第三章 お嬢様
第1話 森の中の一軒家
☆
「アリエーテ、朝だ。そろそろ目を覚まさないか?」
レオンは眠るアリエーテに声をかけた。
アリエーテはぼんやり目を開けて、ここがどこか分からないようで、キョロキョロした。
愛らしい仕草に、レオンはもう一度、アリエーテの名を呼んだ。
「あ、レオン」
どうやらレオンの存在は覚えているらしい。
「お腹が空かないか?」
「……どうかしら?」
まだ寝ぼけているようだ。
青い瞳の奥に契約の魔方陣が微かに見える。
「食事をしよう」
「……はい」
「起きられるか?」
「うん、大丈夫よ」
昨夜、アリエーテが眠るときに、魔術を使いレオンが起こすまで起きない魔法をかけた。
屋敷の存在を消し、そこで眠るアリエーテを守るための魔術だ。
アリエーテはゆっくり体を起こして、そして頬を染めた。
ネグリジェ姿が恥ずかしいのだろう。
「アリエーテに侍女を付けることにした。すぐに紹介しよう。フルス」
「はい」
「入れ」とレオンが言うと、美しい女性が部屋の中に入ってきて、アリエーテは、背筋を伸ばす。
「アリエーテの侍女にするフルスだ」
「フルスでございます。アリエーテお嬢様、これからよろしくお願いします。私の事はどうぞ、フルスとお呼びください」
フルスは礼儀正しくお辞儀をした。
スカート丈の長めのメイド服姿を見て、アリエーテは慌てて、頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
フルスはにっこり微笑む。
「では、お召し替えをいたしましょう」
「はい」
「アリエーテ、着替えたらダイニングに降りてきてくれ」
「はい」
レオンが指示を出すと、アリエーテは急いで返事をする。
レオンはアリエーテの部屋から出て行くと、魔術で食事の支度を始める。
「お嬢様、こちらのお洋服でよろしいでしょうか?」
「はい。レオンが作ってくれたのね」
アリエーテは微笑んで、出された洋服を身につける。
綺麗な水色のワンピースは、アリエーテの瞳の色によく似ている。
白いレースの靴下など、どれくらいぶりだろう。
「ドレッサーの前にいらしていただけますか?」
「はい」
アリエーテは室内履きを履いて、ドレッサーの前の椅子に座る。
「それでは、失礼します」
フルスは温かなタオルで顔を拭うと、肌を整えて、櫛で髪を梳かす。
「美しい髪をしていらっしゃいますね」
「フルスさんも綺麗ですね。短い髪がお似合いで素敵です。わたしも短く切ってしまおうかしら」
「お嬢様は長い髪がお似合いですよ。せっかく美しい髪をしていらっしゃいますから、お手入れのし甲斐があります」
「子供の頃から、お母様に令嬢として髪を伸ばしなさいって言われてきたの。そのお母様がもういないんですもの」
「それでも、お嬢様は令嬢でいらっしゃいますよ。お母様もきっと長い髪をしていた方が喜んでくださるでしょう」
「そうかな?」
アリエーテは寂しそうに目を伏せた。
「さあ、美しくなりましたよ」
いつの間にか薄化粧をされて、紅を差されていた。
「お食事に参りましょう」
「はい」
「履き物は、こちらになります」
フルスは白い靴を出した。
「ありがとうございます」
「私には敬語はいりませんよ。名前もフルスと呼んでくださいね」
「はい」
アリエーテはサンダルから靴に履き替えた。
フルスはサンダルを片付けると、扉を開けて、頭を下げた。
「ありがとう」
アリエーテは自分で部屋から出て、階段を降りていった。
☆
「アリエーテ、美しくしてもらったな」
「はい、フルスがとても上手で、驚いたの」
「アリエーテが美しいからだろう」
階段を降りると、レオンがアリエーテの手を取り、ダイニングに連れて行く。
「わぁ」
アリエーテはダイニングテーブルの上を見ると、嬉しそうな声を上げた。
「こんな朝食は、どれくらいぶりかしら?」
テーブルの上には花まで飾られている。
「お嬢様、どうぞ」
「ありがとう」
椅子を引かれ、座らせてくれる。
コックの服を着た男性が、テーブルにスープを運びパンを置く。
「アリエーテ、コックのパトークだ」
「パトークでございます。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
アリエーテは座ったまま頭を下げる。
「温かいうちにお召し上がりください」
パトークは頭を下げると、下がっていった。
「すごいわ。コックがいるの?」
「ああ、昨夜のうちに最低限の人材を集めてきた」
