第9話:恋慕の目覚めは春と共に08


 放課後になる。


 今日の予定を消化し終え、紅蓮と久遠は図書館で授業の復習をしていた。中々小器用な兄妹なのであまり勉強に加味される『努力』を必要としないのだが、建前は成り立つ。


「では本音は?」


 との話になれば論理的帰結……是空と八聖についてだ。物理の授業の復習をしながら久遠がジト目になる。


「可愛かったですね」


「そりゃ久遠は今更ですけど……」


「私じゃありません」


「?」


「是空さんです」


「まぁそうですね」


 否定する要素もない。


「距離感近くありませんか?」


「色々とあるのでしょう」


 紅蓮は微笑を噛み殺すのに苦慮していた。妙見。声から感情を見通す。中々厄介な乙女心なのはまず間違いはなかった。


「仲良くしちゃいけませんよ?」


「何故です?」


「兄さんは私だけ見てくだされば良いんです」


「将来的展望を考えるとなぁ」


 道徳と事案のバランサー。紅蓮は久遠のことが大好きなのだが、それとこれとでは並行する条件でないことも理解はする。久遠が理解して尚極論に奔る理由も把握はしているし、止めようとは思っていない。元より紅蓮と久遠は二人だけで今まで上手くやってきたのだ。


「そこの方程式間違ってる」


 サクッと久遠に助言する。言われて気付き、即座に修正。数式を正常化させる。


「私と兄さんが別クラスなのが痛いですね……」


 主に心が。


「八聖さんはどう思います?」


 紅蓮のそんな提案。純粋な悪戯だ。


「興味ありません」


 突き抜けた御意見だった。さもあらんが。


「となると……」


 紅蓮は少し考え込む。大凡人間観察と呼ばれる紅蓮の能力は非凡だ。八聖はどう見ても是空に惚れている。その是空は多少なりとも久遠に憧れを持っている。先述したように久遠は紅蓮しか見えていない。結論。


「青春ですね」


 QED。


「誰がでしょう?」


「普遍的高校生の業として……です」


 そういう紅蓮も八聖の声を聞くだけで性的興奮を覚えるため、あまり対岸の火事と語る資格も無い。当たり前だが久遠に話すこともない。場合によっては殺傷沙汰に発展する。


 ヤンデレ……という概念があるが、これは久遠にも当てはまる。


 グレニズム。


 紅蓮原理主義過激派。


 紅蓮と一緒に居ることを何よりの至福とし、紅蓮に言い寄ってくる人間全てを否定するアイデンティティ。ほとんどレゾンデートルだ。


「久遠ですし」


 とは紅蓮の言。紅蓮も久遠に寄りかかっているため理解はともあれ想像程度は出来る。シャーペンを奔らせながら心の中で苦笑。軽やかな微笑みだった。少なくとも表情に出せば久遠が赤面するだろう程度には。


「私以外の女の子と仲良くしちゃ駄目ですよ?」


「善処します」


「…………」


 半眼で睨まれた。是空の間合いの取り方に危機感を覚えるのも必然。その上で是空の本音に気付いていないためややこしいことになっているのだろう。久遠のスマホが振動した。相手方の表示を見て顔をしかめさせる。チラリと紅蓮を見る。


「どうぞ」


 と紅蓮は手の平を見せて差し出した。通話。


「はぁ。どうも。こちらこそお世話になっております」


 基本的に公私混同は久遠の業だが、あくまで究極的にブラコンをこじらせているだけではあるため、それ以外では比較的真っ当だ。


「はぁ。はぁ。はぁ。あー、そこですか。サービスシーンのつもりだったんですけど……」


 概ね紅蓮は何を話しているか読み取れる。


 慣れたもの。


 そんな感じ。


「わかりました。修正しておきます。それから……いえ、何でもありません」


 紅蓮をチラリと見て話を収束に導く。


「折り返しかけ直しますのでその時に。では」


 そんな感じで通話が切れた。


「大変ですね」


「然程でもありませんよ」


 何事も無かったように久遠は物理の復習に戻った。


「兄さん?」


「はいはい」


「兄妹の摩擦熱が初動より経過に於いてエントロピーが高くなるときの方程式はどうなりますか?」


「警察に聞いてください」


 紅蓮には荷が勝ちすぎる問題だ。


「公務員に何を期待しろと?」


「犯罪抑止力は内的暴力機関、そのテーゼじゃありませんか?」


「では関わらなければいいだけですね」


「肉食系ですね」


 その解釈もどうかとは思われるが。


「速度を時間で割った加速度が乙女の恋心だとすれば……『t=一緒に居た時間』ではありませんか?」


「否定はしませんよ」


 久遠の恋慕は十二分に把握している。事実、紅蓮は久遠が居なければ人間として生きられなかった。


「ヘタレなだけですよね」


 とは自嘲だが、虚構でもない。自分を顧みる。黒いセーラー服で腰から下はスカートを纏っている。下着はスパッツだ。


 男の娘。


 可憐にして繚乱なのだからタチが悪い。


「ところで」


 概ねの復習が終わったところで久遠が紅蓮に尋ねた。


「夕餉のメニューは何にしましょう?」


「久遠の食べたい物」


「いやん。兄さんったら……」


 赤面して、


「やんやん」


 と恥ずかしがる久遠。一種の病気だが紅蓮には微笑ましい。


「ま、百貨繚乱の食材コーナーで献立を考えよう?」


 そういうことになった。

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