第3話   1000年の想い

 教会が焼けて二ヶ月ほどが過ぎた。アリエーテは教会がどうなったのかが気になった。その事を言うと、レオンが連れていってくれると言う。


 アリエーテは久しぶりのお出かけを喜んだ。


 フルスに綺麗にお化粧してもらい淡いピンクのワンピースと揃いの帽子を被り、レオンに抱き上げ上げられながら上空を飛んでいく。


 人は意外と空を見ないんだと思った。誰も二人の姿を見つけない。


 教会のあった敷地は、まだガランとして何も立ってはいなかった。



「もう聖女の祈りはなくなったのかしら?」


「いや、祈りの思念は聞こえる」


「レオンには聞こえるの?」


「ああ。魔族だからな」


「気分が悪くなったりしないの?」



 アリエーテはレオンが心配になった。


 魔窟を鎮める魔術は、魔窟に住むスライムやゴブリンの動きを鈍らせると学んだ。


 悪魔ならば、その祈りを聞いて気分が悪くなってもおかしくはない。


 しかし、レオンは普段と変わらずにシャキッとしている。



「あの祈りは気休め程度だ。悪魔の俺にはなんの影響も与えない」


「気休め程度の祈りのために、聖女様は祈りを捧げて死んで行くの?」


「ああ、そうだ。聖女の祈りは魔窟に振動を与える程度にしか影響を与えない。人間は無駄な事をしている」


「その無駄な事をするために、聖女を集めているの?」


「大昔は、魔界と人間界は一つの世界だった。200年前に人間が反乱を起こし、魔界と人間界の間に、魔王が大きな山を造った。人間界の人間は魔界を倒すために洞窟を掘り進めてきた。それが魔窟だ。人間を魔界から追い出し、魔王がその洞窟に結界を張ったんだ。その結界を揺るがすために、どうやら聖女様が祈りを捧げているのだろう。人間は200年前の戦いをまだ未だに引きずっているんだ」


「国王様がそう命令しているの?」


「俺には人間界の仕組みは、分からない」


「レオンは200年前から生きているの?」


「いや、もっと昔からだ」


「どれくらい前かしら?」



 レオンはアリエーテを抱き上げたまま聖女の思念が聞こえる場所に移動している。



「知りたいのか?」


「うん、私と初めて会ったのはいつなの?」


「1000年以上前だ。アリエーテがいなくなって1000年になる」


「……え?」


「魔族は長寿なんだ」


「レオンは幾つなの?」


「1050歳だ」


 アリエーテは微笑んだ。



「永遠のような時間ね」


「そうだな。とても長かった」



 レオンの呟きには重さを感じた。



「アリエーテ、ここから思念が聞こえる」



 レオンが止まった場所から見える景色は、普通のお屋敷だった。木々に囲まれて、祈りのための教会すらない、ただの屋敷だ。


 その屋敷から出てきた男を見て、アリエーテは目を見張った。



「叔父さんよ」



 シスター達が叔父に頭を下げている。



「屋敷を寄付していただき感謝しております」


「いや、アリエーテが世話になった教会だからな。こんな事で国の為になれるなら、屋敷を寄付することくらい容易いことだ」


「アリエーテ様は、残念なことになりました。お救いできず、申し訳ございません」


「これも運命なのだろう」


 叔父とシスターの言葉を聞いて、アリエーテは自分が死んだと思われていることに気付いた。


 この屋敷を寄付して叔父は、どれほどの褒美を国王陛下から戴いたのだろう?


 叔父は馬車に乗って、走り去っていった。


 シスター達は叔父を見送ると、屋敷に入る前に話している。


 その噂話に耳を傾ける。



「こんな辺境なお屋敷は、もう不要になったのでしょうね。今はアリエーテの屋敷に移り住んでいるとか?」


「ヘーネシス様は伯爵家から公爵家へ格上げになられたのだから、うまく出世なさいましたよね?」


「そうですわね。真っ先に屋敷を寄付すると申し出て、国王陛下も心証を良くなさったのでしょうね?」


「聖女様の祈りがなくては、人間界の危機だと申し上げていらしたもの」



 シスター達は噂好きだ。


 馬車を見送って、何もない田舎の景色を見渡して、シスター達は屋敷の中に入っていった。



「この屋敷も燃やしてやろうか?」


「そんなことをしたらいけないわ。この屋敷に住むシスターも聖女様も聖女達も何も本当の事を知らないのだから」



 アリエーテはレオンの申し出を断った。



「叔父さんは、伯爵家から公爵家に格上げになられたのね?」


 どれだけのお金が動いたのだろう?


 お父様達を殺して家を乗っ取って、屋敷を寄付して。


 空き家を寄付することは容易いだろう。


 死んだ聖女の後見人という立場も、うまく利用したのだろう。



「レオン、わたしの実家を見せてくれる?」


「ああ、いいとも」



 レオンはアリエーテを抱いたまま姿を消した。


 ぱっと目を開けると、懐かしい建物が見える。


 けれど、いつも美しかった庭は荒れ果て、草が生えて花は枯れていた。


 世話をする者がいないのだろう。


 玄関は開け放たれ、男達が出入りしている。



「叔父に家族はいたのか?」


「叔父さんの奥さんは、ずいぶん昔に亡くなっているはずよ。付き合いがなかったから、お葬式にも行ってないけれど。子供はいたと思ったけれど、男か女かも覚えてないし、生きているのかどうかも分からないわ」



