気は紅蓮にもなかった。


「遊びに行っちゃ迷惑かな?」


 空気の読めない是空らしい言葉だった。


「次の休日は多分お出かけするからスケジュールが合うなら一緒しませんか?」


 そんな形でパーソナルエリアに迎える紅蓮。その感情の発端がどこからなのかを紅蓮自身も知りはしない。


「いいの?」


「ええ」


 それは紛れもなく紅蓮の本音だった。一応打算も無いではないが。


「空気読めないだけだったりは……」


「そうでしょうね」


 其処は別に否定のしようもない。

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