第6話   タキシードの秘密

 ☆

 あっという間に、アンジュは1歳を迎えた。


 歩くこともできて、良くおしゃべりをするし、断乳も済んで食事も食べられるようになった。アリエーテが言うように、アンジュは賢い子だった。


 治癒魔法の歌は完璧に覚えて、2種類歌える。


 アリエーテが根気よく教えたのだろう。愛らしい声で、歌を歌う。


 まだ魔術の目覚めはないが、治癒魔法は完璧だ。


「1番の歌、2番の歌」と教えたようだ。


 1番の歌はこの魔界でアリエーテしかできない炎症を治す歌だ。2番の歌は、怪我を治す歌だ。


 実際にアンジュが転んだ時に、アリエーテが治癒魔法で怪我を治し、痛みも取って見せた。


 レオンも一緒に歌おうとしても、この歌はなかなか難しかった。


 呪文のような言葉が歌になっている。


 アリエーテが書き記した文字を追って歌えば、一緒に歌えるが、その歌い方で効果があるのかは分からない。


 親子だから似ているのか、アンジュはアリエーテが気に入ったドラゴンを見せに連れて行けとせがむ。レオンは二人を連れて、ドラゴンをよく見に行った。


 レオンの魔力に怯えて、ドラゴンはいつもおとなしくしてくれるが、本来は獰猛な動物だ。訓練されているから調教師と担当の騎士の言うことは聞くが、他の者の言うことは聞かない。



「ドラゴンさん、おおきなつばさ、かっこいいね。アンジュ、おおきくなったらドラゴンさんとけっこんしよ」



 アンジュの言葉にレオンはショックを受ける。



「パパじゃなくて、ドラゴンさんなのか?」


「パパにはママがいるでしょ?」



 分かって言っているのか、分からないが、真面目な顔でアンジュはそう言う。



「ママはパパの宝物なんだ」


「たからものー」



 興奮したアンジュがたったったとドラゴンの柵の中に入ってしまった。



「アンジュ、戻って来て」


「イヤー、ママ」


「アンジュ、そこで動かないで待っていなさい」


「ぶう?」


「アリエーテ、見ていてくれ。調教師を呼んでくる。


「お願いします」



 レオンの姿が消えた。


 アンジュは無邪気にドラゴンに抱きついていく。



「アンジュ駄目よ。動かないで」


「ドラゴンさん」



 ドラゴンは驚いたのか大きな翼を広げた。長い尾が振り回された。このままでは、長い尾がアンジュに向けてぶつかる。


 娘の死など見たくはない。アリエーテは反射的に柵の中に入りアンジュの体を抱きしめた。その瞬間、太く大きなドラゴンの尾が、アリエーテの頭に当たり、アリエーテの体はアンジュを抱きしめたまま飛ばされて、頑丈な建物の柱で頭を打ち付けた。


 この子だけは手放してはいけないという気持ちだけで、腕に強く抱きしめたままアリエーテは意識を失った。



 ☆

「……アリエーテ」



 倒れるアリエーテを見て、レオンはその場で膝を折った。


 調教師達が興奮したドラゴンを落ちつかせ、やっと中に入れるようになった。



「お連れしましょうか?」



 騎士はレオンの様子を見て、声をかけた。



「パパ」



 アリエーテの腕の中で我が子が声を上げた。



「ママ」



 アリエーテは意識がない。


 レオンは立ち上がると、柵の中に入っていった。

 

