第8話   グルナとヘーネシス

 ☆

 死神協会から指名手配を受けたグルナは、人間界の片隅でヘーネシスと暮らしていた。


 ヘーネシスはグルナの事情を、全く知らない。


 どんなに悩んでいても、気にもしない。


 欲望のままに、女を抱き、飽きれば捨てた。


 ヘーネシスが女性を抱く度に、グルナは吐き気をもよおす。


 愛して止まない妹が、転生して男に生まれ変わり生理的に異性を求めることは頭の中では理解できても、心の中では愛おしい妹の姿にしか見えない。


 だが、ヘーネシスの欲望は女と金にしか興味がない。その金を儲ける手段としてギャンブルをしている。


 身を寄せているのは、ギャンブル仲間の屋敷だ。


 どちらも、女と金に貪欲で最近では、若い女を誘拐してきて、その女を人形にしている。


 血を全て抜き、内臓を抉り防腐処理を行う。


 なんという残酷な事をするのだろう。


 魂は愛おしい妹のものなのに、やっていること全てが死神でも目を逸らしたくなる事ばかりだ。


 陳列するために、背中に一つ穴を開けて、そこから全てを引き出す。


 専門家を呼んで、処置の仕方を学んで、二人で人形を作っている。


 いずれは闇市で、この人間だった人形を売ろうと考えている。


 身寄りのない若い女ばかりを連れてきて、人形にしているので、家族から捜索願も出されず、騎士達の目にも止まらない。


 死んだ魂は、グルナが集めているが、こんな事をしていたら死神協会に気付かれてしまう。


 死神協会に戻れないグルナは、魂を集めるだけで、処理ができない。


 手元に置ける魂の量も時間も決まっている。このままでは、死んでしまった魂は転生を迎えることができなくなる。魂にも寿命がある。命の尽きそうな魂をただ見送る。死神協会に持って行けば転生できるのに、魂は消滅していく。食べてしまう死神もいるというが、グルナはどうしても食べることはできない。


 グルナはヘーネシスを止めるが、ヘーネシスはグルナの言葉を聞かない。


 昔は素直な優しい妹だったのに、転生の時、何かトラブルでも起きたのか?


 それとも死に際に、グルナを恨んで死んだのかもしれない。


 グルナの首にあった婚姻の証は、妹が死んでから徐々に薄くなり、今ではその存在もなくなってしまった。


 ヘーネシスを見ても、どこにも痣はなく、グルナの事も覚えていない。


 愛おしい妹は、消滅してしまったのだろうと何度も思う。


 今日も新しい女を安い賃金で買って、屋敷に連れて来て、二人で犯している。行為を終えた後は、人形にするために背中から、刃物を立てる。


 今夜も甲高い悲鳴が上がった。


 死に際の表情が気に入らなくて、愚痴も零している。人形を作っているが、どれも気に入らない。


 人形は、いったい何体になっただろうか?