「レオンってすごいのね。ただの悪魔じゃないのかしら?」
「執事のまねごとをしようとしている悪魔だな。執事らしくなくても愛嬌だと思ってくれるとありがたいが」
「ええ、いいわ。家族を死に追いやった悪党を倒してくれるなら、執事らしくなくても気にしないわ」
「仕返しは必ずしてやるが、まずは朝食を食べてくれるか?」
「レオンも一緒に食べたら?一人で食べるより、なんちゃって執事のレオンと食べたいわ」
「そうか?それなら食事は一緒に食べよう」
レオンはパチンと指を鳴らし、アリエーテの隣に座る。
パトークが料理を運んできて、レオンの前に置いた。
二人で料理を食べると、フルスが紅茶を淹れてくれる。
「今日は、まず洋服を買いに行こう。必要な物があるだろう。フルスも同行を頼む」
「畏まりました」
フルスは頭を下げた。
「ねえ、レオン、お金はあるの?」
「そう心配するな。ある程度は準備をしてある」
「それなら良いけれど、もう借金は嫌なの」
「何も心配はいらない」
アリエーテの瞳が真っ直ぐレオンを見つめて、しばらくして頷いた。
「信頼してもいいのね?」
「ああ、信頼してくれ」
「それなら、お願いします」
アリエーテはレオンに頭を下げた。
☆
食後のお茶をゆっくり楽しんだ後、出かける準備をして、レオンに手を引かれ、屋敷の外に出ると、一人の男性が木の枝を切っていた。
「アリエーテ、紹介する。庭職人のリムネーだ」
リムネーはアリエーテの前まで来ると、深く頭を下げた。
「リムネーでございます。よろしくお願いします。リムネーとお呼びください」
「こちらこそお願いします」
アリエーテは礼儀正しくお辞儀をした。
「俺が準備した最後の人材だ。皆、信頼できる者を選んで連れてきた」
「はい。ありがとうございます」
アリエーテは、なんちゃって執事のレオンに頭を下げた。
「敬語はいらん。家族だと思ってくれたら嬉しい」
「家族?」
「新しい家族では駄目か?」
アリエーテは首を左右に振った。
「わたしには、もう家族はいないから、そう言ってもらえると嬉しいわ」
アリエーテは心から嬉しく思っていた。
悪魔だけれど、レオンは優しいし、レオンが連れてきた屋敷の住人も心優しい人のように見えた。ひょっとしたら魔族なのかもしれないが、人間でも魔族でもどちらでも良かった。
人間界では、どうして魔族を邪険にするのだろう?
洞窟を挟んだ世界。
アリエーテは魔界に行ったことはないが、レオンを見ていると悪い人には見えない。
「では、行って来る。屋敷を頼む」
「はい」
リムネーは深く頭を下げた。
目の前に馬車が現れた。
「すごいわ」
馬は珍しい白馬だ。二頭の白馬が引く馬車はお洒落な形をしていた。
御者が座っている。
「御者は飾りだ」
「飾りなの?」
「人でも魔族でもない。命のない人形だ。そうだな、タダの風船と同じだ」
「風船?」
アリエーテは不思議に思いながら御者に近づく。
ちらりとアリエーテを見て、深く頭を下げるが、言葉は話さない。
「信じられないわ」
「そうか?」
レオンがパチンと指を鳴らすと、空気が抜けるように萎んでいく。
「本当に風船なのね」
またレオンは指を鳴らした。
萎んだ御者が膨らんでいく。
「アリエーテ、馬車に乗ろう」
「はい」
レオンが扉を開けてくれる。
そこに乗り込むと、レオンも乗り込んで来た。
扉が閉じられて、そこにフルスの姿がないことに不安に思う。
「私は御者の横に乗りますので、心配はいりません」
外からフルスの声が聞こえる。
馬車が走り出した。
☆
馬車は街に到着すると、高級洋服店の前で止まった。
「レオン、ここのお店は高いわよ」
パルテノス伯爵家でも、滅多にここで買い物はしなかった。
父のスーツや母のドレスは買っていたが、子供達のドレスや洋服はもう1ランク下のお店で買っていた。
アリエーテは姉のお古で、数着ドレスやワンピースをもらったが、アリエーテ自身には買ってもらったことはなかった。
「見るだけ見てこよう」
「うん」
レオンに手を引かれ、馬車から降りると、フルスは既に降りていて待っていた。
「お嬢様、今日は普段着とドレスを1着、下着と化粧品を買っていこう」
「はい」
レオンはにっこり微笑むと、アリエーテの手を引いた。
フルスが後から付いてくる。
お店に入ると、店員は新参者の顔を見て、接客もしない。
レオンは店員を無視して、洋服を選んでいく。
アリエーテにあてがい、似合う物だけをフルスに持たせ、試着室に行き、1着ずつ試着させる。
洋服の多さに、店員がそわそわしだし、やっと店長が挨拶に来た。
