第6話 現世
☆
1000年が経ち、アリエーテの魂の気配を感じた。
まず魔界を探し、見つけることができないと、すぐに人間界に飛んだ。
アリエーテは伯爵家の次女として生を受けていた。やっと見つけたとき、アリエーテは15歳だった。
アリエーテの家は伯爵家だったが、生活に困窮していた。
食事は粗末な物で、家財道具も日々売られて屋敷の中はスッキリと殆どの物がなくなっていた。
父親が興していた事業の一つ、鉱山の発掘現場で崩落事故起きて大勢の死者が出て、その遺族に見舞い金を出さなければならなくなった。それが落ちつくと同時に事業のひとつの会社が倒産した。多額な借金が、アリエーテの家庭を圧迫していた。
アリエーテの父は金策に、親戚縁者を訪ねて歩いていたが、すべて断られた。
唯一、アリエーテの家の心配した叔父がいたが、いっこうにお金を貸す様子はなく、アリエーテに教会に出家することを勧めていた。
教会に出家すれは、教会から大金は支払われ、正式に聖女になれば毎月、お金も支払われる。家の格式も上がると、しきりに説得している。
借金はなくなり、家も格式が上がり、毎月、国からお金も支払われる。
生活に困窮しているアリエーテの家にとって、これ以上もない幸運だ。
ただ、一度教会に出家すれば、二度と家族と会えなくなる。
両親は悩み、兄妹達もアリエーテを教会に行ってくれとは言えずにいた。
しかし、アリエーテは、自分で聖女になる事を既に決めていた。
16歳の誕生日に、多額な金額と引き換えにアリエーテは教会に入った。
アリエーテの一家は、アリエーテを教会に出家させた事で、借金地獄から解放された。
アリエーテは、すぐに聖女として目覚めたようだった。
身動きひとつせず、瞑想していたアリエーテは、1週間後に目を開けた。
一緒に瞑想を始めた娘達は、一人一人と脱落していったが、アリエーテは最後まで脱落せずに試練に打ち勝ったのだと気付いた。
アリエーテだけに贈られた、白いワンピースは聖女のワンピースと言われている物だった。脱落した者は、嫉妬にまみれた眼差しで、アリエーテを見ていた。
アリエーテは白いワンピースを身につけて生活するようになった。
教会の前には騎士が立ち、教会は閉鎖された空間だった。
教会の中から、魔界へ向けて祈りを捧げる思念が聞こえる。
魔窟の結界を揺さぶる魔術のようだったが、魔王が結界を張った魔窟を攻撃するような祈りは魔窟にささやかな振動を与えるに過ぎないことを人間達は知らない。
少女の祈りは、我が身を削り、魔窟の人柱になっている状態だ。強力な魔力の元で、祈り続けても、少女の寿命が縮むだけだ。そう気付いたところで、レオンに少女の祈りを止めさせる使命はない。人間界で決められたシステムの一つに過ぎない。ささやかな抵抗でも、魔界を攻めたいのだろう。
魔界と人間界の戦いが終わって、200年経つが人間界では、まだ魔窟を攻めることを止めていないのだ。何と低俗な意地だろうか?
その祈りを捧げている女性を、どうやら聖女様と言うらしい。
アリエーテは、その聖女様になるために、身売りをしてきたようだった。
聖女になったアリエーテは、特にやることもなく、日々の日課は教会の中にある小さな教会で祈りを捧げることのようだ。
毎日、墓地の横を通って小さな教会に行く。
ある日、倒れている猫の命を助けていた。瀕死の猫は無事に回復して、アリエーテを気にするように離れていった。
アリエーテは清々しい顔をして教会に入っていった。
お昼前に宿舎に戻るとき、聖女様の秘密を知ったようだった。
祈りの思念は徐々に小さくなり消えていた。聖女様は死んだのだと分かっていたが、アリエーテは聖女様を埋葬する場面を見てしまった。
賢いアリエーテはすべて悟ったようだった。
レオンがアリエーテばかりを見ているうちに、どうやらアリエーテの実家で事件が起きたようだ。叔父と名乗る男が教会に訪ねてきた。
アリエーテの家族は皆殺しになったらしい。
アリエーテの落胆ぶりは、見ているレオンまで伝わってきた。
その夜、アリエーテは教会を脱走した。
そこで、レオンはアリエーテに声をかけた。
全てを無くしたアリエーテは、生きる意欲をなくしていた。
600年前の事を思い出した。
どんな言葉をかけたら傷つかないか……。
自分で胸を貫いてしまわないように、慎重に話かける。
「海に飛び込むのか?」と聞くと、アリエーテは微笑んだ。
いい事を教えてもらったとでも言いたげな微笑みだった。
そんなアリエーテは、捜索中の騎士達に捕まって、すぐに教会に連れ戻された。
アリエーテは大勢のシスター達に棒で叩かれていた。
死なない程度に痛めつけ、シスター達は去って行った。
