第10話:恋慕の目覚めは春と共に09
「えへへぇ。兄さん」
混浴。
紅蓮と久遠は兄妹愛甚だしく生まれたときから風呂を一緒にしていた。高校生になってまで混浴するのは倫理的に考えざるを得ないが、少なくとも一方は懸念していない。
「ふい」
丁寧に互いの体を洗って入浴。久遠が豊かな胸を紅蓮に押し付ける。何時ものことなのでコレはスルー。
「仕事の方はどうでしょう?」
「まぁまぁです」
「なにか問題が起きたのでは?」
「何とかなりました」
軽く言う。
「色々と私の性癖が漏れ出てしまったので……その修正を」
あまり面白い話になりそうもない。
「やっぱり兄さんを愛せるのは妹だけです」
「世界の真理ですね」
紅蓮も首肯せざるを得ない。
紅蓮の愛読しているライトノベル……ブラコン。正式名称を、
『無頼の根源は妹に在り』
と呼ばれる妹萌え作品のキャッチコピーにこうある。
「兄さんを好きになれるのは妹だけ! だって妹だけにしか兄さんは兄さんじゃないんですから!」
要するに兄を兄として愛せるのがブラコンのアドバンテージとのことだ。理屈が通っているのか破綻しているのかは議論の対象だが、字面は間違っていない。
実際問題、久遠の奇行はときおり紅蓮を疲労させるが、別にマイナス面ばかりを見ているわけでもない。真摯にして純愛。こと人間一人の器に収まっているとの意味では素朴な願いと言えなくも無い。それと十数年付き合っているため紅蓮も今更だが。
「兄さんは私が好きですよね?」
愛らしい瞳は憂鬱に揺れていた。当人も知ってはいるのだ。自身の気持ちと社会通念の斟酌に摩擦が起きていることくらいは。基本的に聡明であるため、ソロバンを弾く程度の打算はあってしかるべき。が、ままならないのも春の季節だろう。
「大丈夫ですよ」
紅蓮は久遠の頭部を抱きしめた。シルクのように滑らかな濡れ羽色の髪を梳く。絶世にして不世出。古今無双にして摩訶不思議。銀色を象徴する美貌の持ち主は黒色を象徴する可憐な妹を元気づける。
「仮に僕に好きな人が出来ても久遠と距離を取ったりしませんから」
「それじゃ駄目です」
「知っていますよ」
事実理解している。妙見。
「オン・ソチリシュタ・ソワカ」
印を切る紅蓮だった。
「一生独身でいてください」
「どうなんでしょう?」
紅蓮の妙見では未来までは把握できない。あくまで紅蓮が出来ることは久遠から距離を取らないなんて事に尽きるのだから。
「兄さんは久遠では駄目ですか?」
「とても愛らしいですよ」
そこに嘘はない。
「髪は艶やかだし肌はきめ細かい」
「あう」
「双眸に乗る光は僕を惹き付けますし御尊顔はミケランジェロでも再現出来ないでしょう」
久遠という有り得ない美少女に適した評価だ。紅蓮も久遠より愛らしい女性をちょっと知らない。あらゆる意味で奇蹟の造型で在り、血が繋がっていることにこそ運命を感じざるを得ないのだ。
先述したキャッチコピーを例に出すなら、
「妹を好きになれるのは相対的に兄だけ」
と云えるだろう。
「でしたら私と……」
「今は無理」
事実だ。
「兄さんの意地悪……」
「幻滅しましたか」
「愛しています」
「うん」
ギュッと抱きしめる腕に力込める。何故に邂逅したのか。何故に血が繋がっているのか。理屈は分かっていても紅蓮も久遠も提議せざるを得ない。
「兄さんの腕の中は温かいですね」
「風呂の温度じゃないでしょうか?」
「無粋です」
「知っていますよ」
苦笑。尖った久遠の声が愛らしい。ソレは紛れもなく兄の境地だ。口で何と牽制しようと、心で何を掣肘しようと、紅蓮にとって久遠は愛らしい妹であるのだから。
「久遠?」
「何ですか?」
「久遠は僕の味方ですよね?」
「はい。それだけは確約できます」
「虐めたりしませんよね?」
「それも同様に」
「よかった」
紅蓮の人間不信は致命的だ。
「久遠が紅蓮を人間にした」
それが事実である。紅蓮が社会的に爪弾きにされて尚……手を取って離さなかった世界にただ一人の貴重。そうであるがために紅蓮は紅蓮でいられたのだから。
別に世界を恨んでいるわけではない。怖ろしくはあるが、原因の根源を探れば、
「お前自身だろ」
とツッコまれることも自認している。けれども優しさを知らない霊長を人とは呼べない。そう云った理由も含めて究極的に久遠を引き離せない紅蓮であるのだから。
「兄さん。好きです」
「僕も久遠が好きですよ」
そこに齟齬はあっても、まったく噛み合わないわけでもない。少年の心はあまりに脆く、偏に砂上の楼閣だ。
「だから」
紅蓮はそう云う。
「きっと久遠を嫌いになれない」
基本的に紅蓮と久遠はそんな感じで回っている。
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