10   繊細なお嬢様   2

 ☆

 ミルメールは翌日、学校を休んだ。


 ルース王子とお弁当を食べるのは楽しみだけれど、マヤを抱きしめたルース王子を想像すると、また嫉妬をしそうで、夜中中迷った末に、学校を休むという選択をした。



「ミルメール、まだ腰が痛むのか?」


「大丈夫ですわ。少し休めば良くなります」


「父が無理矢理学校へ行かせて悪化したのではあるまいな?」


「本当に平気ですわ。お父様は、今日は議会があるのでしょう?もう行かなければ遅れてしまうわ」


「父のことを心配してくれるのか?優しい娘だ。今日はゆっくり休んでいなさい」


「はい。行ってらっしゃいませ、お父様」



 手を振り父を見送って、ミルメールはリビングのソファーに座った。



「ミルメール、お医者様を呼びましょうか?腰が痛いのであれば、ベッドで休んだ方がいいわ」


「お母様、お医者様はいりません」


「それならお茶を飲んだら、少し休んでいらっしゃいな。無理をすると長引きますよ」


「ええ、今日はゆっくり休ませていただきます」



 侍女がお茶を淹れてくれる。



「お母様は、お茶会でしたね?」


「ミルメールの具合が悪いのなら、お茶会はお休みしますわ。ほんの付き合いですもの」


「わたしに構わず、どうぞお出かけくださいな。せっかく新しいドレスを新調したのですもの。素敵なドレスで、お出かけするのは、きっと楽しいわ」


「ミルメールにも新しいドレスを作ってあげましょう。この間の舞踏会では散々でしたから、しっかり体を治して、また舞踏会に出られるように素敵なドレスを作りましょう」


「舞踏会はもう出たくないの。もうあんな恥ずかしい思いはしたくないの」


「まあ、なんて可哀想なんでしょう。次のパーティーの時は、一緒に行きましょうね。ミルメールは美しいし、ダンスも上手なのに、殿方は見る目がないのね?」


「わたし、一生独身でもいいの。パーティーはもう行かないわ」


「……ミルメール」


「……お部屋で休んでいますわ。お母様行ってらっしゃいませ」



 ミルメールはソファーからゆっくり立ち上がると、ゆっくりリビングから出て行く。



「グルナ、ミルメールをお願いね。あの子、グルナには心を開いているようなので」


「畏まりました。お嬢様のことは、どうぞお任せください」



 グルナはすぐにミルメールの傍らに寄って、手を引く。


 ゆっくり階段を上って、グルナはミルメールの部屋の扉を開くと、ミルメールはそのまま部屋のソファーに横になった。



「お嬢様、眠るならばベッドがいいでしょう?」


「……元は言えば、そばかすが悪いのよ。醜い顔が悪いのよ」



 ミルメールは突然立ち上がって、ドレッサーの前に座ると、白粉を出して、顔に塗りだした。顔を真っ白にすると、やっと気持ちが落ちついたのか白粉を片付けた。


 力が抜けたように、ソファーに倒れるように横になった。



「お嬢様、どうぞベッドに横になってください」


「グルナが連れて行って」


「むやみに男性に肌を触れさせてはいけませんよ」


「グルナはわたしに何かするつもりなの?」


「いいえ、いたしません」


「……それなら、お願い」



 グルナはミルメールに近づくと、そっと抱き上げた。


 ミルメールの手が抱きついてくる。触れる体温が熱い。発熱しているのか?


 白粉の上を涙が流れていく。涙が流れた後は、白粉が取れてしまっている。


 グルナはミルメールをベッドに寝かせると、額に触れた。


 やはり熱い。



「お嬢様、どこか具合が悪いのではありませんか?」


「……腰と頭が痛いわ」


「メアリー、お嬢様が発熱している。体温計と氷を持って来てくれ」


「畏まりました」



 廊下で控えていた侍女が、走って行った。



「お嬢様、腰はいつから痛いのですか?」


「自宅戻ってからも、まだ治ってないわ」


「何故、言わなかったですか?」


「毎日、お花が届けられるのが苦痛だったのよ」



 グルナはどうしたものか、考えた。


 美しい容姿をしているのに、自分では醜いと思い込んでいる令嬢は、なかなか頑固だ。


 昨日のお昼は、王子に笑顔を見せたのに、マヤという同級生を救ってから、様子が変になってしまった。いったい何を話していたのだろう?グルナはミルメールから離れたことを悔やんだ。


 ミルメールは意識を失うように眠ってしまった。


 侍女が、ミルメールの白粉の塗られた顔を丁寧に拭っている。



 ☆

 妹と同じペリドットの瞳と薄茶の髪が、妹がそこにいるような気持ちにさせる。


 これほど繊細な心を持っているならば、すぐに壊れてしまいそうだ。人間は元々短命だ。


 この子の魂と契約すれば、ミルメールはグルナが生きている限り生きていられる。


 だが、ミルメールは永遠のような時間を望むだろうか?


 顔にできたそばかすは、本人が気にするほど酷くもない。色素の薄い肌をしているから、少し目立つだけだ。グルナにはそばかすを消す魔法は使えない。きっと魔族の中を探しても、そばかすを消せる者はいないだろう。


 他人から見たら、大した事でもないのに、本人にしてみたら、深刻な悩みなのだろう。


 永遠の時間、そばかすを気にして生きて行かせるのは拷問だろう。


 グルナは眠るミルメールを見つめながら、どうしたら救えるだろうと考える。


 最初は面白そうだと思ったが、ミルメールと過ごすうちに、他人事ではなくなった。


 まるで妹が苦しんでいるように見えてしまう。


 グルナは死神手帳をもう持ってはいないから、ミルメールの寿命は分からない。


 侍女が熱を測って、首を振る。


 まだ熱は下がっていないのだろう。



「氷を持ってきます」



 グルナは頷いた。


 侍女が戻ってきたとき、ルース王子がそこにいた。


 グルナは椅子から立ち上がって、廊下に出た。



「一緒にお弁当を食べたかったのに、学校にいないから。先生に聞いたらお休みだと聞いて……」


「見ての通り、発熱をして眠っていらっしゃいます。腰が痛いのを我慢していたようで、この発熱が腰から来ているのか、ただの風邪なのか分かりません」


「そんな……僕はまだ許されていないのに」


「お花を贈るのは遠慮願います。お花をもらうのがストレスになって、我慢して通学を始めたようなので」


「僕のせいなのか?」


「年頃の女の子は、容姿を貶されたり笑われたりしますと、ずっと心を傷めてしまいます。僭越ながら、王子はミルメールお嬢様を初対面で笑い、貶されておられました。ミルメールお嬢様は、そばかすにコンプレックスをお持ちなのです。そばかすを隠すために真っ白く顔を塗ってしまったのです。汚い顔とまで言われたお嬢様の心中を、どうかお察しください。倒れる前も、顔を真っ白に塗っておられました。王子様がファーストダンスを踊った令嬢は、ミルメールお嬢様が虐められている所をいつも助けていた令嬢です。その令嬢にまで嗤われて、ミルメールお嬢様は心を傷めておいででした。ルース王子様は、そんなミルメールお嬢様をお助けできるのですか?いたずらに傷つけるならば、近づかないでいただきたい。これはミルメールお嬢様仕える従者としての意見でございます」


「必ず助けるつもりだ」



 ルース王子は真剣な眼差しで、グルナを見た。



「でしたら、少しだけ面会させましょう」



 グルナは扉を静かに開けると、ルース王子を部屋に入れた。


 ルース王子は、静かにミルメールに近づいていく。


 涙で濡れた寝顔を見て、息を飲んだ。


 この姿を見て、ショックを受けないはずがない。


 眠りながらも、涙を流している。


 色素の薄い肌が、更に青白くなり、シーツに溶けてしまいそうだ。


 ルース王子は拳を固めた。


 軽い気持ちで笑っただけだった。思った事を口に出しただけだった。心のままに行動しただけだった。その結果、美しい少女の心を傷つけていたなんて、思ってもいなかった。


 昨日は笑顔を見せてくれたのに、あれから何があって、ここまで弱ってしまったのだろう?


 ルース王子は、必死に考えた。


 ファーストダンスの相手は、ダンスが下手だった。足も踏まれたし、自分のドレスも踏んで、抱きつくように倒れてきたから抱き留めた。後で、兄上に「大胆に抱き合っていたね」と笑われた。彼女のドレスが葡萄ジュースで汚れていたから、特別に用意されていたドレスを渡した。本来なら、見初めて、婚約を申し込むために用意されたドレスだった。


 父王に「あの娘に決めたのか?」と、どこか怒った顔で呆れられた。


 全部ミスだった。


 散々笑った女の子が、部屋にいると言われて好奇心で見に行った。その瞬間、電撃が走った。この子しかいないと思った。


 ずっと顔を見せてくれなかった女の子。


 心を傷つけていたから、顔を見せてくれなかったんだ。話をしたのも、ほんのわずかだ。


 ルース王子は、ここまで人を傷つけたことはなかったし、こんなに繊細な心を持つ少女に出会った事がなかったから、気付かなかった。


 手を伸ばし、涙を拭ってあげようとした手を握られた。



「面会は終わりです。触れてはなりません」



 グルナは王子相手でも怯まなかった。


 その手を引っ張り、部屋の外に出た。



「見ての通りです。王子だから許される事ではありません。人として優しくなっていただきたい」


「……わかった」


「今日はお帰りください」


「……わかった」



 ルース王子は階段を降りて帰って行った。




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