綺麗な顔まで血で濡れていた。
レオンは、アリエーテの傍らに腰を下ろし、頬の血を拭った。
青い瞳が瞬いた。
自力では動けないようだった。
アリエーテと契約をするなら今だと思った。心も体も傷ついたアリエーテは悪魔のレオンに助けを求めていた。
魂を食いたいと言っても、拒まなかった。
1000年目にやっとアリエーテと契約した。
刻むなら、美しい青い瞳がいいと思った。
本当はどこにも傷を付けずに結婚の血の契約をしたいが、今はこれ以上、アリエーテを失いたくはなかった。まず魂を縛り、アリエーテの身をレオンの物にしたかった。
傷ついたアリエーテを抱き上げ、アリエーテを傷つけたシスター達を燃やした。
アリエーテは、教会ごと全てを燃やして欲しいと願った。
聖女様の末路を知ったアリエーテなりの考えなのだろう。
燃えさかる教会の建物を瓦礫に変えるほどの激しい炎で焼き尽くすと、アリエーテは燃える教会をじっと見ていた。
朝になり、アリエーテは実家を気にかけた。
仕返しは、今でなくても、徐々にしていけばいい。
まずは、アリエーテの傷を癒やし、体を回復されなければ、いくら契約したとはいえ、まだ弱い人間の身である。
アリエーテの一家が所有する土地に、アリエーテの為の屋敷を建てていく。
驚いた顔のアリエーテは、愛らしかった。
復讐など忘れさせて、魔界に連れて帰りたかったほどだ。
ただ、今のアリエーテを生かしている力の源は、復讐だった。それなら、まずは復讐をさせてやろう。
没落していった伯爵家では、粗末な料理を食べていた。教会では、もっと粗末な料理を与えられていた。今は、アリエーテに少しでも栄養のある食事を与えて、本来のお嬢様としての暮らしをさせてやりたかった。
レオンのすること全てに驚いた顔を見せるアリエーテは、1000年前のアリエーテと似ていた。
可憐で、純粋で、わずかな穢れを抱いてしまったが、心の汚れた人間や魔族より美しい心を持っている。
レオンはアリエーテを魔術で眠らせて、屋敷に結界を張り、外からは見えないようにした。そうして、魔界の屋敷に一度戻り、最低限の魔族を連れて戻って来た。
どこまでも人に見えて、魔術にも剣術、体術、すべてに長けた人選だ。
アリエーテの身柄を守るために盾となる男と女。
侍女にフルス、料理人にパトーク、植木職人にリムネー。この3人はレオンの魔界の家に務めている騎士で優秀な魔術師だ。留守にしがちな屋敷を守っている騎士達の中で、一番に信頼がおける者達だ。パトークは料理人を命じられて、「無理です!」と声を上げたが、普通の料理人では、戦闘が起きたとき、守らねばならなくなる。守るのはアリエーテ一人でありたい。
「料理は俺が作る。それらしくしておればいい」と命じて、連れてきた。
まだ寝静まった屋敷の中で、3人の優秀な騎士達は、持ち場に着く。
侍女のフルスには、メイド服を着せた。いつもは軍服を着ている彼女は、初めて着るメイド服に戸惑っている。スカートの中に隠れているガーターベルトには銃とナイフが隠されている。
料理人のパトークには、コックの服を着せた。パトークはまんざらでもなさそうで、どこか嬉しそうだ。腰にぶら下げている銃は、コックの制服で見えない。
植木職人のリムネーには、それらしく見える洋服を与えた。普段着のシャツとズボンだ。木の手入れをするためのチェンソーを持ち、背中に背負う枝切りハサミは、ライフルになっている。リムネーには門番の役目を頼んだ。この屋敷に近づく者を選別してもらわなくてはならない。難しい役目だが、彼ならやってくれるだろう。
3人とも武器を持っているが、勿論、魔術の達人だから、武器など必要ないが、念に念を入れた。
「そろそろアリエーテが目覚める。しっかり働いてくれ」
「イエッサー」
3人は敬礼をする。
「そこは『はい』でいいから。敬礼もなしだ」
「はい」
今度は3人が返事をした。
「それでいい。フルス以外は仕事をしているように見せればいい。フルスは女性として、寄り添って欲しい。俺にはできないこともあるだろう。女性同士、相談したいこともあるだろう。話し相手になってくれ」
「畏まりました」
フルスは頭を下げた。
3人ともレオンがアリエーテを探していることを知っている身であった。
やっと捕まえたと屋敷中が安堵のため息を漏らしていた。
いつ屋敷に連れ帰ってくるか待ち望んでいた。まさか人間界で暮らすとは思っていなかった屋敷の者達だった。
「では、頼むぞ」
「はい」
3人は頭を下げた。
それぞれの持ち場に着く。
レオンは階段を上り、アリエーテの部屋に入っていった。
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