第11話:烏丸茶人のブラコン01


 スッと目が覚めた。

 目覚ましはかけていない。

 必要が無い。

 紅蓮にとっては。


「あー……」


 朝はまだ冷える。春爛漫ではあるが人間にとっては陽気さの中の冷気に冬の残滓を感じる今日この頃。


「兄さん」


 ルンと弾むような声。聞き慣れたソプラノ。久遠だ。


「自ら起きたんですね」


「えと、今日はたまたま」


 そう言って目を擦り、久遠を見る。


「…………」


 沈思黙考。


「何か?」


 久遠は平常運転だった。裸体からエプロン一つを身につけ、おたまと菜箸を両手に構えている。所謂一つの裸エプロン。


「僕以外には見せないでくださいね」


 紅蓮的には忠告のつもりだが、


「もちろんです」


 久遠は独占欲の発露と受け取った。


「オン・ソチリシュタ・ソワカ」


 真言を唱えてベッドから抜け出す。朝食が並べられていた。ご飯とハムエッグ……サラダと味噌汁。


「とりあえず服を着て」


「はぁい」


 珍しく物わかりの良い久遠であった。パジャマを着てダイニングに。二人揃って、


「いただきます」


 と一拍。贄に感謝して食事を取る。


「どうでしょう兄さん?」


「何時も通り……文句なく美味しいですよ」


 にゃは。


 そんな風に紅蓮は笑う。銀色の髪が乱反射し、紅蓮の美貌を引き立てる。殺人級の破壊力がその笑顔に上乗せされた。久遠にしてみれば致命的だ。


「そ、そうですか……」


 愛する兄の破顔は久遠にとってかけがえのない代物であり、こればっかりは何年経とうと摩耗しないのである。

 要するに、


「久遠が紅蓮をどれだけ好きか?」


 の証左でもある。紅蓮は笑顔に関して意図していないが、そこから逆算できる久遠の反応には聡い。


「愛されてるなぁ」


 嬉しいことではある。兄妹の正しい在り方でもあった。


「ご馳走様でした」


 そんな感じで朝食は終わる。身支度を調えて制服に着替える。紅蓮は男子だが毎度変わらず女子制服を着る。黒と白のツートンカラー。セーラー服だ。スパッツを穿いてスカートを纏う。銀色のセミロングをシュシュで纏めて姿見で確認。銀髪碧眼の美少女が鏡に映っていた。


「にゃは」


 笑んでしまう。紅蓮の悪癖だ。女の子として振る舞うことを心情とし、自身の美貌に自覚的であるため、女の子の格好をすることに躊躇いがない。むしろ愛らしく自分を着飾ることに情熱を燃やす。ツッコミの追いつかない領域だった。


「兄さん」


 弾むような声は久遠の物。


「何でしょう?」


 紅蓮は御機嫌だ。


「愛らしいです」


 久遠は率直に言った。お世辞でないのは紅蓮の妙見が教えてくれる。実際に久遠は紅蓮の美少女然とした姿をいたく愛しているのだ。自意識を確立してからコレまで。


 一切紅蓮の女装癖を責めたことの無い久遠である。


 小学校時代はその悪癖故に虐められていた紅蓮を支え、人間不信に陥った紅蓮に肯定の言葉をかける。事実紅蓮が可愛らしいことを我が事のように喜べる。兄妹としてどうかと思うが、二人にとっては一定の理がある。


「久遠も可愛いですよ」


「ふぇや」


 ボシュッと赤面。想い人から可愛いと言われて平然と出来るほど久遠は達観していない。


「何点ですか?」


「百二十点」


「何点満点で?」


「もちろん百点満点で」


 マックスを突き抜けていた。だが久遠が目見麗しいのは今に始まったことではなく、紅蓮にとって永い付き合いであるのに色褪せることがない。


「やっぱり私たちは可愛すぎますね」


「まったくまったく」


 この二人でなければ虚しい言葉だったろう。が、客観的に紅蓮も久遠も常識の埒外だ。今更ソレを否定しても誰も得しないため自認は当然の帰結だ。


「では参りましょう」


 久遠は晴れやかに笑って紅蓮の手を取った。


「えへへ」


 細やかな手の平を小さな手の平が握る。熱が移動して暖かみを共有する。そうこうして二人は妙見高校に登校した。衆人環視は二人に釘付けだ。ある種目立つ二人であるためこれはしょうがない。既に折り合い自体は着いてもいる。


 紅蓮は、


「他者が怖いです」


 と久遠の手を握り、久遠が、


「私が付いています」


 と紅蓮の手を握り返す。実際に久遠以上に紅蓮は恋慕の情を向けられていた。ロシアのクォータ……隔世遺伝の銀髪はあまりに目立つ。


 自身が可愛らしいことを存分に楽しんでいる紅蓮だが、他者の目は忌避の対象だ。


 ここに二律背反が発生するが、少なくとも紅蓮にとっての他者の理想は汚物と大差が無い。擦り付けられることこそいい迷惑と言えた。


「大丈夫ですよ」


 久遠も妙見ほどでは無いが紅蓮の心境を察する。


「私がいますから」


 何時ものこと。


「兄さんの隣は私の指定席」


 その通りに行動する。紅蓮の他者への恐怖はイコールで紅蓮の心の独占でもある。しっかりと手を握って離さない。そして登校し、昇降口へ。


「あう」


「あぁ」


 二人は辟易した。神通兄妹とお近づきになりたい生徒多数。そのため紅蓮と久遠の靴箱にはラインIDを記した付箋がペタペタと貼ってあった。無論そんなものに付き合うほど紅蓮と久遠の度量は深くも広くもないが。全てを剥がしてゴミ箱へ。二人揃って廊下を歩く。教室が違うためどうしても別れの時は来る。


「何かあったら私を頼ってくださいね?」


 久遠は紅蓮の心をこそ心配していた。


「ありがとうございます」


 紅蓮もまたソレを知っているため少しだけの勇気になった。仲良きことは美しき。

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