「本当に付き合いが無かったのだな?」


「そうね。父が叔父の家に行くと言ったとき、止めれば良かったの。聖女になれば格式が上がるとは聞いていたけれど、お金がもらえるとは知らなかったの。もっとしっかり調べて、父が叔父の家に行く前に聖女になると言えば良かったわ」


「アリエーテの責任ではない」


「結果的に家族は死んでしまったんですもの。悔やんでも悔やみきれないわ」



 アリエーテは屋敷の上から、もう他人の家になってしまった思い出の詰まった屋敷を見つめる。



「出入りしている男達は、どんな素性の男かは知っているのか?」


「何も知らないわ。ただ叔父はギャンブル好きで有名だった」



 レオンは過去を思い出し、姿を消した。


 ギャンブル好きな父親に人形にされたアリエーテの姿を思い出した。


 もうあんな姿のアリエーテを見たくはない。



「アリエーテ、続きの捜査は、俺がする。敵は必ず取ってやる。調べる間は屋敷にいてくれ」


「危険なの?」


「ああ、かなり危険だ。アリエーテが生きていることが分かれば、アリエーテを殺しに来るだろう」


「……うん、わかったわ」



 死んでしまいたいと思っていたけれど、今のアリエーテはレオンや屋敷で待ってくれている3人の為に生きたいと思っている。



「わたしにも攻撃魔法が使えればいいのにな。使えるのは治癒魔法くらいだもの」


「アリエーテは、その力だけで十分だ。もし、俺が怪我をしたら、また治してくれ」


「また?」


「ああ、すまない。昔のアリエーテに治してもらった事があるんだ」



 レオンはアリエーテを抱きしめ、屋敷の敷地に入っていく。


 やっと地面に足が付くと、リムネーが「お帰りなさいませ」と頭を下げる。



「変わった事はあったか?」


「馬に乗った男達が何人か、この辺りを調査しておりましたが、しばらくして帰って行きました」


「叔父さんの手下かしら?」


「この屋敷は人間には見えないように魔術をかけてある。それほど心配はないと思うが、監視を頼む」


「はい」



 リムネーが頭を下げた。



「アリエーテ、お茶を飲もう。暑かったから汗もかいただろう。ゆっくり休んだらお風呂に入るといい」


「うん」



 レオンに手を引かれて、屋敷の中に入っていく。


 確かに外は暑かった。帽子を取ると、フルスが「お帰りなさいませ」と言いながら帽子を受け取ってくれる。


 季節は春から一気に夏になっていた。


 着ている服も春物から半袖のワンピースに替わっている。


 ダイニングに行くと、パトークがグラスに入った飲み物をテーブルに置いた。



「アイスティーでございます」


「浮かんでいるのは何ですか?」


「ああ、氷だ。寒い冬に地面にできる水が凍った物と同じだ。この屋敷には氷を作れる物が置いてある」


「まあ、すごいわ。氷というのね」



 アリエーテはどのように飲むのか考えている。



「グラスに挿してあるストローを吸って飲んでみろ」


「これをストローと言うのね?」



 初めて目にする柔らかそうな棒を咥えて吸ってみると、冷たい紅茶が口の中に入ってきた。



「すごいわ。紅茶が出てくるわ。それに、とても冷たいわ」



 感動しながら、吸って飲んでいると乾いた喉が潤っていく。


 一気に飲んでしまうと、パトークが冷たい紅茶をグラスに注いでくれた。



「どうぞ、外は暑かったでしょう?しっかり水分を摂ってください」


「はい」



 レオンも隣で冷たい紅茶を飲んで、おかわりをもらっている。



「魔界ってすごいのね。人間界にない物がたくさんあるわ」


「魔界にないものは、アリエーテくらいだ」


「わたし?」


「やっと見つけたアリエーテを二度と手放したくはないのだ。早く復讐を果たし、魔界に行きたい」


「わたしが魔界に住むの?人間のわたしが住めるの?」


「その瞳に刻んだ物は悪魔の印だ。俺の所有の印だ」


「レオンの印」


「アリエーテの魂は魔界の物に変わっている」



 アリエーテは左目に触れる。


 普通に見えるが、確かに鏡でよく見ると、魔方陣が見える。その魔方陣がレオンの所有の印なのだろう。魂は既に魔界のものに変わっている。


 シスター達に棒で打たれた後、確かに契約をした。


 アリエーテは頷いた。



「わたしはレオンのものになったのね?」


「ただの物ではないけどな。特別なものだ」



 アリエーテは、また頷いた。


 1000年も追いかけてくれたその想いは、きっと一言では現せないほどの想いなのだろう。


 思い浮かぶのは『愛』しかなかった。


 出会ってから、レオンにはずっと優しくされ、両親にもらってきた物以上の愛情を受け取っている。


 失うことを恐れているレオンの想いも伝わっている。


 それほど大切にされている。



「レオン、ありがとう」



 レオンは微笑んだ。



「休めたら、お風呂に入って汗を流してくるといい」


「うん」



 アリエーテが席を立つと、フルスが傍らに立つ。



「では、参りましょう。お嬢様」


「お願いします」


「脱衣所に着替えなど準備してありますので、そのままお風呂場にどうぞ」


「ありがとう」



 お礼を言うと、フルスは優しく微笑む。


 フルスもパトークもリムネーもレオンの部下なのだろう。


 3人にも守られているように気がする。


 眼差しも皆、優しい。


 1000年の時とは、どれほど長い年月なのだろうと考えながら、アリエーテはお風呂に入った。


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