 屋敷の地下室に並べられた人間だった物は、どれも目を裏返しにしたように白目を剥いている。この姿のどこが美しいのか、グルナには理解できない。


 そろそろ自分は死神協会に捕まるだろう。こんなに頻繁に殺人を起こしていれば、優秀な死神なら気付くはずだ。居場所の見当も付けているだろう。


 死神協会に捕まれば、ヘーネシスも一緒に捕まり、ヘーネシスは殺されるだろう。


 愛おしい妹の魂は、二度と転生しない。


 死神と契約してしまった末路だ。グルナの魂も転生しないだろう。


 これほどの悪事を犯してしまった。罰は与えられるだろう。


 グルナは酔っ払って無防備に寝ているヘーネシスに近づき、その魂を食べようとしたが、どうしても食べられなかった。


 この魂は愛おしい妹だと思うと、どうしても躊躇ってしまう。



「グルナ、そうだ、アリエーテを連れてこい。アリエーテは美しかった。アリエーテなら満足できる人形になるだろう」



 突然、目覚めて、とうとうヘーネシスはグルナに命令した。



「アリエーテは悪魔と暮らしています。もう手の届かない場所にいます」


「グルナは死神だろう。そうそう簡単に死なないはずだ。悪魔の家でもどこでも行って、アリエーテを連れてこい」


「……フラム」



 グルナはとうとう妹の名を口にした。


 ヘーネシスと出会った後も、その前も妹としか呼ばなかった愛おしい妹の名前だ。



「フラムとは誰だ?アリエーテより美しいのか?」


「はい。この世で一番美しい女性でした」


「では、フラムを連れて来い。犯して人形にしてやる」



 グルナはヘーネシスの言葉に、息を飲んだ。


 フラムはヘーネシス自身の名前だ。自分を犯して人形にするのか?


 なんと滑稽な……。


 記憶がないとは残酷だ。


 家族は何も言わなかったが、ひょっとしたら、フラムは男に犯されて、心臓を貫かれたのかもしれない。だから、こんな残酷な事を平気でするようになってしまったのかもしれない。