「今日はいらっしゃいませ。ワンピースをお探しでしょうか?」
女性の店員もやって来て、フルスが持っているワンピースをハンガーラックにかけた。
「お嬢様にワンピースとドレスを一着用意したい」
「畏まりました」
試着して、レオンが気に入った物だけ、ハンガーラックに分けてかけていく。
「ドレスは既製品でしょうか?それともオーダーメイドでしょうか?」
「我が家のお嬢様に既製品など着せられるか」
「これは失礼いたしました」
店主は深く頭を下げた。
「採寸をいたしましょう」
「頼む」
ワンピースを見繕うと、店主は女性店員に言って、試着室に入ってきて、アリエーテの体の寸法を測り、すぐに青いワンピースに着替えた。
「どうぞこちらへどうぞ」
「お嬢様、お手をどうぞ」
「はい」
アリエーテはレオンに言われたように、レオンの手に手を重ねた。
店主はご贔屓の者しか入れない応接室に案内した。
女性店員は選ばれたワンピースを持って、応接室に入ってくる。
ソファーに案内されて、アリエーテが座り、レオンは立っている。
「どのような形がよろしいでしょうか?」
「この店にはデザイナーはいないのか?」
「失礼いたしました。すぐに連れて参ります」
店主が頭を下げて、女性店員が慌てて、部屋を出て行った。
デザイナーにデザインをしてもらうなんて、大丈夫なのかしら?
不安になって、レオンを見つめると、店主が慌てたように、「すぐにお茶の準備をいたします」と言って、部屋から出て行った。
「レオン」
「お嬢様は凜としていろ」
「はい」
不安に思ってレオンに声をかけると、レオンは本物の執事のように、凜々しい姿で立っていた。
店主がすぐに戻ってくる。
「お待たせしました」
紅茶を淹れたトレーを持った女性の店員とスケッチブックを持ったデザイナーが入ってきた。
「お嬢様に似合う物を作りたい。幾つかデザインを頼む」
「畏まりました」
デザイナーが、アリエーテを見ながらデザインを描き始めた。
紅茶の入ったティーカップがアリエーテの前に置かれた。アリエーテは軽くお辞儀をする。
「お色はどうなさいますか?」
「お嬢様、どうなさいますか?」
アリエーテはレオンを見上げた。
レオンは頷いた。
好きな色を選んでも良いのだろう?
レオンとダンスを踊るなら、どんな色が似合うだろう?
アリエーテは想像してみる。
レオンは漆黒のタキシードを着ている。
襟元のカラーは白で黒いネクタイをしている。
並んでダンスを踊るなら、……いつか魂を食べられるなら、レオンに相応しい物がいいだろう。
歪んだ復讐を考えているが、最後は綺麗な心でいたい。
着ることができないウエディングドレスのような、美しい白いドレスがいい。
「レオン、白でもいいかしら?」
「仰せのままに」
レオンは一礼した。
「白いドレスをお願いします」
「畏まりました」
デザイナーは色が決まったこともあり、描く速度が上がっていく。
幾つかのデザイン画がテーブルに並べられた。
どれも美しい。
繊細で高そうなドレスが目に止まった。
迷っていると、レオンが一枚を取り上げた。
「我が家のお嬢様には、これがお似合いになるでしょう」
アリエーテが一番に気に入った物だった。けれど、繊細で値段が高そうで言い出せなかった物だ。
「お嬢様、これでよろしいでしょうか?」
「ええ、わたしもそれがいいと思っていたの」
「そうでございましょう」
レオンは、店主の前にそのデザイン画を置いた。
アリエーテはせっかく淹れてくれた紅茶を飲んだ。もう冷めていたが、良い物なのだろう?味は美味しい。
「すぐに新しいお茶を準備いたします」
女性店員が慌てて、部屋から出て行った。
「下着や靴下、靴、バックもあれば、準備をしてくれ」
「畏まりました。すぐに準備をいたします」
アリエーテを採寸した女性店員が部屋から出て行った。
新しい紅茶を淹れてもらい、アリエーテはお茶を飲んで寛いでいた。
レオンにすべて任せておけばいい。
そんな安心感に包まれた。
ドレスを予約すると、たくさんのワンピースが入った箱が馬車に積まれ、下着や靴下。バックや靴、髪飾りもレオンは買った。
馬車は化粧品が売っているお店の前で止まり、レオンに手を引かれ、フルスが後から付いてきた。女性にしか分からない物をフルスと一緒に選んで揃えてもらった。
晴れてアリエーテはなんの不自由もなく屋敷で過ごせるようになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます