第三章 お嬢様

第1話   森の中の一軒家

「アリエーテ、朝だ。そろそろ目を覚まさないか?」



 レオンは眠るアリエーテに声をかけた。


 アリエーテはぼんやり目を開けて、ここがどこか分からないようで、キョロキョロした。


 愛らしい仕草に、レオンはもう一度、アリエーテの名を呼んだ。



「あ、レオン」



 どうやらレオンの存在は覚えているらしい。



「お腹が空かないか?」


「……どうかしら?」



 まだ寝ぼけているようだ。


 青い瞳の奥に契約の魔方陣が微かに見える。



「食事をしよう」


「……はい」


「起きられるか?」


「うん、大丈夫よ」



 昨夜、アリエーテが眠るときに、魔術を使いレオンが起こすまで起きない魔法をかけた。


 屋敷の存在を消し、そこで眠るアリエーテを守るための魔術だ。


 アリエーテはゆっくり体を起こして、そして頬を染めた。


 ネグリジェ姿が恥ずかしいのだろう。



「アリエーテに侍女を付けることにした。すぐに紹介しよう。フルス」


「はい」



「入れ」とレオンが言うと、美しい女性が部屋の中に入ってきて、アリエーテは、背筋を伸ばす。



「アリエーテの侍女にするフルスだ」


「フルスでございます。アリエーテお嬢様、これからよろしくお願いします。私の事はどうぞ、フルスとお呼びください」



 フルスは礼儀正しくお辞儀をした。


 スカート丈の長めのメイド服姿を見て、アリエーテは慌てて、頭を下げる。



「こちらこそ、よろしくお願いします」



 フルスはにっこり微笑む。



「では、お召し替えをいたしましょう」


「はい」


「アリエーテ、着替えたらダイニングに降りてきてくれ」


「はい」



 レオンが指示を出すと、アリエーテは急いで返事をする。


 レオンはアリエーテの部屋から出て行くと、魔術で食事の支度を始める。


「お嬢様、こちらのお洋服でよろしいでしょうか?」


「はい。レオンが作ってくれたのね」



 アリエーテは微笑んで、出された洋服を身につける。


 綺麗な水色のワンピースは、アリエーテの瞳の色によく似ている。


 白いレースの靴下など、どれくらいぶりだろう。



「ドレッサーの前にいらしていただけますか?」


「はい」



 アリエーテは室内履きを履いて、ドレッサーの前の椅子に座る。



「それでは、失礼します」



 フルスは温かなタオルで顔を拭うと、肌を整えて、櫛で髪を梳かす。



「美しい髪をしていらっしゃいますね」


「フルスさんも綺麗ですね。短い髪がお似合いで素敵です。わたしも短く切ってしまおうかしら」


「お嬢様は長い髪がお似合いですよ。せっかく美しい髪をしていらっしゃいますから、お手入れのし甲斐があります」


「子供の頃から、お母様に令嬢として髪を伸ばしなさいって言われてきたの。そのお母様がもういないんですもの」


「それでも、お嬢様は令嬢でいらっしゃいますよ。お母様もきっと長い髪をしていた方が喜んでくださるでしょう」


「そうかな?」



 アリエーテは寂しそうに目を伏せた。



「さあ、美しくなりましたよ」



 いつの間にか薄化粧をされて、紅を差されていた。



「お食事に参りましょう」


「はい」


「履き物は、こちらになります」



 フルスは白い靴を出した。



「ありがとうございます」


「私には敬語はいりませんよ。名前もフルスと呼んでくださいね」


「はい」



 アリエーテはサンダルから靴に履き替えた。


 フルスはサンダルを片付けると、扉を開けて、頭を下げた。



「ありがとう」



 アリエーテは自分で部屋から出て、階段を降りていった。



「アリエーテ、美しくしてもらったな」


「はい、フルスがとても上手で、驚いたの」


「アリエーテが美しいからだろう」



 階段を降りると、レオンがアリエーテの手を取り、ダイニングに連れて行く。



「わぁ」



 アリエーテはダイニングテーブルの上を見ると、嬉しそうな声を上げた。



「こんな朝食は、どれくらいぶりかしら?」



 テーブルの上には花まで飾られている。



「お嬢様、どうぞ」


「ありがとう」



 椅子を引かれ、座らせてくれる。


 コックの服を着た男性が、テーブルにスープを運びパンを置く。



「アリエーテ、コックのパトークだ」


「パトークでございます。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」



 アリエーテは座ったまま頭を下げる。



「温かいうちにお召し上がりください」



 パトークは頭を下げると、下がっていった。



「すごいわ。コックがいるの?」


「ああ、昨夜のうちに最低限の人材を集めてきた」


「レオンってすごいのね。ただの悪魔じゃないのかしら?」


「執事のまねごとをしようとしている悪魔だな。執事らしくなくても愛嬌だと思ってくれるとありがたいが」


「ええ、いいわ。家族を死に追いやった悪党を倒してくれるなら、執事らしくなくても気にしないわ」


「仕返しは必ずしてやるが、まずは朝食を食べてくれるか?」


「レオンも一緒に食べたら?一人で食べるより、なんちゃって執事のレオンと食べたいわ」


「そうか?それなら食事は一緒に食べよう」



 レオンはパチンと指を鳴らし、アリエーテの隣に座る。


 パトークが料理を運んできて、レオンの前に置いた。


 二人で料理を食べると、フルスが紅茶を淹れてくれる。



「今日は、まず洋服を買いに行こう。必要な物があるだろう。フルスも同行を頼む」


「畏まりました」



 フルスは頭を下げた。



「ねえ、レオン、お金はあるの?」


「そう心配するな。ある程度は準備をしてある」


「それなら良いけれど、もう借金は嫌なの」


「何も心配はいらない」



 アリエーテの瞳が真っ直ぐレオンを見つめて、しばらくして頷いた。



「信頼してもいいのね?」


「ああ、信頼してくれ」


「それなら、お願いします」



 アリエーテはレオンに頭を下げた。



 食後のお茶をゆっくり楽しんだ後、出かける準備をして、レオンに手を引かれ、屋敷の外に出ると、一人の男性が木の枝を切っていた。



「アリエーテ、紹介する。庭職人のリムネーだ」



 リムネーはアリエーテの前まで来ると、深く頭を下げた。



「リムネーでございます。よろしくお願いします。リムネーとお呼びください」


「こちらこそお願いします」



 アリエーテは礼儀正しくお辞儀をした。



「俺が準備した最後の人材だ。皆、信頼できる者を選んで連れてきた」


「はい。ありがとうございます」



 アリエーテは、なんちゃって執事のレオンに頭を下げた。



「敬語はいらん。家族だと思ってくれたら嬉しい」


「家族?」


「新しい家族では駄目か?」



 アリエーテは首を左右に振った。



「わたしには、もう家族はいないから、そう言ってもらえると嬉しいわ」


 

 アリエーテは心から嬉しく思っていた。


 悪魔だけれど、レオンは優しいし、レオンが連れてきた屋敷の住人も心優しい人のように見えた。ひょっとしたら魔族なのかもしれないが、人間でも魔族でもどちらでも良かった。


 人間界では、どうして魔族を邪険にするのだろう?


 洞窟を挟んだ世界。


 アリエーテは魔界に行ったことはないが、レオンを見ていると悪い人には見えない。



「では、行って来る。屋敷を頼む」


「はい」



 リムネーは深く頭を下げた。


 目の前に馬車が現れた。



「すごいわ」



 馬は珍しい白馬だ。二頭の白馬が引く馬車はお洒落な形をしていた。


 御者が座っている。



「御者は飾りだ」


「飾りなの?」


「人でも魔族でもない。命のない人形だ。そうだな、タダの風船と同じだ」


「風船?」



 アリエーテは不思議に思いながら御者に近づく。


 ちらりとアリエーテを見て、深く頭を下げるが、言葉は話さない。



「信じられないわ」


「そうか?」



 レオンがパチンと指を鳴らすと、空気が抜けるように萎んでいく。




「本当に風船なのね」



 またレオンは指を鳴らした。


 萎んだ御者が膨らんでいく。



「アリエーテ、馬車に乗ろう」


「はい」



 レオンが扉を開けてくれる。


 そこに乗り込むと、レオンも乗り込んで来た。

 

 扉が閉じられて、そこにフルスの姿がないことに不安に思う。



「私は御者の横に乗りますので、心配はいりません」



 外からフルスの声が聞こえる。


 馬車が走り出した。



 馬車は街に到着すると、高級洋服店の前で止まった。



「レオン、ここのお店は高いわよ」



 パルテノス伯爵家でも、滅多にここで買い物はしなかった。


 父のスーツや母のドレスは買っていたが、子供達のドレスや洋服はもう1ランク下のお店で買っていた。


 アリエーテは姉のお古で、数着ドレスやワンピースをもらったが、アリエーテ自身には買ってもらったことはなかった。



「見るだけ見てこよう」


「うん」


 