 過去の復讐のために。


 あまりに哀れな姿に、やはりヘーネシスの魂を食べてしまうのが、一番、妹の為になるような気がしてきた。



「おい、グルナ、アリエーテを連れてこい」


「そんなにいい女なのか?」



 家主が興味を持ち始めた。


 ヘーネシスはグルナを蹴っ飛ばした。



「主人はわしだ。言うことを聞け。最後に魂を食いたいのだろう?」



 穢れすぎた魂は、きっと美味しくはないだろう。腐っているかもしれない。


 ヘーネシスに屋敷から追い出されたグルナは、月明かりに屋敷を振り返る。


 アリエーテを連れてくるしか、ヘーネシスの機嫌は良くならないだろう。




 ☆

 グルナは魔界に飛んだ。


 レオンの屋敷には、警備のための魔術に長けた騎士達が24時間体制で絶えず守っている。


 屋敷に入る手立てがない。


 屋敷を見守って、2日目に幌馬車が食料を届けに入って行くのが見えた。


 いくら魔術に長けた者達でも、食事は食べる。


 レオンは魔王の弟で、魔王と同等の魔術が使えることから、魔王に何かあった時の皇太子の役目も担っている。


 1000年経っても魔王には、魔術に長けた子供が生まれない。


 魔界にとって、今、一番、気がかりとされている。


 後継者が生まれなければ、今の魔王が、継続的に魔王を務めることになるが、もっと強い魔力を持った後継者を望む者も多い。


 皇太子の役目を持ったレオンの屋敷は、魔王と同じ程度に警護されている。


 その屋敷に忍び込み、レオンが愛しているアリエーテを奪うことは魔族では重罪で、死神協会からも処罰はされるだろう。


 グルナは幌馬車の荷台に乗り込んだ。


 程なくして、レオンの屋敷に忍び込むことができた。


 姿を消して屋敷の中を移動する。


 2階のレオンの部屋を過ぎ去り、人の気配が多い部屋の前に立った。


 女性が4人いる。レオンの気配は感じられなかった。


 部屋の扉をくぐろうとしたとき、結界に弾き飛ばされた。


 無様に廊下に倒れていると、部屋の扉が開き、レオンとフルスが出てきた。



「どうやって入ってきた?」



 扉が閉まる間際に、アリエーテの姿が見えた。



 ☆

「奥様」



 そっとモリーが手を取った。



「メリー」


「はい。奥様、こちらへ」



 メリーがアリエーテの手を取り、クローゼット兼、着替えの部屋に入ると、「これをお召しください」と棚に置くと、アリエーテの洋服を脱がせ始めた。



「これは……?」


「メイド服です」



 黒いワンピースを着て、白いエプロンを着ける。髪は、メリーがさっと結い上げた。


 部屋に戻ると、自分そっくりな人がカウチに座っていた。


 軽く頭を下げられる。



「モリーです。心配はいりません」



 メリーが耳打ちする。


 廊下では、ガタガタと戦う音が聞こえる。


 扉が吹き飛んで、グルナが転がり込んできた。


 グルナは目の前にアリエーテの姿を見つけて、その手を掴むと、姿を消した。


 フルス、アリエーテを頼む。


 レオンはアリエーテに何重も結界を張る。アリエーテにキスをして、その姿は消えた。



「モリーが連れて行かれてしまったわ」


「レオン様が追いかけております」



 フルスがアリエーテの手を握り、カウチに座らせる。


 震えるアリエーテの隣に座り、しっかり手を繋ぐ。


 いつの間にか、パトークとリムネーも部屋の中にいた。



「モリーは初めから、アリエーテ様の身代わりをするつもりで、お側においでになりました」



 メリーは静かに語りながら、皆に紅茶を淹れる。



「モリーは特殊魔法が使えます。それでアリエーテ様そっくりな姿をされていたのです」


「でも、モリーが危険よ」


「旦那様が付いております。アリエーテ様に万が一の事がないように、準備しておりました」


「ごめんなさい。私のために」


「アリエーテ様のためでもございますが、何よりレオン様のためでございます。心を傷めないでください」



 最後はフルスが、手をしっかり握って真実を伝えてくれる。



「必ずお守りします。レオン様はアリエーテ様を1000年も追いかけてきた身でございます。この魔族の一族では知らぬ者はおりません。我々もアリエーテ様のお命を救いたいのでございます」