しっかり抱きしめられた娘をアリエーテの腕から抱き上げる。



「娘を抱いていてくれますか?」


「はい」



 調教師にアンジュを預けた。


 レオンはアリエーテの全身を見ていく。骨折はないが、頭の中で出血を起こしている。それも表面ではなく深部だ。



「……嘘だ。アリエーテ」



 すぐに手当てをしなくては、命に関わる。


 レオンはアリエーテを抱き上げた。



「すぐに屋敷へ。娘を連れて来てくれ」


「はい」



 レオンはアリエーテの部屋に急いだ。調教師はレオンの後を追い、瞬間移動でアリエーテの部屋に入った。


 モリーとメリーが吃驚している。


 二人を脅かせないように、いつもは扉の外でいったん止まり。扉をノックするようにしていた。でも、今は、そんな心遣いができる状態ではなかった。



「モリーとメリー、アンジュを頼む」



 ポンと現れた騎士に抱かれたアンジュが泣き出した。


 モリーが騎士からアンジュを受け取る。



「ママ、ママ」


「奥様は?」


「危険な状態だ。フルスを呼んで父に手伝って欲しいと伝えて欲しい」


「畏まりました」



 メリーが慌てて、部屋から出て行った。



 ☆

 アリエーテを寝室のベッドに寝かせて、長い髪をゴムで結び患部を晒した。


 ただ無心になれと自分に言い聞かす。


 すぐに父がやって来た。



「どうした?」


「脳出血を起こしている。ドラゴンの尾に飛ばされて、頭を打ったらしい」


「どうして、そんな危険な場所に」


「アンジュもアリエーテも喜ぶから」


「今はいい。処置を行おう」


「ああ」

「出血点は2カ所か?」


「ああ、1カ所は頭蓋骨に穴を開けて、チューブで外に出す」


「それで2つ目はどうする?」


「どうしたらいい?」



 2つ目の出血は深い場所にある。


 簡単に手出しができない場所だ。



「わしなら血腫を取り除く。魔術で切開して」


「失敗したら死ぬか、一生目を覚まさない」



 レオンは蒼白な顔をしている。



「しっかりしろ、今、しなければ、死なせてしまうぞ」



 父に頬を打たれた。


 その痛みが、現実に戻してくれる。



「すまない。父上」


「目が覚めたか?」


「ああ」


「血腫はレオンが取り除け。浅い場所の出血をわしが抜く」


「ああ」



 レオンは魔術を使い、血腫を転移させる。切開するには深すぎるし、後遺症を残してしまう。足元に置いたバケツに血が溜まっていく。魔術で血管を縫い合わせ、出血を止める。溢れてくる血は、溜まる度に外に転移させていく。


 父の方の手術は、終えたようだ。


 用意したチューブから血が流れている。


 脳が腫れてきている。やはり開頭手術をしなければ、ならないのか?


 レオンは悩んでいた。


 その時、部屋の外からアンジュの声がした。


 1番の歌を歌っている。何度も何度も繰り返して歌っている。


 頭の中の腫れが引いてきた。


 いいぞ、もっと歌ってくれ。


 モリーとメリーも一緒に歌っているようだ。


 二人の侍女に誘われるように、アンジュは歌を歌い続けている。


 出血は止まった。腫れも引いてきている。



「父上、どうでしょうか?」


「わしにできない手術だったが、出血も止まったな。腫れもそれほどでもない。後はアリエーテの生命力だろう」


「ありがとうございます」


「わしはちょっと手伝っただけだ」


「おもてなしはできませんが、休んで行ってください」


「いや、あの歌は何だ?」


「アリエーテがアンジュに教えた治癒魔法です」


「そうか、娘に伝授した歌で、今、治療されているのだな?」


「おそらく。脳の腫れが引いてきています」


「邪魔したら悪い。わしはこのまま帰るが、何かあれば、呼びなさい」


「はい、お願いします」



 父はぱっと消えた。


 レオンはアリエーテの体をスキャンしていく。他に怪我はないか、隅々までチェックする。体の打撲部分の痛みを取り除いた。


 そうして、アンジュと一緒に覚えたての治癒魔法の歌を歌う。


 しばらくして、アンジュの声が聞こえなくなった。


 扉を透視すると、モリーに抱かれて眠っている。


 疲れたのだろう。


 アリエーテの口に指を入れて、魔術で指を切り魔王の血を与えた。グラス一杯もいらないだろう。



 ☆

「ママはどこ?」


「ママは寝ているよ」



 アンジュは寝室に入って、アリエーテが眠る姿を見て、頭に巻かれた包帯に気付いた。



「ママを治すからね」



 そう言うと、アンジュはベッドによじ登り、頭に小さな手を当てて、また歌を歌い出す。


 本能的に母親が危険だと分かるのだろう。


 意志の強さは母親譲りなのだろう。


 疲れるとアリエーテの横で眠り、起きるとまた歌い出す。


 アリエーテの頭の中をスキャンすると、アンジュの執念なのか脳は出血もなく、腫れも更に引いた。


 これで意識が戻ればいいが。


 アンジュは食事と睡眠と入浴以外を寝室で過ごすようになった。


 絶えず歌を歌っている。


 それでもアリエーテの意識は目覚めない。


 アンジュが眠ると、アンジュに近づき、布団を掛けやる。


 もう必要のなくなった、頭の中に挿入したチューブを抜いて、魔術で開けた穴と傷口を塞いだ。



「アリエーテ、そろそろ起きないか?」



 レオンもアリエーテが書き記したノートを見ながら、ひと文字も間違えず歌を歌う。


 ノートを見なくても歌えるようになったが、もしかしたら呪文が違うのではないのかと不安に思った。


 指に傷を付けて、アリエーテの口の中に指を入れて、血を飲ます。


 わずかな量で足りるはずだ。自分も寝込むわけにはいかない。


 アリエーテの血色がよくなった。


 どうか目覚めますようにと願いを込めて、歌を歌う。



 ☆

 アリエーテは舞踏会が苦手だった。


 極度の人見知りで、挨拶をして歩くのも苦手だった。美しいドレスは好きだけれど、ダンスは苦手だった。


 男性にダンスを誘われると、恐ろしくて泣き出してしまいそうだった。


 そんなアリエーテが、一人の男性を見て、心がときめいた。


 黒い漆黒タキシードを身につけた姿が、とても似合っていた。漆黒の髪に、顔立ちも優しげで、あの方だったらダンスを踊ってみたい。


 初めて彼の姿を見たのは12歳の頃だった。


 声すらかけられずに、ただ姿を追うだけだった。


 その日から舞踏会が好きになった。必ず彼も来ている。けれど、彼は誰ともダンスを踊らない。女性に興味がないのかもしれないと思ったけれど、アリエーテは彼から目を離せない。


 彼はアリエーテの存在すら気付いていないようだった。


 儚い花のようだと自分を思った。


 まだ幼いし、姉のように美しくもない。


 アリエーテは姉のように堂々とダンスを踊れるようになりたいと思った。姉は社交的で、よくお茶会にも参加したり、自宅でも友人を招いたりしてお茶会をしていた。


 そんな姉が魔王になるお方と婚約した。


 アリエーテは顔合わせの席で、片思いのお方と対面した。


 彼は初めてアリエーテに笑顔を見せてくれた。


 バルコニーに誘われて、初めて二人で話をした。



「いつもパーティーに来ていたね」


「気付いていらっしゃったのですか?」


「もちろん。毎回熱い眼差しを向けられていて、気付かないわけがない」


「でも、お声をかけられたことは一度もないわ」


「俺は人見知りでね。特に女性と話をするきっかけを作るのが苦手なんだ」


「わたしと同じね」



 彼は魔王になるお方の双子の弟だと言った。


 それから、彼は舞踏会でダンスを誘ってくれるようになった。


 姉の結婚式の時も、一緒にダンスを踊った。


 タキシード姿がとても似合っていた。だから、アリエーテは、彼に、その事を話した。



「タキシード姿がとても素敵です。とてもお似合いになって。いつも目を奪われてしまうの」


「そうか、そんなに気に入ったのなら、アリエーテ会うときは、いつもタキシード着よう」



 その日から、彼は本当にアリエーテに会うときは、タキシードを身につけていた。


 結婚式の翌日はアリエーテの13歳の誕生日だった。その誕生日の日に、結婚して欲しいと言われた。


 アリエーテは嬉しかった。



「16歳になったら式を挙げよう」


「はい」



 16歳まで、まだ3年もあると思うと果てしなく遠く感じる。


 どうして自分はまだ13歳なのだろうと思った。


 それでも彼といると幸せだった。


 恥ずかしくて、手を継ぐのに1年かかった。手を繋いでデートをした。アリエーテの好きな薔薇園で、何時間も薔薇を見ていた。


 初めてキスしたのも薔薇園だった。


 美しい香りに包まれて、彼は約束通りタキシードを着ていた。



「とてもタキシードが似合うわ」



 彼はとても美丈夫だった。顔立ちも良く背も高い。


 相応しいレディーにならなくてはと思った。


 たくさんの家庭教師がアリエーテに付けられていた。


 その中で、一人だけ男性の家庭教師がいた。躾の家庭教師で、いつも手に棒を持っていた。


 間違いを犯す度に掌を真っ赤になるまで叩かれた。


 アリエーテは必死に泣き出すのを堪えていた。


 その事を彼に話した。


 とても怖くて、とても痛くて、とても辛いと、心のままに彼に助けを求めた。


 彼はすぐに、両親に話してくれた。


 程なくして、その家庭教師はアリエーテの先生ではなくなった。


 それなのに、先生だったその男はアリエーテに何度も会いに来る。


 何度も面会を断った。「これが最後にするから、どうしても会って話がしたい」と16歳の誕生日の前に懇願された。


 これが最後ならば、会って終わらせようと思った。だから、元家庭教師を家の応接室に招いた。



「ご用は何でしょうか?」


「その後、きちんと上達しているか心配でね」


「きちんとしております。新しい先生も来てくださいます」


「もう別の誰かに乗り換えたのか?」


「言われている意味が分かりません」


「君の事が好きでね。手を叩かれるときに涙を堪えている顔が溜まらなく好きなんだ」



 そう言うと、アリエーテを押し倒し、光る刃を胸に突き立てた。


 チクリと痛みが、恐怖と共に駆け抜ける。



「助けて」


「誰かのものになるなら、ここで奪ってやろう」



 キリキリと刃が肌を貫く。



「レオン、助けて、レオン!助けて、レオン!」



 ☆

「助けて、レオン!」



 アリエーテは叫んでいた。



「アリエーテ、大丈夫だ。どうした?」



 うつらうつらしていたレオンは、アリエーテの叫び声で目を覚ました。


 アリエーテは泣きながら、レオンにしがみついてきた。



「助けて」


「もう大丈夫だ」


「刃が胸を貫いてしまう」


「夢を見ていたのか?」



 アリエーテはレオンを見上げた。



「夢なの?」



 アリエーテは胸に触れる。


「家庭教師の先生だった男の人が、わたしの胸を貫いていくの。怖くて、痛くて、レオンを呼んだのに。誰も来てくれなかった」


「過去を思い出したのか?」


「過去なの?」


「何度も俺を呼んだのか?」



 アリエーテは何度も頷く。



「レオンを呼んだの。助けって叫んだの。でも刃はわたしの胸をゆっくり貫いたの」



 レオンはアリエーテを強く抱きしめた。



「残酷な殺され方をされたんだな?」



 アリエーテは、また頷く。



「もう死にたくないの。レオン助けて」


「大丈夫だ。もう死ぬことはない」



 アリエーテはレオンに抱きついて、涙を流して泣いた。


 1000年分の涙かもしれないとレオンは思った。


 どの時代のアリエーテは残酷に死んで行った。


 心残りはあったはずだ。



「助けられなくてすまなかった。けれど、今は助けられる。安心していい」


「レオン、パーティーが始まるの?」


「どうしてだ?」


「だって、タキシード着ているから」


「アリエーテの前ではタキシードを着ようって約束しただろう?」


「お姉さんの結婚式での約束ね?」


「ああ、そうだ」



 アリエーテは大好きなレオンに抱きついたまま離れようとはしなかった。レオンもアリエーテを強く抱きしめた。



「ママ、ママ。起きたの?」



 部屋の外から愛らしい声が聞こえる。



「アンジュが心配しているよ」


「アンジュ?」


「俺とアリエーテの子だ」



 アンジュが扉を開けて部屋に入ってきた。



「ママ、ママ、アンジュがドラゴンさんのお部屋に勝手に入ったから、ドラゴンさんが怒ったの。もうしないから、約束する」



 アンジュがベッドをよじ登ってくる。



「アンジュ」



 アリエーテはレオンから離れると、我が子を抱きしめた。



「ママ、おはよう」


「アンジュ、おはよう」


「ママ、お寝坊さんだったのよ?」


「そうだったの?」


「1番のお歌いっぱい歌ったよ、痛くなかった?」



 アリエーテは微笑んでアンジュの頭を撫でた。



「痛くなかったよ。ありがとう。アンジュ」


「えへへ」



 アンジュは照れくさそうに笑った後、アリエーテにしがみついて泣きだした。



「ママが死んじゃうかと思ったの。ごめんなさい」


「……アンジュ」



 アリエーテはしがみついて泣きじゃくる我が子を、精一杯抱きしめた。


 アンジュは泣き疲れて寝てしまった。


 レオンがアンジュをベッドに寝かせる。



「痛むところはないか?」


「うん。どこも痛くない」


「頭を2カ所手術した。後遺症はないと思うが、あったとしても支えていくから」


「レオンが助けてくれたの?」


「父にも助けてもらった。緊急を要したんだ」


「ありがとう」



 レオンはにっこり笑って、手を差し出してきた。



「歩いてみるか?」


「うん」



 久しぶりにベッドから降りて、ゆっくり歩いてみる。



「違和感はあるか?」


「少し目眩がするけど、特にないわ」


「そうか、良かった。少しずつ体力を付けていこう」



 レオンはアリエーテを抱き上げて、アリエーテの部屋に連れて行く。



「ご心配しておりました」


「ご無事で何よりです」



 モリーとメリーが深く頭を下げた。



「心配かけてごめんなさい」



 モリーとメリーはハンカチで涙を拭っていた。



「アンジュ様が、とても一生懸命に歌を歌っていました。褒めてあげてください」


「奥様が倒れてから、アンジュ様は涙も見せずに頑張っておいででした」



 二人はアンジュがどれほど頑張ったのか、教えてくれた。



「アンジュを支えてくれてありがとう」


「いいえ、今の奥様のお姿を見たら、この1ヶ月の苦労など飛んで行きます」



 モリーが深く頭を下げた。



「1ヶ月も眠っていたの?」


「ああ、眠りすぎだ」



 レオンが、アリエーテを抱き上げたままカウチに座った。



「お茶を淹れますね」


「頼む」


「奥様は、後でシャワーを浴びますか?」


「お手伝いをお願いしてもいいかしら?」


「もちろんでございます」



 モリーとメリーはテキパキと動き出した。



「アリエーテ、生きていてありがとう」



 レオンは囁くと、アリエーテを包みこむように抱きしめた。



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