 レオンに手を引かれ、馬車から降りると、フルスは既に降りていて待っていた。



「お嬢様、今日は普段着とドレスを1着、下着と化粧品を買っていこう」


「はい」



 レオンはにっこり微笑むと、アリエーテの手を引いた。


 フルスが後から付いてくる。


 お店に入ると、店員は新参者の顔を見て、接客もしない。


 レオンは店員を無視して、洋服を選んでいく。


 アリエーテにあてがい、似合う物だけをフルスに持たせ、試着室に行き、1着ずつ試着させる。


 洋服の多さに、店員がそわそわしだし、やっと店長が挨拶に来た。



「今日はいらっしゃいませ。ワンピースをお探しでしょうか?」



 女性の店員もやって来て、フルスが持っているワンピースをハンガーラックにかけた。



「お嬢様にワンピースとドレスを一着用意したい」


「畏まりました」



 試着して、レオンが気に入った物だけ、ハンガーラックに分けてかけていく。



「ドレスは既製品でしょうか?それともオーダーメイドでしょうか?」

「我が家のお嬢様に既製品など着せられるか」

「これは失礼いたしました」


 店主は深く頭を下げた。


「採寸をいたしましょう」


「頼む」



 ワンピースを見繕うと、店主は女性店員に言って、試着室に入ってきて、アリエーテの体の寸法を測り、すぐに青いワンピースに着替えた。



「どうぞこちらへどうぞ」


「お嬢様、お手をどうぞ」


「はい」



 アリエーテはレオンに言われたように、レオンの手に手を重ねた。


 店主はご贔屓の者しか入れない応接室に案内した。


 女性店員は選ばれたワンピースを持って、応接室に入ってくる。


 ソファーに案内されて、アリエーテが座り、レオンは立っている。



「どのような形がよろしいでしょうか?」


「この店にはデザイナーはいないのか?」


「失礼いたしました。すぐに連れて参ります」



 店主が頭を下げて、女性店員が慌てて、部屋を出て行った。


 デザイナーにデザインをしてもらうなんて、大丈夫なのかしら?


 不安になって、レオンを見つめると、店主が慌てたように、「すぐにお茶の準備をいたします」と言って、部屋から出て行った。



「レオン」


「お嬢様は凜としていろ」


「はい」



 不安に思ってレオンに声をかけると、レオンは本物の執事のように、凜々しい姿で立っていた。


 店主がすぐに戻ってくる。



「お待たせしました」



 紅茶を淹れたトレーを持った女性の店員とスケッチブックを持ったデザイナーが入ってきた。



「お嬢様に似合う物を作りたい。幾つかデザインを頼む」


「畏まりました」



 デザイナーが、アリエーテを見ながらデザインを描き始めた。


 紅茶の入ったティーカップがアリエーテの前に置かれた。アリエーテは軽くお辞儀をする。



「お色はどうなさいますか?」


「お嬢様、どうなさいますか?」



 アリエーテはレオンを見上げた。


 レオンは頷いた。


 好きな色を選んでも良いのだろう?


 レオンとダンスを踊るなら、どんな色が似合うだろう?


 アリエーテは想像してみる。


 レオンは漆黒のタキシードを着ている。


 襟元のカラーは白で黒いネクタイをしている。


 並んでダンスを踊るなら、……いつか魂を食べられるなら、レオンに相応しい物がいいだろう。


 歪んだ復讐を考えているが、最後は綺麗な心でいたい。


 着ることができないウエディングドレスのような、美しい白いドレスがいい。



「レオン、白でもいいかしら?」


「仰せのままに」



 レオンは一礼した。



「白いドレスをお願いします」


「畏まりました」



 デザイナーは色が決まったこともあり、描く速度が上がっていく。


 幾つかのデザイン画がテーブルに並べられた。


 どれも美しい。


 繊細で高そうなドレスが目に止まった。


 迷っていると、レオンが一枚を取り上げた。



「我が家のお嬢様には、これがお似合いになるでしょう」



 アリエーテが一番に気に入った物だった。けれど、繊細で値段が高そうで言い出せなかった物だ。



「お嬢様、これでよろしいでしょうか?」


「ええ、わたしもそれがいいと思っていたの」


「そうでございましょう」



 レオンは、店主の前にそのデザイン画を置いた。


 アリエーテはせっかく淹れてくれた紅茶を飲んだ。もう冷めていたが、良い物なのだろう?味は美味しい。



「すぐに新しいお茶を準備いたします」



 女性店員が慌てて、部屋から出て行った。



「下着や靴下、靴、バックもあれば、準備をしてくれ」


「畏まりました。すぐに準備をいたします」



 アリエーテを採寸した女性店員が部屋から出て行った。


 新しい紅茶を淹れてもらい、アリエーテはお茶を飲んで寛いでいた。


 レオンにすべて任せておけばいい。


 そんな安心感に包まれた。


 ドレスを予約すると、たくさんのワンピースが入った箱が馬車に積まれ、下着や靴下。バックや靴、髪飾りもレオンは買った。


 馬車は化粧品が売っているお店の前で止まり、レオンに手を引かれ、フルスが後から付いてきた。女性にしか分からない物をフルスと一緒に選んで揃えてもらった。


 晴れてアリエーテはなんの不自由もなく屋敷で過ごせるようになった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る