 パトークがそう言うと、アリエーテに新たな結界を何重にも張った。



「どうぞ、レオン様がお帰りになるまで、心静かにお待ちください」



 今度はリムネーが、アリエーテに何重もの結界を張った。



「いつもお側にいて守らせていただきます」



 最後にフルスがアリエーテに、何重もの結界を張った。



「誰もアリエーテ様に危害を与えることはできないでしょう。どうぞレオン様を信頼し、お待ちください」



 フルスはまたアリエーテの手を握った。



「ありがとうございます」



 アリエーテは、深く頭を下げた。



 ☆

 グルナはモリーを抱えて、人間界に飛んだ。


 慌てていたが、よく魂を見ると、アリエーテの魂とは違う。


 見た目は同じでも魂が違うことに、人間界の屋敷に着いてから気付いた。



「おまえは誰だ?」


「アリエーテよ」


「嘘をつけ。魂が違う」


「さすが死神ですね」



 モリーは恐れもせずに微笑む。


 モリーの背後にレオンが立った。



「さて、グルナ、アリエーテをどうするつもりだ?」



 レオンの後ろには死神協会の所長も仲間達も揃って立っている。


 グルナはモリーを連れたまま屋敷の中に入った。ヘーネシスがグルナの帰りを待ちわびていた。



「これは美しい。アリエーテ久しぶりだな」


「叔父さん、突然、何のご用ですの?」


「まあ、そう慌てるな。ソファーに座って寛ぐがいい」



 モリーはソファーに座った。


 ヘーネシスは自分で紅茶を淹れ始めた。静かにカップが目の前に置かれたが、モリーはお茶を飲まない。


 魔族のモリーの目には、その紅茶の中に毒薬が見える。



「お茶を飲まないのか?」


「ええ、喉は渇いてないの」


「行儀がなっていないな」


「そうでございますか?」



 ヘーネシスがモリーの肩に触れたとき、レオンが姿を見せた。


 グルナは覚悟を決めた。


 二人とも転生しないのであれば、妹の魂を食べたい。


 別々に消滅させられるならば、一緒がいい。


 グルナはヘーネシスの背後から手で貫き心臓を握りつぶした。ぎょっとしたヘーネシスがグルナを睨んだ。



「グルナ」



 その視線を見つめながら、ヘーネシスが倒れるのを見送った。


 グルナは妹の魂を握ると、それを見つめた。


 妹の魂はなんの輝きもなく、どす黒く変色していた。贔屓目で見ても美しくはない。とても不味く見える。その魂を口に入れて咀嚼した。


 思った通り腐った味がした。


 これほど不味い魂は、今まで食べたことがない。


 妹、フラムは美しかったが、転生して穢れてしまった。


 もっと穢れる前に、奪ってしまえば良かった。


 グルナは屋敷に火を放った。


 屋敷の持ち主も殺すと、死神協会の仲間に捕らえられた。



「レオン様、ご迷惑をおかけしました」


「グルナはどうなる?」


「死神協会の条例により魂ごと抹殺されます」


「ヘーネシスの魂はどうなる?」


「死神と契約した魂は、転生いたしません。既にグルナが食べた事で消滅しました」


「死神手帳からアリエーテの名前は消えたか?」


「はい、消えました」


「それは良かった」


「申し訳ございませんでした」



 死神協会の所長は深く頭を下げた。


 レオンは哀れなグルナを見つめて、そして、モリーを連れて消えた。



 ☆

 モリーは入浴するために、自室に戻っていった。


 レオンも入浴するために浴室に行った。


 相手がモリーであっても、女性のにおいを付けたままアリエーテには触れられない。


 綺麗に身を清めて、新しいタキシードを身につける。


 扉をノックして部屋に入ると、アリエーテが飛びつくように抱きついてきた。



「モリーは?」


「今、部屋で着替えている。すぐにここに来るだろう」


「本当に?怪我などしていませんか?」



 アリエーテは泣きながら、レオンにしがみつく。



「奥様、ご心配をおかけしました」


「モリー」



 レオンにしがみついていたアリエーテは、声のした方に飛びついた。


 モリーの顔は、アリエーテと同じ顔はしていなかった。


 森のような緑の瞳に、髪の色も緑色をしていた。



「この姿では、初めまして奥様。この姿が、本来のわたくしの姿でございます」


「モリー、身代わりなんて危険な事、もうしないで」



 アリエーテはモリーにしがみついて涙を流した。



「ほら、アリエーテ、少し落ちつこう」



 レオンは、アリエーテを抱き上げると、膝に抱いたままカウチに座った。


 アリエーテは、何度も頷き、レオンにしがみつく。



「フルス、パトーク、リムネー護衛をしてくれて感謝する。安心して出かけられた」


「はっ」



 3人は敬礼をした。



「アリエーテ、叔父さんの魂はグルナが食べた。二度と転生はしてこないらしい」


「グルナさんは?」


「死神協会の掟で、魂ごと抹殺される。グルナも転生しない」



 アリエーテはじっとレオンを見つめる。



「復讐は遂げられたのね?」


「ああ、二度とこの世に叔父さんの魂は転生してこない」


「ありがとうございます」



 アリエーテは深く頭を下げた。



「どうして、グルナさんは叔父さんの魂を食べたのでしょう?」


「それは俺には分からない。グルナなりの考えがあったのだろう」


「お父様やお母様や兄や姉の魂は転生するのよね?」


「ああ、いつ転生するかは分からないが、転生するだろう」



 アリエーテは大きく息を吐きだした。



「いつか会える日が来るかもしれないな?」


「転生しても、わたしだとは分からないのよね?」


「ああ、分からないだろう。ただ、生きてくれるだけでは物足りないか?」


「いいえ、どの時代でも精一杯、生きてくれたら、それだけで安心できます。本当にありがとうございます」



 レオンがアリエーテの頭の上に纏められた髪を解く。


 さらりと髪が流れるように落ちた。その髪を指で梳く。


 メイド服を着たアリエーテも美しい。


 美しい髪は、すぐに真っ直ぐに伸びる。


 純粋な心のような髪だと、レオンは思った。


 グルナが口にした魂は、とても美しいとは思えない物だった。ドス黒く濁った魂は、腐っていたかもしれない。

 

 そんな魂を最後に口にしたグルナの気持ちを知る者はいなかった。



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